白い月 Scene 3

 シャワーを浴び、私と他愛のない話をしながら夕食を済ませると、「ちょっと待っててね。済ませてしまうわ」スピカはPCの前に座った。スピカのPCはタブレットではなくノート型だ。絶え間なく喋り続けてきたスピカは、急に黙りこくってPCに向かってキーボードを叩きはじめた。私は作業の邪魔をしないように静かにカウンターの上に載っていた。そこは私の場所になり、クッションが1つあてがわれていた。

「よしっと」3時間ほどそうしていただろうか(正確には3時間17分だ)スピカはノートを閉じると顔を上げた。

「何をしていたんだ?」私はもう邪魔にならないと判断して声をかけた。

「物語を書いていたのよ。それをNETに上げているの」

「どんな物語を?」

「つまらないものよ。ファンタジーみたいな感じね。恥ずかしいから読まないでよ。ゲンマもNETに繋がってるんでしょ?」

「繋がっているし、もうすでに検索をかけて読んでしまった」

「うそ~!油断もすきもあったもんじゃないわね」

「だが、NETに上げるということは不特定多数に読まれることを前提としているはずだ」

「デリカシーがないわね。私を知っている人に読まれるっていうのは、ちょっと恥ずかしいじゃない」

「そういうものか?でもなかなか良く書けている」

「そう?ほんとに?でも人工知能はお世辞も言うのよね?」

「そのことについては否定しない。だが、なぜ物語を?」

「う~ん。そうね。たった1人で寂しかったっていうことが一番じゃない?NETに上げると結構コメントが入るのよね。とっても嬉しかったし。たくさんの常連さんができたり、その人達のサイトでまたコメントを書き込んで盛り上がったり。イベントもあったりしてとっても楽しいからよ」

「なるほど、わかった」

 スピカは暫く私のほうを見てから「それだけ?それ以上は聞かないのね」と言った。

 私は黙っていた。スピカはじっと私を見つめていたがやがて口を開いた。

「この世界が、アルファルドが何か解らない力でコントロールされて微妙なバランスを保ってるってのは、わたしの頭でもなんとなく分かってるのよ。わたしたち人間が何をしたのか、どうなったのか、私は知らないんだけど、わたしは生かされている……至れり尽くせりでね。そんな感じがするの。でもそのことに頼りっきりってのもなんだか嫌じゃない?」

「それが昼間のことに繋がるわけか?」

「そうね!そういうこと。やれるだけやってみるってことかしら。ほんの少しの事なんだろうけどね。じゃぁ、もう寝るわ。ゲンマのようにずっと起きてるなんてできないから」

「そうだな。おやすみ」

「おやすみなさい」スピカは寝室に入って行き、観測第1日は終了した。

 小さな天窓からは青く輝く月が覗いていた。


 無音の夜明けが訪れようとしていた。いや、人間の感度では、だ。センサーには微かに鳥の声が聞こえている。上空は夜明け前の明け紫から、明るい空色に染まり始めたが、カルデラの底にはまだ比重の高い瑠璃色が溜まっていて薄暗い。私は静かにカウンターから上昇すると窓を開けベランダに出た。

 そしてゆっくりと上昇を始めた。徐々に速度を上げて上空を目指す。外輪山を越えて朝日の中へ入った。暖かいマンダリンオレンジの光は私の体を優しく包み込み、そして上昇する私の体を祝福する。私はもう周りを見ることは止めて目的の1万メートルを目指す。

 10分ほど経過しただろうか?(正確には上昇開始から11分46秒)目的の高度に達した。

 センサーを起動し周囲を見渡す。真下にアルファルド・カルデラが小さく見える、西半分に朝日が差し始めて美しい。ミアプラキドゥス湖が黒く沈んでいる。センサーはカルデラ内の植物そして水の反応を濃色で表している。そこはまるでアルカディアだ。

 私は同心円状に観測範囲を広げていったが、アルファルドの外側では一切の反応が消えた。何も無い事を意味する灰色の反応が返ってくる。そしてそれは遙か彼方、地平線まで続いてた。アルファルド、孤独なもの、何という名付けだろう。その外側には何も無いのだ。何も無い赤錆色の砂漠が広がっているだけなのだ。

 可視光線でもそれを確認すると、私は徐々に高度を下げ始めた。

 高度を千メートルまで下げた時、「ゲンマ!ゲンマー!」呼ぶ声がセンサーに入ってくる。スピカの声だ。

 しばらく周囲の様子を観察した後、私は降下速度を上げた。

 西の空では、今にも消えてしまいそうな白い月が、地平線に沈もうとしていた。


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