塔越区けん玉大会

 「人間などテーブルの上の化学実験の結果に過ぎない」

これは最近僕が好きな言葉の1つ。名前は長くて思い出せないが、偉人の名言集みたいなものを立ち読みした時に見つけた言葉だ。人はみんな、生まれた頃から大きな違いがあるのではなく、死ぬまでに関わった人間や物事によって違いが生じる。「彼のような人間に育てたい」と母親が思っても、その彼の母親と全く同じしつけはできないし、場所も違えば生まれた時代も違う。顔だってそうだ。整形をしたり、どこかけがをしたりすれば、どこかで必ず違いが生じる。だから世の中の人間1人1人に個性が存在し、気がものすごく合う人もいれば、全く意見が異なる人もいる。だから人々はこの70億人という莫大な数の中から、より自分と似通った人生を過ごしてきた人を見つけて、そこに自分の居場所を見出す。この世界は1つにはなられないし、なる必要もない。

「全然できない!」

「だから、もう少し話す前に腰を落として勢いをつけるんだって。」

「…いや無理無理。」

あの日、殻に閉じこもったままだった僕に話しかけてくれた倉望さんと僕は、あれからお互い予定のない木曜日の放課後に校庭の端っこで毎日けん玉の練習に励んでいた。すぐに飽きてしまうのではないか、僕はちゃんと彼女を満足させることができているだろうか。そんなことばかり気にしていた僕を安心させるかのように、彼女はずっと笑ってけん玉を手放さなかった。

「今度塔越区のけん玉大会あるけど、どう?」

「どうって、なにするの?」

「1対1でお題の技を正確に決めた方が勝ち。級位者の部と段位者の部があるから、倉望さんが級位者で出場して段位者に僕が出る。表彰もあるみたいだし。」

「けん玉に大会なんてあるんだ。おもしろそうだし、出てみようかな。予選敗退とかになりそうだけど。」

「いや、今のレベルならいいところまで行けると思う。大会で出されるお題はもう決まってるから、今日調べて明日、まとめたものを渡すってことでいいかな。」

「まず日本一周を完成させないと!」

ふいに思いついた提案だったが、倉望さんは大会に出ると言ってくれた。僕もいい位置につけるように努力しなければ。


 大会当日。一応「奇術部」という設定で大会に出場することになっているが、女の子と学校以外に会う日にどのような服を着るべきなのか分からなかったからいつも通りの厚手の黒ズボンに大き目の上着を羽織って行くことにした。

級位者の部と段位者の部で会場が異なっていたので、倉望さんとは昼食時に会うことになっていた。

「12番の人。」

「あ、はい。」

「2人は次の次だからここで待っていてください。出番が来たらまた知らせに来ます。」

塔越区の中でけん玉の活動している部活のある8個の中学校から、代表として2~5人が出場するこの大会。人数が少ないのは分かっていたが、不思議に思ったのは、11番の番号が書かれたカードを背中に貼っている僕の相手が明らかに小学生低学年の小さな男の子なのだ。中学生しか出場できないはずだけどどうしてだろう。

「吊るしとめけんから地球回し、始め。」


カッカツ…カ、カツ


まだ心の余裕はある。体育館のステージで行われると知った時から、ステージから見える景色はどういったものなのだろうかとずっと心配だった。大して観客がいないことは準備時間に分かったが、それでもステージに立つときの緊張感を感じることはできなかった。自分の組が呼ばれて、不安なまま階段に足を掛けたとき、全身が心臓になったような感覚が走り、手が震えて技が失敗する瞬間が頭をよぎった。しかし結果的にはステージに立ってもけん玉しか見ることはなく、緊張感は薄れていった。

僕の後ろのパイプ椅子に座っている審査員の人が白旗を上げた。ほっとして小さい子の方へ視線を変える。

「よし!」

向こう側の審査員の人も白旗を上げた。やはり小さい頃から練習していることあって、姿勢からけん玉の持ち方まで全てが完璧に映った。忘れているかもしれないが、これは実際に小さい子が技を決める3秒前のこと。たった3秒ではあるが、相手の結果を少しでも早く知ることができれば、次の技へ気持ちを切り替えやすくなるから得できていると思えば別に悪くはないのかもしれない。

 その後もお互いミスすることはなく、対決は最後から2番目の技に持ち込まれた。

「一回転飛行機から倒立、持ち替えて天中殺、始め。」

どれも得意な技で、10回に8回は成功できる。そろそろ小さい子も体力的にきついだろうし、ここで決めれば最終予選。そこで勝って準々決勝、準々決勝で勝てば準決勝そして決勝だ。あまりの道のりの長さに立ちくらみが起こりそうになったが、ここは持ちこたえたいところである。

