駄文2017/12/19

・脱力の効果


何かを成し遂げるぞと意気込むより、なんとなくやって出来たことの方が、自分で作ったものとは思えない出来栄えだったり、反応が良かったりする。



頑張って作ったものより、頑張った後に作ったものの方に、何らかの魔力が備わるということについては、主に漫画家さんの意欲作の次の作品がヒットしたり、本業ではないところからのバズだったり、 一定の傾向があるように感じられる。



もちろん、全ての作品が脱力ありきではないし、見えにくいだけで想像以上の努力と苦しみが、その作品にあったのかもしれないので、単に自分がそういう力学に興味があるということでしかないのだとは思うけれど。



・ノイズと呼び声


一つには、「頑張る」という態度が、少なからず受苦の性質を持っており、作業工程で発生したからといってそのまま完成品に、その印象や関連付けを残しておくことが最善ではない場合があるということが言える。頑張ったかどうかは、作品の良さにとってはノイズか、良さを妨げるものになりかねないケースだ。



作品が受け手の抱える苦しみを想起させるとしたら、それを解消するところまで持っていかない限りは、いたずらに苦痛を呼び起こすことになり、それが娯楽として成立する難易度も、数段上がってしまうように思われる。



もう一つは、隙があるということで、予想し得ない効果が生じるということかもしれない。良いものか悪いものかは分からないけれど、作者の意図としないものが滑り込み、作品の一部あるいは全体の意味を変化させる。



精力を注いで作ったものに憑依する力はあり得るとしても、全く意図しない方角から何者かの呼び声を引き受けるには、ふと力の抜けた(力を抜いて崩れてしまうことのない)しなやかさが求められると考えた方が、印象としてしっくりくる。



・あんまりいい一日じゃなかった


そんなことを考えながら今日を過ごしていると、小さな嫌なことが重なって、結局、夜になるまで自分のやりたいことができなかった。



そこから、別にそれでもいい。もともと何の義務でもない、毎日のいたずら描きやブレインストーミングが途絶えて何があろうか、あるいは続いたからといって何があろうか、などと捨て鉢な気持ちになってから、惰性でデスクバイクを漕ぎ出すと、聴いていたYOUTUBEのおすすめ動画も良かったのか、あることないことを、つらつらと打つことができてしまう。



強い心と高い志を持った人ならば、こんな雑念など唾棄すべきものなのかもしれないけれど、半分以上は人生にくたびれた人間にとっては、十分すぎる慰みになる。廃屋の暗がりや汚れた川の淀みから、得体の知れないものが、とろとろと流れて集まってくる。あぶくが弾けるたびに、中に詰まっていたものように、聴こえてくる、あるいは聞き取れない言葉がある。そういう場面を思い浮かべる。



要は生まれつきが隙だらけなのだった。周りは見えず、人の話は聞いていない。そういう人間が力を振り絞ってみても、おかしなことになるだけだ。おかしなことになるだけだった。



・諦めることについて


まだ将来に少なからず希望を抱く若者だった頃に、地元の写真家?の人から出し抜けに「どうしてそんなに全てを諦めてるの?」と訊かれたことがあった。その時は何だか誤解を招いたのだと思って、曖昧に詫びた記憶があるのだけど、思えば予言めいたものだったのかもしれない。



しかし、ある程度の厳密さをもって「全て」を諦めるというのは、体力的に非常に厳しいものがある。そこで自分の場合は「全てを諦めること」を諦めており、ほどよく諦め、都合よく諦め、状況によって諦めたり、諦めなかったり、諦めた素振りをしてみせたりするのが関の山だ。



そういう、脱力を通り越して無気力な人間というのは、有象無象の格好の餌食になる。おかしな夢、おかしな連想、おかしな人間に振り回されてしまうことがしばし続く。そのうちの人間に対してのみ、関係を断ったり、距離を置くことができる。



それに、妄想や幻覚についても、一定の制御が可能であるように思われる。そのために必要なのは、恐れや怒りを笑うユーモアであったり、そんな小賢しさも脈絡もいらない爆笑であったり、単なる暴力的な健康であったりする。



・必死の脇役


素晴らしい人間、素晴らしい方法論、そういったものは大いに結構ではあるけれど、その素晴らしさにあやかろうとする態度一辺倒では、単純に賭けとしてのリスクが高すぎる。そのうちの幾ばくかは、なんだかよく分からない、聞いたことのない、つまらなそうで不穏な何かの方に、分配しておきたい気持ちが強い。



それは、得体の知れない、意味の分からない、ほとんど意味のない物語によってしか、具体的に救われた経験が無かったからであるし、むしろ分かりやすさを伴った物語は、自分の参加を一時的なものとして許容すれど、そのうち幕間で行方不明になったり、伝え聞いたところによると死んでたりと、本筋と関係のないところへ退場を強いてきたからだ。



そのような世の摂理に対して、復讐めいたことは望んではいないのだけど、代わりに「多様性」でも「生物の中立進化説」でも何でもいいから、苦痛の少ない生を送りたい。もちろん二日酔いや風邪ぐらいはあってもいいから、むりやりに自分の存在を否定し続けないと耐えられないような、度の超えた苦痛を二度と受けたくない。



それでもどうしても、そんな受苦を避けられないのであれば、今まで培った全ての小賢しさと卑怯さと、くだらなさと無意味さを振り回して、戦うのしかないのだと思うし、きっとそうなるか、あるいは今がその時なのかもしれない。

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