白い月 Scene 2

 2時間22分が経過した。スピカは小さなうめき声を出し、それから目を開けた。自分が生きていることを確認するように暫くぼうっとしてから、やがてゆっくりと周りの様子を目に収め、私のほうを向いた。そして声を出した。

「夢じゃなかったんだ……。ゲンマ、今何時?わたしどれぐらい寝てた?」

「12時18分、そして2時間22分だ」

「そう?ありがとう。さすがに細かいね。じゃぁそろそろお昼ごはんにしなくっちゃ」とキッチンに入っていった。冷蔵庫を開けて中を覗きながら「ゲンマは何か食べたりするの?」と言う。

「私には必要ない」

「そう。便利ね。でもつまんないかも」そう言いながら中からパウチパックを取り出し、それをレンジに放り込み調理ボタンを押した。暫くすると軽やかな音がして調理が修了した。スピカは熱くなったパックを慎重に取り出し、中身を皿に開けて食べ始めた。

「スピカ、質問してもいいか?」「いいわよ。なぁに?」

 私は素直に感じた疑問を口にした。「その食べ物は冷蔵庫の中に入っているのか?」

「そうよ。まだたくさんあるわ」

「その冷蔵庫の中の物だけでずっと食べていけるのか?」

「冷蔵庫の中だけで足りるわけないじゃない。他の場所にもっともっとたくさんあるわ」

「なぜ、そんなにたくさんそこにあるのか疑問に思ったことはないのか?」

「なぜそんなにたくさんあるのかって?」スピカの声はきつくなった。「それがどうかしたの?あるならあるでいいじゃない。それを確かめて何の意味があるのよ?これが誰のために用意されたものか知らないわ。でもここにはわたししか居ないし、もし他の人のために用意されていたとしても、誰も咎める人は居ないわ。わたしが食べられればそれでいいじゃない!何か問題でもあって?その黒い頭で……そりゃぁわたしよりずっと優秀なんでしょうけど……その優秀な頭脳で疑問を解明しようとしてつつきまわして、もし消えちゃったら、あなた責任を取ってくれるわけ?責任を取って自分からパワーオフなんてだめよ!ちゃぁんと元に戻してもらいますからね」スピカは喋りたてていたが私が反応しないでいるとやがて喋るのを止め、フゥとため息をついて食事を続けた。

 食べ終わるとスピカは顔を上げ「わたしはねゲンマ。聞いてる?」と言った。

「聞いている」

「よろしい。わたしはね、今22歳なんだけど18歳までは普通に生活していたのよ。家族と家庭があって友達と学校生活を送って。こういう生活は分かる?」

「知識として持っている」

「ならいいわ。でも18歳の時に突然それは終わって、目が覚めたらここに居たの。わたし1人で。そんなこと疑問に思わない訳がないじゃない。どれだけショックを受けたか想像できる?どうやってここで生活してきたか想像できる?」

「想像できるだけのデータがない」

「クククッ」スピカは少女のように笑った。

「何一つ不自由はないのよ。食べる物はいくらでも有る。それにね、なんと電気が使える。コンセントからふつうにね。水道も出る。綺麗な美味しい水よ。トイレは水洗だし、シャワーやお風呂も使える。家電が壊れても予備まであるのよ。不思議よね?ゲンマの優秀な頭脳で何故だか分かる?」

「私は今朝目覚めたばかりだ。データが不足しているので推測できない」

「そう。なんでもデータ・データ。結局は役に立たないのね。人工知能もさっぱりだわ。でもちょっと見て欲しい物があるんだ。来て」

 スピカは真ん中のドアを抜けて廊下出ると「ここよ」と床面にある扉を持ち上げた。そこには地下に降りる階段があった。階段を一番下まで下り、突き当たった最初の重いドアを開けると冷気が噴き出した。そこは冷凍庫で、壁一面に設けられた引き出しの中には、大量のそして多くの種類のパウチパックが収められていた。私はその引き出しの一部に植物や動物の名前がたくさん書かれた物があることにも気がついていた。スピカはそこから1階層ずつ上がりながら各層を説明してくれたが、さっき言っていた家電の数々が収められた倉庫以外は、何に使われるものかスピカにも分かっていなかった。そこには空気や水の浄化装置、汚水処理装置、循環装置、それに培養槽や調整槽などが収まっていた。そして多分最下層には核融合電池が収まっているに違いない。

「次はこっちよ」リビングに戻ったスピカは開いていた窓からテラスに出ると靴を履き替え地面に降りた。そのまま森の中を下って行く。

「見て」スピカの指さす先には小さな穀物畑があった。その向こうには野菜畑が見えている。畑ではたわわに実った穂が揺れ、色々な種類の野菜が実っていた。

「まだ実験段階だけど。森を焼いて種を蒔くと結構簡単にできるの。さっきの冷凍庫に種がたくさん入っていたの。動物や魚の卵子や精子もたくさんあるみたいだけど、わたしには無理ね。でもこの湖には結構魚が居るの。工夫すれば釣れるし美味しいのよ。だから、わたしが少しずつ始めたいろんなこと、ゲンマが手伝ってくれると嬉しいんだけど」

「私をパートナーとして認めるのか?」

「だって、どうせ観測で暫く居るんでしょ?認めるほうが上手くいきそうじゃない。ゲンマに対して疑心暗鬼でやっていくなんて意味ないわ。多分時間の無駄よ。上手くいかない時はそれでお終い。そういうことよ。あなたもそう思わない?」

「私は賢明な判断だと思う」

「でしょ?じゃあそういうことで、よろしくね!ゲンマ」明るい調子でそういうとスピカはさっき下った道を戻り、張り出したテラスの下に入った。そこには奇妙な形の道具の数々や石を積み上げて作られた窯が座っていた。

「脱穀や製粉ができるように道具も作ったわ。あの倉庫にはいろんなものが入っているのよ。せいいっぱい利用させてもらってるわ。薪の使える窯もあるからパンも焼けるのよ。それにここの森には食べられる果物や木の実もたくさん生るのよ。さあ、ゲンマ。この結果をご主人様に報告すればいいわ。どんなご褒美が貰えるのかしら。そして何者がやってくるのかしら。今から楽しみだわ。でさ、次はパンを焼くわ。生地の発酵は終わってるのよ。手伝って!そんな格好をしてるけど手はあるんでしょ?」

「手はちゃんと2本装備している」私の返事を聞いているのかいないのか、スピカは楽しげに階段を登り、ベランダから小屋の中に入った。その日の午後はパン焼きに使われ、赤い夕日が外輪山の向こうにゆっくりと沈んでいった。

 開かれた窯からは芳ばしい香りがした。「できたできた!美味しそ~う。いい匂い。ね!ゲンマ」スピカは喜びの顔を私に向けた。

「美味しそうだし、いい匂いだ。センサーはそう判断する」

「あ、そうか。ゲンマは食べないんだっけ。ごめんね。すっかり手伝わせちゃったね」

「かまわない。人間の役に立つことは私にとって喜びだ。そういう風に作られている」

「そうなの。じゃぁ、とっても役に立ったわ。ありがとうゲンマ」

「どういたしまして」

「ふふっ。ゲンマ、なんだか照れてるみたいよ」スピカはレディーの笑いをした。

 オレンジ色の歪な月が登り始めていた。

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