駄文2018/03/02

・のんべんだらりとやる


昨日置いて来た車は、道路状況が良くなってから取りに行こうと思っていたけれど、連絡があり、除雪に邪魔だということで、日中に歩いて回収してきた。



交通がマヒしているのは市内に限らず、JRや都市間バスも運休。しばらく大人しくしているのが吉である。



普段運動しないせいか、40分も歩くともう1日分の気力が潰えてしまう。デカビタCのゼロを飲んでも効かず(ということは、あれは血糖値の上昇によるハイだったのか?)、いつもの倍以上の時間を使って日課を進めている。



気力が無くても、惰性の力を使ってなんとか作業を進めることができる。完全にやる気が出ているとか、完全にやる気が出ない、というような状態はあまりなくて、出たり出なかったりという波に振り回されずに。少しずつやる。



元気がなければゲームやSNSへの脱線も面白くないので、すぐやめてしまう。恐ろしいのは脱線そのものではなくて、脱線からの暴走であって、それは元気が有り余っていて、まともな判断をできるほどの気力が残っていない場合に発生する。ということは、多少疲れておいたほうが、進捗がいいということだろうか。



日中は出先にいるので大丈夫であるけれど、これだけ疲れていると、もし自宅での作業であれば中断して寝てしまいそうで良くない。在宅ワークの環境が整ってからも、日中は家から出たほうがいいのかもしれないと思う。



・夢は叶わず


身体的なメンテナンス要素として必要なのは、食事、運動、睡眠、そして体温であると思う。特に寒さに弱く、冷え性もあるので、運動で一時的に上昇した体温も、すぐさま白湯などを飲んで維持しなければいけない。



その分、夏は汗に悩まされるくらいなので、早く暖かい季節になってほしいと思う、それにしては住んでいる地域が地域なのだけれど、逆にハンデのある季節のうちに最低限できることの水準を上げておくと、のちのち楽になれるのではないか、などと良い方向に考えようとはしている。



親族の庇護や地縁の単発仕事があるので、帯広を離れるという選択肢はない。そうでなくても、どうもこの街に潜んで暮らすということが、性に合っている気がする。また、インターネットの持つユビキタス性は、人にどこででも生きていけるという可能性を開いたけれど、自分にとっては「ここででも生きていける」という可能性につながっている。



会社はおろか、他人と協働できないという性質については、もう観念して認めざるを得ない。どうせ何をしてもダメならば、何だかよく分からないことばかりに自分の資源を全振りしてしまおうとも決めた。真っ当に生きている人でさえ、報われるまでには長い年月がかかるのだ。いわんや邪道をや。



その間、どうやって生きていくのか、不安は募るばかりで、かといってそれがやる気に結びつくわけでもない。それは「不安」というよりも、自分にはどうすることもできないものに対する、漠然とした「不満」があるからではなかろうか。



正直に言えば、自分は社会人になりたかった。社会人として大手を振って表通りを歩いていたかった。しかしそのための適性がまったく無いがために、その夢を諦めなければいけなかった。そういう人間が、非社会人としてそれでも社会と関わっていくための技法のようなものを見つけようとはしている。



しかし、社会だけがダメなのではなくて、他人がダメで、そこから派生して社会がダメなのだ。すると誰かに師事することも、他人の意見や方法論を取り入れることもままならない。というか、やってみて全部逆効果だった。ただ「やってみて全部逆効果だった」ということは学ぶことができた。



残された行動は「失敗」のみである。失敗し続けること、新しい失敗を繰り返していくことで、その中から暫定的に最も良い失敗を選ぶ。それがまかり間違って何かの成果に結びつくことがあったとしても、そのきっかけになった失敗が失敗以上のものにはならない。それでも生きていける割合が少し上がるかもしれない。そういう一縷の望みにすがる。



何かを何年か継続してみせても、それがすなわち価値のある結果に結びつくということは(あくまで自分に限ってのことなのだろう)無かった。何の意味もなく、どんな喜びも持続せず、それでも生きてはいるのだということ。何もできず、何をしても何もしないほうがまだ良くて、それでも見苦しく生きているのだということ。どんなにおどけてみても、すぐそこに戻って来てしまう。



そういう時に、これは前にも書いたことだった気もするけれど、元気の総量が少ないというのは有難い。ただ一日を漫然と過ごすだけで、もう特別に何かをしようなどと思えなくなる。自分が自分であることの、くだらなさとつまらなさを抱えて数時間寝るだけで、なんだか良く分からない適当な気持ちになって新しい一日を過ごすことが出来て良い。これがもう少し若かったら、泣き叫んだり物を窓から空き地に放り投げたりして、付近住民に多大な迷惑をかけていたかもしれない。



