駄文2018/02/14

・ゲームしてしまった


出勤前に日記を済ませて、スケッチとイラストまでが午前中に終わり、英語でゲームもできた矢先に、「勇者のくせにこなまいきな」が配信スタートとなり、夕方までやりこんでしまう。



ふと我に帰り、いいかげん日課を消化しなければと思ったものの、はて、日課とは何だったか、という気持ちになってしまった。これが面白いのは、会社に勤めていた頃に、長い休暇(交代でとらないといけなかった)が明けて、ひさびさに出勤した時の感覚に似ていることだ。



今まで自分が継続できていたこと(惰性で続けていたこととも言える)を、冷めた目で見ることができるということは、突然ゲームに打ち込むことが、一種の「休み」として機能した、ということになるのではないか。



ただし同じゲームでも、毎日ログインしている「クルクエ」ではこの感覚を得ることができなかったので、今までの物事をいったん脇にやって、新しいものに触れて意識を飛ばすことに、何となく良い効果があるように感じられる。もしかしたら、これがインプットの効用なのだろうか。



いや、インプットと休み(サボり)は、重複する領域があるとしても同じものではない。インプットを可能にするだけの休みがあったり、インプットをきっかけに意識を飛ばし、休みに近い効果を発生させることがあったりする、という言い方のほうが近い。



・この気分の良さは何だ


「インプット」と一言にいっても、色々な種類・分類があって、例えばそれらをフォーマット(様式)と、コンテンツ(内容)の二軸で、「新しさ」において分けてみると


・今までと同じもので、既視のもの、受け手が新たなものを見出す場合はあり得る。読んだことのある本や映画など


・今までと同じ種類の違うもの、従来の枠組みの中で情報を刷新する。ブログの記事、雑誌、新聞など


・既視のものだが、捉え方の違うもの。新たな意味付けを発生させているもの。他人の考察や解釈など


・既視感なく、新しいもの。新しいゲーム、新たに興味を持った学問の分野、初めて読む本や映画など


雑な気もするけれど、こんな感じになるのかなと思う。



たとえば休暇は、職場というフォーマットを離れて、新しいコンテンツに触れることができる場面であるという言い方もできなくはない。さらに居住地というフォーマットを離れて旅行することもあるかもしれない。



そういえば、毎日のやることと、その順番やルールを一人で延々といじっているというのは、これは自分用のフォーマットをずっと作り続けていることになるのかなと思う。物理的な場所や頭の状態を、一度大きく変更することによって、そのフォーマットに対して揺さぶりをかけることができる。それが快楽に近い感覚なのはどうしてだろう。



つねにフォーマット作りは未完成で不十分だというのは分かるけれど、そこをいったん離れて客観的になることで、改善が図れるかどうかは分からない。それなのに、快楽が生じるということ、これは利害や実利とは無関係の現象なのだろうか。



一つ思い当たるものがあるとすれば、それは「夢」である。睡眠時に見る夢は、現実との関連性をかすかに保って、しかし脈絡は無視して、何の意味もなく快楽と不快とを織り交ぜて届けてくれる。睡眠による身体上の回復とは別に、単に現実というフォーマットを離れる、ということによって快楽が生じるのだとしたら、同様にフォーマットを離れる休暇や脱線は、それだけで快楽がある。



ではそこに快楽があるのはどうしてだろう?誰だって現実の問題にずっと集中して、際限なく働き続けることができるほうがいいのではないか?と思うけれど、それはあくまで現代社会のニーズであって、文明を持つ前の人類のニーズではないかもしれない。



常に緊張状態にある生き物は、消耗し続けて短命になる。それは命を削ってでも、その場を乗り切るために緊張しているからである。緊張を解くことが、快楽でなくてはその生き物は緊張しっぱなしになる、ということであれば、分からなくもない。



その考え方で行くと、今の人間(自分だけかもしれないが)は、起きているだけでもう緊張している、命を削っている、ということになるだろうか。それでも長命を実現できているのは、これは栄養や防疫などの環境要因に関わる部分でもあるかもしれない。



・基本何もしたくはない


では、どのような「緊張解除・緩和」が自分には合っているのか、ということを考えようとして、まてよ、別に自分は長生きしたいから休むのではないな。と思い直す。



ただ単に休むことが快楽だから、新しいゲームをするのが楽しいからするのである。それがもし遺伝子によって用意された生存のための策略だとしても、自分がどう思うかということを揺るがすことにはならない。



本当はずっと休んでいたい。好きなことだけであれば、かろうじて苦ではないからやっているというだけで、もしも生活の不安がないのであれば、何もしないで暮らして死ぬと思う。それでは進歩および存続は危うくなりかねないという、人類側の都合も分かるけれど、そうやって急き立てるような構造が強化され過ぎて、あるいは自分にとっては強過ぎて、一個体としては非常にやりづらい。



・おわりに


とりあえず、ここまでの文章をいつもよりスラスラと書くことができた。脱線のし過ぎは悪影響ではあるけれど、頭をリフレッシュできて、かつ消費する時間や気力が最小限になるような脱線を、技術として身につけるにはどうしたらいいだろう。という新たな問いを得ることが、できたといえばできた。

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