駄文2018/02/17

・好調は続かず


昨日に引き続き、SNSとゲーム、カフェインなしで作業を進めたが、昼食後あたりからつらくなってきて、SNSはちょっと見た。友人が紹介していた動画を流しながらの作業で、進捗は落ちたものの、概ね予定通りにできた。



千葉雅也「勉強の哲学」読了。Visual Studioはエミュレータが立ち上がるところまでは進んだ。有料マガジンの準備も、完成までのロードマップめいたものを作るところまでいったので、明日から粛々と進めていこうと思う。



奇しくも「勉強の哲学」にも、思いつくままに文章を作っていく「フリーライティング」のすすめがあった。EvernoteとWorkflowyとを使って、自分もまずは予定している小作品を完成までもっていけたら嬉しい。



・社会のくぼみへ


そういえば、自分はタスク管理の技法やツールに凝っていた時期がある。確か前々職場を退職する手前からで、そこで覚えたことが、今もずいぶん役に立っている気がする。



しかしその頃に始めた「ブログの100日分更新」が、現在も38日で止まったままで、いくつかある大掛かりな、やりかけタスクのうちの一つである。



今思えば高望みしすぎたのだった。語学の勉強と短編作りをいっぺんになんて、今でもできることではない。なんとか再開できまいかと、日課として語学の勉強と、短編のためのブレストを続けている。



だいたい周りの人へ向けて、事前に何かを宣言することのプレッシャーに極端に弱く、自分自身で決めたことも満足にできた試しがないのだった。



最近になってようやく、誰とも関係なく1日10分で済むことだけだったらできる、ということがわかって来たので、それをモザイクタイルのように組み合わせているが、それでこれから生活ができるかというと、ほとんど現実的ではない。



それでも前々職退職直後のように、布団にくるまって泣き叫びながら無為に過ごすよりはいいと思い、あれこれやっているけれど、何事かを成し遂げない限りは、何をやっていても、何を言っても意味はない(厳密には「価値に結びつくほどの意味が生じない」)。



そこに、現況は今年一年だけのモラトリアムという事実がつきつけられ、焦りから有料コンテンツの準備を始めたものの、前のブログ同様、また高望みなのではないかという疑念が払拭できない。



自分の作ったものに、対価が発生するほどの価値を見出す人が、どこかにいるのだろうか?という問いは、自信のなさとは違う意味でずっとある。社会との直接的なつながりを10年で耐えられなくなって逃げ出した人間が、それでも社会にすがろうとするという態度が、根本的に都合が良すぎるように思われるからだ。



一方で、monappyやnote.muやVALUを通じて、少なかならぬ金額を投げ銭でいただくようになってから、逆に価値を認めてくれる人と、そういう人の存在する社会とであれば、あくまで間接的につながりを持つことが可能かもしれないという期待もある。



社会も一枚岩ではなく、自分がフィットできる「くぼみ」のような箇所があるかもしれない。それは分かっていたつもりなのだけれど、極端に対照的な2つの職場のどちらでもまったく仕事ができず、価値も意味も何も創出できなかったことで、社会全体に対して関わりたいという気持ちがほとんど潰えてしまったのだった。



冷静になって考えてみれば、単に「勤務」や「協働」に対する適性がなかっただけなのかもしれない。「だけ」といっても生きていくうえでかなり致命的であるけれど、そこを何とか回避しながら、持続可能な生活方法を考えて小規模に実践すること。これであれば、どういうわけか継続することができている。



・たとえば標本として


本当は、自分の特性を活かして周りの人と連携しながら生きていくことが求められるのだろうけれど、その「連携」の部分に問題がある人間は、どうやって生きていけばいいのだろう。



実現可能な最小限の連携があるとすれば、自分の作ったものを、誰かがチェックする、というただ1点である。そこに賭けることができるのは、ITインフラのおかげかもしれない。



インターネットやSNSがない時代には、投書からはじめて誰かに師事して、そのコネクションに参加するという方法が主流だったのかもしれないけれど、そんな人脈的な方法も取れない人間にとっては、ただ闇雲に広がるフィールドのほうがわずかに希望があるような気がする。



なぜなら、自分の頭のおかしさに、大したオリジナリティがあるとは思えないからだ。きっとどこかに(これほどではなくても・こんな程度以上に)同じような苦しみをもった人が大勢いる。あるいは、同じような頭のおかしい人間に、苦しめられている人が大勢いる。当事者や関係者でなくても、こういう「狂い」を第三者的に求める人だっているかもしれない。



もしそうだとしたら、彼らの力を借りることでしか、自分は生きていくことができない。そのことを自覚して、ではまだ見ぬその人々のために、何ができるのかを考える、どんな踊りがいいのかを試す。そういうことであれば、不思議とやろうという気持ちになれる。

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