駄文2018/02/15

・生活の弾力性


前職場の作業が立て込んで、ブレストが遅い時間になってしまった。演奏本番翌日の今日は、予想通り何もできない一日だった。古いPCの処分や買い物、仮眠を済ませたので明日からまた頑張ろうと思う。カフェインも控えたので、また効きが良くなっていると信じたい。



前職場に顔を出すたびに大小さまざまなトラブルに見舞われて、もう二度と会社勤めはしないという決意が固くなっていく。基本的に家で黙々と作業して、たまに演奏したり、単発で頼まれごとをしたりして生きていきたい。



そのための準備に集中したいのだけれど、どうも因縁に足をとらわれる。夏までには決着をつけなくてはと思うが、ヤケを起こすと関係ない人たちを巻き添えにしてしまう。



無責任なくせに虫が良すぎるのかもしれないけれど、厄災を回避するために自分の時間と気力を大きく犠牲にすることは、やむを得ないことだと割り切ることに決めた。



それでも去年よりはだいぶマシになったのだし、これから先どんなトラブルがあるかわからないのだから、多少負荷のかかった状態でも、理想の一日を過ごし続けられるように、生活の弾力性めいたものを身につけられたらと思う。



では、それはどういったものを指すのだろうか?



・実現してた


一つに「時間の余裕」というものが考えられる。一日を完全に予定で埋めてしまうと、想定外の出来事が生じた途端に破綻してしまう。体調不良もあるかもしれないし、そもそもの予定の所要時間に対する見積もりが甘いかもしれない。



それらの被害を最小限にするには、まず予定を立てる段階で予備の時間を設けることだ。たいていはそこを使い切ってしまうのだけれど、当初予定している進捗とのズレが小さくなるということは、これは精神衛生上非常に良い防御策になる。



もう一つは「睡眠時間」である。先述の時間の余裕とは区別して、睡眠時間を多めに設定する。健康に害を及ぼすほどでなくても、日中の進捗を低下させる程度の睡眠不足は、ケアレスミスや物忘れを併発する。睡眠効果を高めるツールやルールも同様に重要になる。



真っ先に思いつく「弾力性」二つは、どちらも時間に関するものだった。時間以外にも何かがありそうだけれど、今は出てこないのでこの二つについて考えを進めていくのがよいのだろうか。



しかし悲観的に考えても、毎日9時間の睡眠と6時間の予備時間を設定すれば十分であるように思われる。すると残りは9時間。一般的な一日の労働時間に相当するので、毎日この時間の中でできることを計画していく・・・これだと最近の生活で実現できている。



ここに単発の予定が入り込んでくる場合は、予備時間をそのまま充てればいいし、体調不良であればその分休めばいい。元気が余っているのであれば、楽器を触るのがいいだろう。おおまかな時間配分としてはすでに理想的であるということになる。



すると問題は、自分がやりたいことに集中するために割いている「9時間」の内容にあるのかもしれない。弾力性の問題を少し離れて、最近の自分の作業に対する考察へ移ろう。



・明日やってみること


朝の導線がうまく繋がって、出勤前に日記を投稿できると、ブレストを除く最低限の日課は10時前後に終わる。スケッチからの惰性を利用してイラスト等を作るまではいいとして、そこからプログラム座学に移る時のつながりが悪い気がする。



しかし早い時間帯に語学と座学を終わらせておかないと、夕方にはやる気がなくなっている。イラストとプログラムの両方に関連すること、例えばドット絵作りがいいかもしれない。明日試してみよう。



逆にやる気がほとんどなくなる時間帯(15時〜)に、読書と英語ゲームを配置する。「多少ためになる休憩」という感じで過ごして、夕食後の楽器練習に備える。



2種類の大きな脱線、アプリゲームとSNS確認については、起床〜夕食後まではやらないでいられると理想である。明日一日だけでいいから、日中一切やらないでみて、別な問題が生じればその都度考えてみること。



・治療は続くよ


最近の「朝起きて着替えたら、翌日の着替えを用意する」みたいな、小さなことの積み重ねによって生活の内容は改善されていく。困るのはその改善が小さなことであるゆえに、ちょっとしたイレギュラーな予定だとか、体調不良をきっかけに習慣から外れてしまうことだ。



それを思い出し続けるためにタスク管理ツールを利用しているのだけれど、どうも過去の自分に管理されている気がして気にくわない。



それよりかは、何かをしでかしたり、どうもうまくいかないことがあったときに、それについて言及を繰り返すことによって、自分の中の「物語」に組み込むということのほうが向いているのかもしれないと思うようになった。



徹夜も辞さないくらいのめり込んでいたアプリゲームも、新しいものが出たとしてもそこまでしなくなったのは、失敗するたびにそれを公にして、具体的な対策を(結果はどうあれ)提示して実践していくことによる効果だったかもしれないと思える。



誰かが「インターネットは大きな治療場だ」ということを言っていたけれど、少なくとも自分はそのように利用しているという自覚がある。



自分の失敗について、その原因と経緯を明らかにする(物語る)ことから、その物語に新たな方向性を付与する。こういった一連の流れについて、なんとなく「治療」という言葉がふさわしいように思われる。

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