まず一回転飛行機。手を放す時に少しけんをねじって、皿がまっすぐ向いたときに勢いよく手首を回す…よし入った…カツ

倒立はそこまで難しくはない。腰をしっかり落として…よし…カッ

最後だ。持ち替え天中殺はこの中で1番難しい技。空中に投げて、ずっとけんの方を見て決まった形で掴むことができたら…よしできた。僕は集中するために左目を閉じてけんを穴に入れようとした。

あっ

視界が一瞬黒く覆われて、玉の穴の位置が分からなくなった。焦って心臓が激しく動くのを感じた時に左目の力が抜けて、音もしないまま、僕の視界に赤色の旗が上がっているのが映って見えた。


 呆気なく終わってしまった。あの3秒後、その子は少し笑みを浮かべてから、見事に技を成功させた。どうしてあそこまで小さい子がいるのか、そしてどうしてあそこまで完成度が高いのか。ステージから降りた後はそのことばかり気になって、倉望さんと小さな子を交互に見ることにした。

大会に出る前に倉望さんと僕はかなりの練習を積んでいたから、級位者の部なら倉望さんは準優勝くらいしてしまうだろうと予想していた。その予想は当たり前のように当たり、気が付けば決勝まで進んでいた。確かに昼食時に会った時も自信に満ち溢れた顔だった。

「あー白佐くん!あれ、なんか元気ないね。」

「あ、そう?んまぁ予選で負けちゃったからね。」

「え、嘘?あんなに上手だったのに。」

「上には上がいるものだよ。それより倉望さんはどうだったの?」

「こうなると言いづらいけど…次準決勝。」

「え?本当?すごい。」

「自分でも驚いちゃったんだけどね、今日は結構調子がいいの。」

「灯台、始め。」


わ!まずい、そうだ。今大事な時なんだ。頑張れ!

…よっしゃー…「よし。」

しかし相手も見事成功。けんの安定さからしてかなりの経験者だ。長い勝負になりそう。

「日本一周、始め。」

あ、あの時僕が教えた技だ。倉望さん覚えてくれているのいいけど…

小皿、大皿までは完璧に仕上がっていたから安心して見ていられた。

やった!

カツッ

審査員の目が一斉にけん先に集まった気がした。いけ、「穴の位置をよく見ながら手首でけん先の向きを、腕で全体の向きを調整して挿す」だけだ!!



なにやってるの!お兄ちゃんはあなたを信じて代わりをお願いしてくれたんだよ?お兄ちゃんにどうやって謝るつもりなの?ごめんなさいじゃ済まないんだよ!


ピシッ


アアアアァァァァ!!イタイヨママァゴメンナサイママアアア!!!ウワァァァァァ!!!!


ゴトンッ


あっ…落ちてしまった。たぶん子供の泣き声にびっくりして手の力が抜けちゃったんだ。僕は激しい憤りを感じて泣き声のする後ろの方を見た。するとたくさんのパイプ椅子の脚の間から、小さな男の子が倒れこんで泣きわめいているのが見えた。あれ、あの子…まずい。嘔吐しちゃってる。人の顔の向きが変わっていくのに気付いた観客の人たちが駆けつけてその子を庇った。小さな子を怒鳴りつけた母親は、「ごめんなさい、ご迷惑おかけいたしました。処理は私がしますから。」と言って小さな子の手を無理矢理に引っ張って体育館の角に立たせてから嘔吐した後の処理を始めた。

倉望さんの様子が気になって、振り返ったがもうそこに倉望さんの姿はなかった。


「ああ、倉望さん。気付いたら見失ってたから、まだいて良かった。で、あれはなんて判定されたの?」

「失敗だった。その後に相手の人が成功したからステージから降ろされたの。」

「そっか。でもあんな大声で泣かれたらびっくりするに決まってるよ。」

「私の結果はいいの。修くんから教えてもらったことちゃんとできたと思うし。でも、どうしてあんなにお母さん怒ってたんだろ。ずっとあんなことされてるなら警察に通報した方がいいと思う。自分の子供をひっぱたくなんてありえないじゃん。」

「うん。でもなんかあの後子供が警察の人に抱えられていくの見た。たぶんあの出来事を見てた観客が警察に通報したんじゃないかな。」

「あの子はこれからどうやって生活していくんだろう。自分は何にも悪くないのに普通の人と違った人生を歩まなきゃいけないなんて可哀想。」


「人間などテーブルの上の科学実験の結果に過ぎない」。あの子の試験管は、何色に変わるのだろう。透明には程遠い色に染まってしまうのだろうか。

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