駄文2017/12/28

・異界の錠前


認知そのものは、いかようにも変容させることができる一方で、そこに何らかのブレーキがかかるということの合理性も分かる。自覚しうる程度の意志によって自己の感覚全体を操作できてしまう人もいるのかもしれないが、そのような能力は少なくとも社会において標準的なものではない。



その力は異界の豊穣へと人をいざなうけれど、そこから戻ってこれる保証が無い。あるいは戻ってくる必要性が失われてしまう。この場合の「元の世界」というものがあるとすれば、他者と言葉と心を交わすことのできる場を指す。厳密にはそれさえも根拠をもたない幻の一種だが、一人で抱え込む幻と違う共有される幻、共有されるという幻と親和性を持つ幻である。



一方で「元の世界」に常に佇む人間というのも居ない。完全に共有されたまま固定された人間は、おそらく何らかの意味で「生きて」いない。ここでは共有されているかどうかの問題ではなくて、そのどちらかの状態が、揺らがない場合を想定している。共有された場に釘付けにされた人間、あるいは他者の眼前や記憶に、気配の一切すら顕さない人間、あるいはそのどちらかに近い状態に陥っている者は、異界に心を奪われているか、何かを忘れたまま戻ってきてしまったりしている。



心や失われた何かを取り戻すために、異界や元の世界を作り出しているもの、すなわち認知で出来た錠前を外せるものは、同様に認知で出来た鍵である。しかしその具体的な構造や関係性は、シリンダー錠の内部のように隠蔽される。つまり「自覚しうる意志」にとどまらず、「自覚し得ない無意識」が関わる事態になる。



開き方はわかっても締め方がわからない、または最初から開け方のわからない水栓のようなものに触れようとする時、ふさわしい戦略は少しずつ開けるとか、色々試すというような、影響と変化の速度に警戒したものになる。取り返しのつくように、逡巡する時間や、体を休ませる時間があるようにしなくては、濁流に呑まれる「魔法使いの弟子」になりかねない。



・毒を盛る


ではその栓が求める分だけ開くまでの間を、どうやって耐えればいいだろう。開かないかもしれない栓に力を込めて、しかも勢いに任せずに回し続けることは苦役である。苦役を乗り越えるための手段としては「対価発生の確約」「連体感や達成感の幻視」などが考えられるが、それらも認知の生成物である以上、ある場合には開錠を妨げる因子になりうる。



そこで認知や制御不可能な「無意識」を通り越して、身体性に働きかけることが有効になる。身体から無意識に「くすぐり」を入れることで、「なんだかせずにはいられない」ように仕向ける。これが習慣化と呼ばれるものの一部なのではないかと思う。



もちろんその場合も、影響と変化の速度に対する警戒は必要だが、認知のみで理想の状態を実現しようとするよりかは、同じ時間をかけた場合の期待度も違う。変な話、認知と身体性のどちらかだけで、無意識の領域にまで働きかけられればそれで良い。



体を動かすこと、ある姿勢を保つこと、食事、睡眠、生活の周期、そういうことを少しずつ、つまらない何の意味も無さそうな程度で変化させていくことで、毒を盛るように生活を変容させていく。



・通行証


一方で、少しずつでも急激にでも、変化を起こすことにおける大きな難関は、何をどう変化させるべきかを決定することである。その結果が必ずしも良いものになるとは限らないにも関わらず、また今までそのままで何とかやってきたにも関わらず、既存のものを破壊することを、開始できるだけの根拠や動機付けが、いつも見つかるわけではない。



漠然とした不安や不満を特定するか絞り込むかするだけでなく、想定されるコストを回避しないだけの(少なくとも今までの自分を基準にした場合の「人間離れ」した)揺るがなさも求められる。それは何度も揺らいでは元に戻るような、しなやかさや弾力性によって代替されてもいいのだけれど、別の世界への賭け事じみた跳躍であることに変わりは無い。



しかも着地した場所が、必ずしも他者に許容される「共有の大地」であるとも限らない。その異界から、彼の地より、狂人や魔物のように発見されてしまえば、次にやらねばならないことは「安全な狂人」や「無害な魔物」として振る舞うことだ。



これは変化にとっての広義のコストになりうる反面、我が身を守る強力な手段でもあるが、自分とは違う立場の相手と意思疎通を図るための前提という意味では、防具というよりもマナーに近い気がする。



万人万物を憎み、憎しみそのものに主体性を奪われて、己がその憎しみの装填する弾丸か何かにまで陥れられてしまったのであれば話は別だけれど、そうでない限りは、いたずらに他者を攻撃することは虚しい。同等に、単に異形と化したからといって誹りを受け続けることも術ない。



・冒険者の帰還


そう考えると、先述の「共有という幻(共有の大地)」にはマナーじみたものによる、相互の安全性の確保が通行証として必要なのかもしれない。すると裏返ってこれこそが、別の世界から見た「錠前」の一つであると言えまいか。



もちろん「私はあなた方にとって安全です。あなた方が私に対して(これから)そうであるように」という姿勢をとるということは、恐怖を伴う跳躍である。その跳躍が最初から可能な人間であれば、そもそも異界に踏み外すこともなかったような気もするけれど、その墜落した先で、何らかのクエストを解決した者であれば、あるいは可能かもしれない。




2017/12/27作業リスト


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