駄文2018/01/01

・寝てた


やる気が限られていることの効果とは何だろう。年末年始の集まりを軽くかわして自宅に戻ってきたものの、人に酔ったのか、夜になるまで起きられなかった。



それでもまだ時間があるのだけれど、あんまり何もしたくない。ヘパリーゼの高い錠剤を買って飲んだし、風呂も入って寝たのだから、体の調子は良いはずだ。すると問題は精神的なものにあるのか、風邪を引いたか何かである。



一日のサイクルは明日からが平常運転になるので、やることの順番や順序は確かに狂っている。しかしそれだけで、日課に限らずゲームも何もしたくなくなるというのはちょっと不自然だ。



こういう時は体の方にアプローチするに限る。ということでデスクバイクを漕ぎながらこの文章を打っている。体温上昇からのカフェイン摂取で通常の午前中の状態にまで戻したいけれど、できることならカフェインは摂らずに済ませたい。



・手帳は良い


数日前から手帳を使ってみている。その時々に思いついたことを書き残しておくと、あとで何かの役に立つことがあるようだ。例えば30日の欄には



「善行や悪行によって追放される天国と地獄というのは、場所ではなくて現世における一状態のことではないか」とか



「人間は絶えず自分に都合の良いものを幻視しているが、その幻を取り払ってもなお快いものが『美』と呼ばれるのでは。すると美しいものとは人を幻想の重荷から解放しうるものということになる」



などとそれらしいことが書いてあって、今後もう少し具体的な事象に触れたりすると、ある程度まとまった文章になりそうな気がする。



手帳を開く時間が増えた分、SNSをぼんやり眺める時間が少なくなった。他者との関わりを求めているのではなくて、自分の思索のための因子を探していたということであれば、従来よりも自前で用意することができるようになれば、多少ロスも減るのだろう。



ただ、手帳に何かしらを期待できるのは、自分の精神状態が乱高下しているということが前提にあるのかもしれない。書き入れる時の自分と読み返す時の自分はほとんど別の人物だ。それでいて、他者の言葉で書かれたものを見るよりも、根底にある考え方のうねりに覚えがあるからなのか、解読コストが軽い。



きっと商業的に文章を作る人というのは、この解読コストを見事に操作していて、まるで考えているように読ませたり、意図的に濁らせて感情に働きかけたりできるのだろう。その所作を身につけられる気はしないけれど、せめて透視できるようにはなりたい。



・散歩と記憶


デスクバイクを漕いで体温が上がってきた。文章を作りながら運動をすることは、まるでぼんやりしながら外をうろついている時の脳の状態に近い。比較できるメリットがあるとすれば、すぐに自宅に帰ってこれる(自宅なのだから)という点が挙げられる。デメリットがあるとすると、これは景色が変わらないことだろう。



一時期はKindleに音声読み上げ機能を組み合わせて、それを聴きながら市内をさまよっていたのだけど、その名残りか、大通りと高架の交わるあたり(ペペサーレの前あたり)を通るたびに、内田樹「邪悪なものの鎮め方」のモーリス・ブランショについての内容を思い出す。



いや、これはちょっと格好をつけすぎていて、正確にはその内容ではなくて、それを聴いていた時の感覚だけを思い出す。景色というか地理情報、自分が立っていた景観というものは、映像などの視覚情報よりも、むしろ匂いと似たような、記憶との結びつきをしているような気がする。



当時は画期的な技術であったはずのものが「ローポリ」などとレトロニム(再命名)されるように、上の世代の人たちがレコードの針を落とす音に感じる郷愁と同じものを、配信のシャリシャリした音質や大仰な字幕が次の世代に与えるのだろう。受け皿としての人間側の記憶構造が大きく変わらない限りは、例えばVR技術が大きく進歩しても、その内容よりもヘッドギアの重みや起動音のほうが、一つのロケーション(景観)とみなされるのかもしれない。



・無気力アラーム


だいぶ調子が良くなってきた。水漏れを塞ぐように不調の阻害要因を取り除けば、あとは良い状態の再現に務めることが、作業効率を上げる近道なのかもしれない。といっても、好きでやっていることを再開できる程度までではある。



誰にも頼まれもせずに作り続けているこの駄文も、自分の考えを整理するという意味では、手帳に書かれたもののようであるし、また何度も読み返してその記憶を呼び起こすという意味では、景観を伴ったもののようであると言える。



できることならこれを何か生活に活かすことができればと思うけれど、今は「気が済む」という程度の効能しかない。しかしそれが自分に一番必要なものだったのかもしれないし、できるだけ続けていこうと思う。



冒頭で「やる気が限られていることの効果とは何だろう」と書いていたが、これは今になると察しがつく。精神と身体に何らかの問題が生じた時、それが大きくなる前に対処するには、やる気がすぐに無くなるという「アラーム機能」が有効であるということだ。



すでに大きな問題を抱えている場合はそれに注力しなければならないが、そこまで差し迫ったものがない限りは、すぐに不調になって諸々に対策を打つように促すほうが、長期的に有効であるということは分かる。



したがって、何か些細なことがある度に、しんどくなったり何もしたくなくなることは、これは一つの生存戦略であるといえる。集団活動には不向きであるが、自分一人で制御できる領域を増やしてやることで、全体の作業量を増やすことができるのではないか。そう考えると、少し希望が持てる。

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