駄文2018/01/11
・疲れやすい
昨日は午前中で日課が終わり、久しぶりに絵の練習や語学の勉強ができたのはよかったものの、夕食後に何もできなくなり、結果14時間起きられなかった。とにかく疲れやす過ぎる。
とりあえず、これで疲労と睡眠不足は解消できたと思って、今朝も日課を進めているのだけれど、午後から前職場に出向かなければならず、今度は時間が無くてやるせない。
それでも面白い発見があって、それは「最もしなければいけないこと」からの逃避行動として、他の作業をする時が一番捗るということだった。
というのも、軽い気持ちで始めた打ち込みバイトが、思ったより作業量も多く、このままのペースだと来週火曜日の締め切りに間に合わなくて焦っているからだ。
何よりも優先してやらないとなあ、と思えば思うほど、他の作業に手をつけてしまい、しかもそれが非常に捗る。
人としてどうなのかということは置いておいて、この心の働きを、よりよい方向に利用できないかということを考えている。
・逃避行動
例えば、常に「最もしなければいけないこと」のダミーが設置されていれば、その他のすべての作業が捗るということになる。しかしそれはダミーであるが故に、本当は「最もしなくていいこと」であるので、本来の役割を果たさない。
その都度「最もしなければいけないこと」を更新していくのが良いのかもしれないけれど、問題はそれを、本当にしなければいけないということである。本当にしなければいけないことを放置して、他のことをしていると、本当にまずいことになる。
本当にしなければいけないことでなければ、逃避行動は成立しない。そのため、本当にしなければいけないことをしない、ということと、他の作業の進捗が交換条件である。これでは袋小路だ。何か別の観点からアプローチしたほうが良さそうである。
・2種類のやる気
人間のやる気は、大きく分けて2種類がある。一つは差し迫った状況のために、それをやらなければいけないという気持ちから生じるもの。もう一つは、それが好ましい行為であるがために、やりたいという気持ちから生じるものである。
そう考えると、逃避行動がもっとも「やる気」の出ている状態で行われるということになる。やらなければいけないという気持ちから生じる「やる気」と、それをやりたいという気持ちから生じる「やる気」がかけ合わさっているのだ。
しかし、後者については本当にそうだろうか。そもそも他の作業だって、やりたいことだったらもう既にやっているはずである。ということは「最も」ではないだけで、それらも「しなければならない(がしたいとは思えない)こと」であったはずだ。ではどうしてそれを嬉々としてやるだけの「やる気」が生じたのだろうか。
それはおそらく「逃避」そのものに対する「やる気」である。「逃避」が好ましい行為であるがために、やりたいという気持ちが、「最も」ではないがしなければならないこと」に対する抵抗感を上回るのだ。
裏を返せば、「最もしなければいけないこと」だって、何かからの逃避としての「やる気」が、その抵抗感を上回れば実行可能ということである。この場合は、例えば深い悲しみや強い不安、そういった「自分でどうにもできないもの」からの逃避ということが考えられる。
すると、2種類の「やる気」のうち、やらなければいけないという気持ちから生じるものは、これは大きな意味では全て「逃避行動」としてのものであるとは言えまいか。己の義務感や良心の呵責からも「逃避(解放)」されることを、求める心の働きである。
ここで2種類の「やる気」をそれぞれ「逃避・解放希求型」と「行動・状態希求型」の2つに分けると、「最もしなければいけないこと」からの逃避行動は、2種類のやる気がかけ合わさったというよりは、ほとんど前者の「やる気」によるものである。
したがって・・・したがって、どういうことになるのだろうか。逃避も結局は急き立てられて行う行為であるという、当たり前のことを言っているだけな気がしてきた。
・行動や状態の比較
おそらくは、「逃避・解放希求型」のやる気よりも「行動・状態希求型」のやる気による行動を増やしていくことが理想ではあるが、生きて行く限りどちからからも逃れる(これも逃避ではあるが)ことは不可能である。そう考えると、これら2つは決して完全に分離できるものではなく、相互にその性質を持っているようにも思われる。つまり2種類の「型」があるというよりは、2つの性質がそれぞれにあり、やる気によってはその濃淡が違っているということのほうが、しっくりくる。
それに、逃避や解放という、行動や状態を希求する場合はどちらになるのだ、ということもある。逃避や解放が必要のない行動だとしても、それは「無行動」からの逃避かつ解放である。するとここでいう区別というのは、厳密な言葉の意味世界よりも低い、あくまで便宜的になされる区別であるということが言える。
結局、結論めいたことはあまり言えないけれど、自分がその時に抱えている「やる気」が、どういう性質を持ったものであるか、ということが、冒頭の「疲れやすさ」に関わっているような気はしなくもない。どうも非常識なほどに疲れてしまうのは、この「逃避・解放」の性質が濃いやる気によって生活を突き動かしているからなのではないか。しかしその条件は他の人たちも同じなのではないか。すると結局は人並み以上に疲れやすいということは変わらない。
ただ、「逃避・解放」感が弱ければ弱いほど、疲労感がないということは言える。前の職場で働いていた頃に比べれば、ずいぶん楽になった。
それでは前職や前々職のような、今よりももっとつらい状況からの解放が達成されたという事実をもって、現在の全ての行為が「それに比べれば」望ましい状況であるとみなすことはできないか。正直それが「楽になった」原因ではあるけれど、目下進捗の悪い打ち込みバイトに対する切迫感は、それを大きく上回るものである。はてさて・・・
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