入学試験後

 落ちた。落ちた自信で満ち溢れている。この絶望感、誰かに冷やかされたとき、僕はどうなってしまうのかとにかく心配だった。自分を貶してきた大嫌いな同級生の顔が思い浮んだ後、受験に成功して今頃はしゃいでいるような受験生の顔が鮮明に描かれた。そして2つの立場が僕の中で「うざい人」という分類にまとめられていくのを感じて、自分自身に憤りを感じた。

「お疲れ。」

どんな顔をしてお母さんに会うべきか、不合格を確信した瞬間から心の中がくしゃくしゃになっていた僕は、結局自らの心の苦しみに逆らう力もなく、なるがままに落ち込んだ様子をしてみせた。お母さんがどう思うかくらい、分かっているのに。

それから僕は、お母さんと昼食を、1事も交わすことなく済ませてから、併願校であるいわゆる 滑り止め という位置づけの学校を受験した。そこではある程度の自信があり、少しは洋実に行けない現実から逃れることができたと思ったが、家に帰って途方に暮れた自分を自覚した時、急に現実世界に迷い込んで涙が溢れだしてきた。これからもずっと、後悔し続けなきゃいけない苦しさ。過去には戻れないとは、ここまで後ろめたい気分になるものなのだろうか。

 洋実の合格発表は今日の2月2日。自分の人生の一本道が2つに割ける瞬間を間近で体験しようと思える勇気があるかどうかは、つまり「自分は受かっている」といった自信が持てる結果を残せたかどうかにかかってくると思うのだが、今日も僕は第2志望校である常葉台の受験を受ける必要があったので、そんなことはどちらでも良かった。

第1志望校に落ちたことを承知の上で、まだ結果が発表されないまま第2志望校の受験に向かうこの気持ちを、どんな言葉で表現できるだろうか。「絶望感」とか「どん底から這い上がってやる」とはちょっと違う。そうだ。「もやもやしている」のだ。人間とは、理性があるがゆえに自分が今どこを目指して前へ歩いているのか理解が及ぶ前に世間から受けた精神的苦痛から逃れようとして、結果的に負のスパイラルに迷い込んでしまう生き物なのだ。ゴリラと人間の違いは理性があるかないかで、それ以外に大きな違いはない。ゴリラが進化して人間になった以上、その理性には何らかの意味があるとしか考えられない。その意味を、真意を知らないこんな僕なら、いっそゴリラとか他の動物になってしまった方がいいのではないか。ああ、着いてしまった。1番行きたい学校をここと決めた受験生が、希望と不安と小さめのリュックを背負って、塾の先生とわいわいしている風景が明るい日差して照らされている。僕みたいだ。僕みたいに、ここで挫折を味わう人がこの中から何人も出てくる。僕も、あんな感じだったんだ。あれ、そうだっただろうか。未来設計図がはっきりと、鮮明に描かれた状態でいられた昨日の自分が、まるで30年前の自分を思い出すように遠かった。情けない。こんなもんじゃない。第1志望校がだめなら第2志望校を目指すのは自然なこと。何も間違ってない。確実に、つま先は前を向いている。

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