駄文2018/01/07

・生活する


久しぶりに一日座って過ごしていると、背中が痛くなってくる。昨日からよく眠れなくなっているのも、運動不足が原因であろう。問題といえばそれくらいで、あとはのんびり過ごしている。ここからどうやって生活を成り立たせようかという不安は、相変わらずある。



しかし、この感覚は自動運転車についての議論を眺めた時の感覚に似ていて、おそらく問いの立て方や、何を目的にするかが間違っている。あるいはもう少し大きく物事を捉えたほうが良さそうだ。



生計のことだけを考えれば、能力的にも責任のある立場にはなれないので、2つ程度の職場を時間給で掛け持ちするのが現実的な線だと思う。地の利を活かして、農家さんのお手伝いもするといいだろう。実際ハーベスタに乗ってジャガイモの選別をしたり、大根をコンテナに積んだりしたこともある。



しかし日銭のために働いているうちに、このままでは長期的に問題があると判断して、そういうことは控えたのだった。前職は人間関係で、前々職は能力不足で辞めているし、できれば一人で家で働いていたい。クラウドソーシングについてのインフラも充実してきたので、そっちかなと思っていたが、これは最初に引き受けた仕事が合わなかったのだった。また懲りずに挑戦してみようとは思うけれど、これも結局は形を変えた時間労働ではある。



それよりも、自分ができることのアドバンテージを使って対価を授かりたいという欲望が人一倍強い。その場合の「できること」というのは、やりたいこと、好きなこと、やらずにはいられないこと、を指すように思われる。ではそれを成立させるためにどのような行動を起こせばいいのか。またその行動を実現させ続けるにはどう考えたらいいのかを考えてみよう。



・「できること」候補


まず、「できること」として挙げた3点を精査してみると、実は最初の「やりたいこと」は除外されてしまう。たとえば「依頼を受けて絵や文章を描く」とか「楽曲を提供する」ということは、確かにやりたいことではあるが、控えめに見ても、そのようなことができる水準に達しているとは思えない。ではそこから一段下がって、「やりたいことができるようになるためにすること」が「できること」になるのかというと、それもまたそうとは限らない。



なぜなら自分の場合の「やりたい」は、究極的には「喜ばれたい」「褒められたい」「望むように生きたい」の部類であって、「練習したい」「勉強したい」ではないからだ。それらは欲求を人質に、時間と認知コストを要求するプロセスに過ぎない。そこで、2番目に挙げられた「好きなこと」が関わってくる。



欲求は、報酬や賞賛を得て、生活を持続可能なものにすることに限らない。そういうものとは別に、プロセスそのものが自分にとって快楽であったり、あるいは、まったく苦ではないという種類の行為をしていたい、という欲求もある。これがもし、「練習が快楽である」「勉強が全く苦ではない」という方向へ向くのであれば、それを活かした職業や、社会に対する役割を担うことが可能かもしれないのではないか。



しかし、そのような「好きなこと」であっても、ある一定の水準を越えようとすると、あるいは外的な要因や要求によって、苦しみを伴うことがある。そもそも行為は具体的な動作と対象を持ったものであるから、ある特定の練習には快楽が生じても、必要に迫られてせねばならない別の練習はつらい、ということもままある。そういうことを考えると、実は「好きなこと」であっても「できること」とは限らない。



では3番目の「せずにはいられないこと」ではどうか。これはもう、できようができまいが、楽しかろうが苦しかろうが、それをせずにはいられないという種類のものである。絶えず呼吸をして、ものを食い、眠ることと同じように、そうせずにはいられないことが仕事になれば、なるほど「息をするように働く」ことができるというわけだ。



そんな、ほとんど呪いのようなものを抱えている人は、むしろそれを十分にさせられないことには、どんな恵まれた環境でも不幸であるかもしれない。はたして自分がそれに該当するのだろうかと問われれば、正直ちょっと自信が持てない。



・ついついやってきた


そこで、「好きなこと」と「せずにはいられないこと」の中間に属するものを考えてみる。さしずめ「誰にも頼まれてないのにやっていること」といったところである。この場合の「誰にも」には自分も含まれているのだから、「せずにはいられない」の持つ深刻さもないし、「好きなこと」のようなムラもない。



そういうことなら幾つかあって、何年か前に、自分が好きな詩人の作品がどうしてもっと世に出回らないのだろうと思い、身分を隠して他の詩作品と一緒に拡散するアカウントを作って運用していたのが、そのうちにその人が活動を停止してしまったので、そのままその人以外の作品を手動で拡散していたりする。



あとは好きな作品の原文と訳文を手で書き写していたり、どこそこに飽きもせず、文章を作っては自分で見返したりしている。



かえってそういう意味のない行為に強く惹かれるということがある。時間もかかるし疲れるのに、でもついついやってしまう。もちろん、これをやらなければ自分のアイデンティティや命に関わるというような真剣さもない。時々サボる。



そうやって生きていきたい。歯をくいしばって苦悶することもなく、我が人生ここにありと何かに身を捧げることもなく、「ついつい」生きていけたらいい。



逆に、そういうことを思ってしまうのは、この歳まで案外そういう態度で生きてきてしまったからかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る