駄文2018/01/08

・進捗がわるい


前日の無理がたたって本調子が出ない。今回はカフェインの摂りすぎなので、反動で倦怠感が来る前に困るのが、脱線が増えて作業の進捗が遅れることである。つい思いつきで漫画を描いたり、毎日10分程度と決めているスマホゲームがやめられなくなる。



スケジュールに余裕があれば半日くらい寝て過ごして回復できるのだけれど、今日の晩も引き続きの作業があって、もうひと踏ん張りというところである。こういうことがあるので、丸一日の予定を自分のやりたいことで埋めることができない。



しかしそれは、どのような生活を送っていても避けられないものなのではあるまいか。日課はいつも半日分くらいに留めておけば、他の予定が入っても問題ないし、不測の事態にも対応できる。すると考えなくてはいけないのが、どうやって日課を半日分に収めるか、である。



現在はいったん日課を最低限にまで減らして、毎週日曜日に一つずつ増やしている状況であるが、すでに5つの日課だけでお昼を過ぎてしまう。他の作業を突発的にしているからではあるけれど、達成できない不安や焦りから、手間取って余計に時間を食ってしまう。



理想的でなくても、リズムそのものが崩れなければ良しとするとしても、このままではやがてオーバーフローしてしまう。長期的な作品作りなど夢のまた夢だ。



・タスク管理の話


TaskChuteというタスク管理術を携帯で実施できる「たすくま」というアプリを数年使っていたが、この度の新生活に際していったんアプリを再インストールした。これは毎日のリピートタスクとその見積もり時間から、翌日の起床時間を割り出せるもので、今日のこのペースであれば、残りの日課と努力目標を達成したとしても30分程度は余裕があると分かる。



しかし、見積もった通りに時間を過ごせるかということは、気力に依るところが大きい。そこで現在の自分の気力がどれくらいで、これから予定している作業全体の気力がどれくらいかがわかるアプリが欲しいところだけれど、気力は時間のような定量情報ではないので、これはツイッターや手帳にメモを残しておくことで、手がかりとすることができるのかもしれない。



というのも、「前日に何を考えていたのか」ということはなかなか唐突には思い出せないものだからだ。何か気になるトピックがあれば、そこから芋づる式に記憶を呼び起こすことができるけれど、フックがない状態で「昨日はどんな一日だったかな」ということをすぐに答えることが難しい。



さらに、時間と気力の違いのように、この場合の「どんな」一日だったかということは、定量の情報ではない場合が多い。先述の「たすくま」は前日に実際過ごしたログを出力することができるのだけれど、その時どんなことを思い、何に気付いたのかということは、メモ情報で残せるようになっている。



・日記は自分に合っていた


色々とタスク管理術やアプリに手を出してみたけれど、単体でこれが自分にふさわしいというものは当然なくて、しかも自分の置かれた環境が変化するたびに、それぞれの使用頻度や重要性が組み替えられる。しばらく使ってなかったものを、久々に使うとずいぶん作業がはかどる。ということもある。



その中で、唯一変わることのなかったタスク管理術というか、変える必要がなかった習慣というのが、「日記と振り返り」だった。そこには明確なルールが存在しておらず、形式的に週1回はまとめて見直しているものの、それ以外はほとんど自由であった。自分しか読めないようにしたり、公開で投稿したりしながら、数年経った今振り返ると、ずいぶんと自分を助けてくれたような気がする。



その理由の一つが「失敗を振り返る」ことであるように思われる。自分のしでかした失敗というのはいつも恥ずかしく、情けなく、すぐに忘れ去りたいと思って実際にすぐ忘れる。これを時間を空けてから確認しなおすと、感情的なものは削ぎ落とされて、他人事のように教訓として学ぶことができる。それに、どうも同じような失敗を繰り返す傾向があるので、それならせめて被害を拡大させないようにだとか、予定にその分を組み込んでおくだとか、失敗することを前提とした対策を立てることができる。



そう考えると、どのように失敗するかということ、何ができないかということのほうが、自分の個性であるように思われる。何か特別に秀でたものがあるわけではない以上、足りない部分や欠けている部分のほうが目立つのは道理ではある。



・隠遁者の先達になりたい


どうも社会に出ている人たちは、みんな及第点かそれ以上で、特別目立って欠点のないように思われてしまうけれど、それは彼らが自身の欠点に自覚を持っていて、問題が生じないような振る舞い方を身につけているからなのかもしれない。



ということは、それまでに血の滲むか、少なくとも怪我の一つはあったような経験があったということでもある。そう考えてみれば、なるほど自分と同じ「他人とうまく関われない」タイプの人が、他人の前に姿を現すということもないわけだ。したがって、どこかに見たことのない同胞たちが潜んでいるのかもしれない、ということがいえる。



彼らに向かってではなく、まだ自分の欠点に気付いていないか、気付いていたとしても、こんなポンコツは自分だけだと運命と世界を呪っている人たちに向けてであれば、これは自分から言えることが何かあるかもしれない。



苦しみそのものは消えないけれど、苦しみの種類や総量を調節するための、具体的な手続きや行動はある。そういうことを説得力をもって言うには、まず自分自身がその道を往き、なかなか悪くないぜと手を振ってみせることではあるが、これは実現するとしても、まだまだ数年は先のことになるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る