・価値のある行動


それでは、意味のない娯楽と意味のある娯楽について考えよう。何をしても報われないか、報われた頃には死んでいると仮定して、それでも出来ること、やってもいいことがあるとすれば、それは「それ自体をやらずにはいられない」という行為である。しかし脳で発生する「やらずにはいられない」という欲求と、人間社会に用意された具体的な行為というものは、必ずしも一致しない。欲求に忠実に、しかしそれを満たすもののバリエーションの中で、なんらかの客観的な価値(ここでいう場合の「意味」)が発生しうるものを選ぶほうが、多少は気分が良い。



たとえば、その行為を、他人が希望するのであれば、そこには価値がある。ただ同じ行為でも、他人が求める水準というものがあり、自分はそれを維持するということができた試しがない。水準の維持は社会性において重要な要素であって、それを保つことができなければ、行為の介在によって実現した他人との関係性は完全に断たれる。そうしてほとんどの関係性は失われてきた。今後も自分のすることで、水準の維持を見込むことはできないし、水準の維持そのものが「やらずにはいられない」ことではない。したがって、他人が希望する行為をしようとするということはできない。



次に、「ただそこにいる」という行為ではどうだろう。娯楽性は薄いかもしれないが、なんらかの場所、物理的なものに限らず、認知上の特定の地点に駐在することに、何か客観的な価値が発生するのではないだろうか?ただし、それは駐在する人間の素質に拠るところが大きい。他人に対して開かれており、意志の疎通が可能であり、人柄が良く朗らかでなくてはならない。そうでない人間が、同じ場所に居座っていると場所の空気が淀んでしまう。そういう人間として「疫病神」と呼ばれていた時期もあった。



あるいは、なんらかの作品を残すというのではどうか。作者の性質から切り離されたものであれば、それを誰かが良い方向へ誤解することで、価値が生じるかもしれない。厳密には、なんらかの作品が残る種類の娯楽的行為ということになり、これは実際に実現している。作品を評価してくれる人の存在を否定することはできないし、それが誤解に基づいた評価であるとしても、それを非難する権利は少なくとも自分にはない。単純に他人と連絡することができる(それも十分な「軽さ」で)ということも嬉しい。



しかし、作品づくりというものはどのような分野においても過当競争である。そこでは確固たる信念や、体力、社交性を持たない人間が淘汰され、それは自浄作用とも呼ばれている。あくまで競争に参加しないという態度を貫くことができれば、その作用を免れることができるけれど、それはその分野におけるノイズのようなもので、しかも自分に限ってはマイナスの意味が生じないという保証が無い。



・意図するまでもない


何をしても、どうしようもなさそうだ。それならそれでいいのだと、開き直って、悪として、悪人として、厄災と不幸を振りまき続けることしかできないのであれば、それこそ客観的に「死んだほうがいい」というような気もしてくる。それはきっと自明のことであって、では逆に、他人に死ねと言われて死ぬのかということでもある。自分はもうずっと昔の子供の頃から、「死んだほうがいい」人間として、しかしどういうわけか刑の執行を免れ、恥知らずの恩知らずとして、世の中を人一人分悪くし続けて、汚染して、spoilして、貴重なものや、かけがえのないものの生き血をすすって生き長らえてきたのだった。それを何を今更、善人ぶろうとしているのか。やっていることも考えていることもくだらない。



しかしそれが、たとえば悪事を率先して行うということの動機にはならない。確かに自分は疫病神ではあるけれど、それを誰かのせいにしようとは思えない。どう考えても問題があるのはこちらの人格のみであるし、そもそも誰かに責任をとらせようとする態度が、分かち難く他人と結びつこうとする振る舞いである以上、それを忌避することについては論を俟たない。



それに、何かをしでかそうなどと思わなくても、全ての振る舞いが悪であり、全ての考えが悪であるのだ。意味があるどころか、その被害があるばかりである。すると問題はその被害をどう和らげるかということになるだろう。衝動が鬱積して犯罪的な行動を起こさないよう小出しにして、許しを乞えるように家族や周りの人にも優しくして、自暴自棄にならないように体調管理をし続ける。その程度のこと、誰もが無意識にできることをし続けて、無為に人生を食いつぶすのが、自分のためでも社会のためでもある。

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