駄文2018/01/12

・寒い日が続く


冷え込みが強く、調子が戻らない。白湯を飲んだり足を揉んだりしつつ、多少遅れながら日課を済ませている。投稿などで外部の目に晒されない日課はどうも疎かになりがちなので、読書やメモの整理についても、何らかのアウトプットをすることにしようと思う。



打ち込みのバイトは少し慣れてきたので、あとは時間を割り当てできれば何とかなりそうだ。楽器の練習を後回しにして、早めに終わらせれば気分も少し軽くなるだろう。週末にはまた外出用事があるので、それまでに済ませれば理想ではある。



・分かってもらおうとするのも


今朝、はてな匿名ダイアリーに文才のある人の投稿があって読んだところ、その文章の巧さもあるけれど、とにかく実際に起こしている行動が素晴らしい。体を動かしているし、勉強もしている。こういう元気をどうやって手にいれるか、または維持できるのだろうと思ってしまう。



今まで、自分の周りには体力も気力も満ち溢れていて、しかしそれゆえ周りの人に十分な配慮ができない(自身が基準になっているため?)という人たちが数人いたのだけれど、例えば、気を使ったり気を配るということがないと、元気が出るのだろうか。



それを考えると、一日を好きなように使えるようになってからは、自分の稼働時間が増えたような気はする。けれど、それでもまだ十分な水準には達していない。それは、自分が生計を立てられるような水準である。



どんなことでもいいから、自分のできることをして生活していきたい。しかし、自分がやりたいと思うこと以外は、今まで全てうまくいかなかった。少なくとも今日まで継続できた試しがなかったのだから、「好きなことをして生きていく」ではなくて「好きなことでしか(それもかろうじて)生きていけない」のだ。ということを、家族に説明してみても、なかなか理解を得られない。



まあ、それもそうかと思う。彼らは自分の好きではないことが「できる」からこうやって生きてこれたのだ。だから先述の体力と気力の有り余る人たち同様に、自身の感覚と経験に基づいた意見を持っている。それに対して、「分かってほしい」とか「配慮せよ」と声を荒げることは、何だか不毛な気がする。



それに、本当に「好きなことしかできない」のかは、厳密には自分自身にも分からないのだ。今までがそうだったからといって、それがこれからも変わらないということはない。もちろん今現在の「二度と社会に出たくない」という気持ちは熾烈なものだけれど、性格上、思うこともコロコロと変わるので、あまり自分を信用できない。



・負の感情について


自分がどのような性質なのか、について精密さを求めたり、賛同を得ようとするよりも、今できること、好きなことをやって過ごすことに時間を割くほうがよろしかろう。しかし、どうも具合が優れない場合には、まさかとは思ったが、他人を羨んだり嫉妬に近い感情を抱くことが増える。



自分がそんな浅ましい感情を抱くなんて認められない、と突っ張るよりは、こんなこともあるのだなと面白がるのが性に合っているので、恥を忍んでこの感情を観察してみると、どうやら不平感や怒りといった負の感情は、対象を区別しないか、または対象間の区別が曖昧になりやすいようだ。



簡単な例でいうと、Aさんに対して怒りを覚えると、別のBさんやCさんにもその怒りを感じてしまうということで、こうして文章にしてみるとありがちな事のようだけれど、当事者になると案外見落としやすい点なのかなと思う。



そしてその対象には自分自身が含まれる。自分の怠惰、判断ミスや不注意、そういうものに怒り狂っていると、端から見ればその怒りだけが顕わになってしまう。そしてその怒りを他者にぶつけてしまえば、自己嫌悪によってハウリングのように増幅されてしまう。



もう一つ、区別がないということで言えば、負の感情同士の種類の区別も曖昧で、Aさんへの怒りが、Bさんへの妬みや、Cさんを避ける気持ちになったりする。



仏教用語でいう「怒」というのは、単なる怒りだけではなく、嫉妬や不平感、さらには不調感をも含んでいる。つまり負の感情、感覚が丸ごと「怒」なのだという。そしてそこから自由になるには、観察することが欠かせないらしい。



・何度も忘れる


他人といくら距離を置いたとしても、自分に対する不満は尽きない。ここを何とかしなければ、結局は檻を手製でこしらえることになる。



ただ「自分は完璧(あるいは完璧に不完全)なので、何も不満がありません」という狂い方は趣味ではない。それよりは、救いようのない自分を許容できるように、細工を凝らし続けるほうがいい。大まかな姿勢は今までとさして変わらないけれど、気の持ちようによって小さな判断が変わっていくのだと思う。



小さな判断が変わると、そこから行動が一つ変わる。するとバタフライ効果と言うには直接的すぎる変化が起きて、その後の数分〜数時間の気分が変わる。感情を伴う記憶は優先順位が高くなり、それが強化学習や習慣付けの礎になる。



ここまでは分かっているのだ。そして、それを物凄い頻度と速度で忘れてしまう。それに抗うためには、さらなる頻度と速度で思い出し続けることだ。その都度、主体である自分が想定されていた閾値から、どの程度ブレているかを逆算できるとなお良い。そういった効果を、こういう毎日の記録に望んでいる。

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