駄文2017/12/17

・調子が優れずコーヒーを飲む


半日休んでも体調優れず、このまま時間が潰れるくらいならと思って、またコーヒーを飲みだした。家では際限なく何もしないでいられてしまうので、残り少ない年内は、もうカフェインの力を借りてしまおうと思う。



何もしたくないのであれば、それでもいいのだけれど、何かをしたいのにできない、という状況が続いていると、自尊心が著しく損なわれる。そのためにドーピングで一時的に可能になったことを、習慣付けできるように何らかのフックを残す、ということを試してみたい。



そういえばアルコールによってストレスが無くなることなどを指して、「デュオニソスの豊穣にあずかる」という表現がされることがあるけれど、それのカフェイン版を求めているのかもしれない。



ただ気をつけなければいけないのは、いずれにせよ酩酊状態なのだから、不用意な発言や行動を控えることだ。粛々と作業に勤しんで、その水準をあげることができたら嬉しい。ただし、これは毎日できることではない。肝臓が弱っているのか、相変わらず目の周りは黒い。



・2つの障壁


先日考えようとしていた、何かを始めることと、それを続けること(ここでは「物理的にその場で」で習慣化についてではない意味で)について、もう一度、思いを巡らせてみようと思う。



例えば、今は朝の日課であるスケッチやイラストをやりたいのに、どういうわけかできなくて、デスクバイクに乗りながらできる作業(この文章を作るなど)を先にやっている。



ここでお絵描きを妨げている要素としては「デスクバイクではできない」ということと、「テキストを作るよりもうまくいかないことが多い」の2つが大きなものとしてあげられる。



さらには、実家に行って楽器を練習・録音するという選択肢もあるのだけれど、これについては上記の2点が更に強い形で障壁となっている。



・同時に行う継続的動作について


まず、「デスクバイク」が意味するものは、「同時に行うことができる継続的な動作」である。そうすると、音楽を聴くということが、その一種類として該当する。人と会話し続けることもそうだろう(その場合はテキストに使う脳と混線が生じるが)。したがってお絵描きには、デスクバイクとは別の継続的動作が、それもバイクの乗り降りのように、中断することにコストが生じるものがあればいいように思われる。



音楽は既に聴いているので、それに加えて何があるだろう。煮込み料理か?いや、火を使いながら作業に没頭はできない。タイマーをセットするだけというのはちょっと弱い。コーヒーを飲むということは、動作よりも薬効に意味がある。



「同時に行うことができる継続的な動作」は、あくまで「やりたいがやれないこと」の開始と継続のための補助線のような役割を持っている。同じような補助の役割を持つものとして「習慣化」という方法もあるけれど、これは個人差があるが、例えば朝の習慣が朝のうちにできない事態が発生すれば、もうその一日は厳密な習慣が絶たれた「怒りと憎しみの日」と化し、そのペナルティとして習慣化が行われる以上に何もできない一日となる。



もう一つ考えないといけないことは、体のどの部分を使うかということである。テキストをキーボードから入力しながら、絵を描くことはできない。読書をしながら映画を見る場合も、これは交互に行うのが関の山であろう。手、足、耳、目、口、などの使用する体の部位が、重複しないような組み合わせでなければ、少なくとも自分の場合は難しい。



・うまくいかないことを恐れる心について


もう一つの障壁は、「やってもうまくいかない可能性」である。ただ、これについてはちょっと説明が必要で、この「うまくいく・いかない」という基準は、ここでは対外的な評価ではなく、あくまで自分の感じ方である。



先ほど、テキストであればお絵描きや楽器よりも「うまくいく」ような言い回しをしたが、これはあくまで自分の中の感覚の域を出ない。つまりこのテキスト群がどこに出しても恥ずかしくない、立派な文章であるようには、どうしても思われない。



しかし、同時に「それでいい」と思えてしまうのだ。これは文筆を生業にしてはいけない理由の一つでもあるのだけど、自分の作る文章の巧拙にこだわりを持つことが出来ない。なんか分からんけど自分で決めた文字数がクリアできればいい、という無責任な態度であって、これがお絵描きや録音になると、「もうちょっと何とかならんのか」という、こだわりというより「欲」みたいなものが出てきてしまう。



この「欲」があると 、自分の作品の不出来さに、自分で傷ついてしまう。それで人から中傷されるのと同様か、あるいはそれ以上のダメージを負いかねない。めんどくさい仕様ではあるけれど、おそらく自分の場合は、これ無しに技術の向上は見られないのかもしれないとも思う。



そう考えると、最近基礎練習をし始めてから、お絵描きに対する抵抗感が増してきたのだった。楽器では特にそうだけど、基礎練習というのはうまくいかないのが当たり前というか、どこが上手くいかないかを洗い出す意味合いが強くて、その度に自分を小さくでも傷つける振る舞いでもある。



ははあ、分かってきたぞ。自分は慣れないことをし始めたものだから、あまりに出来なすぎて、がっかりしてしまって、やりたくなくなっているわけだ。今回の「やりたいけれどできない」の正体は、「やりたいけれど失敗したくない(傷つきたくない)」だということか。



・まとめ


ということであれば、対策ははっきりする。自分に対する期待度をまず極端に下げ、従来よりも極端にコストの低い同類の作業を開始することだ。一度点いた灯火が消えたなら、木屑を擦って種火を起こすところから、またやり直せばいい。



その火を元の大きさに戻せてから、また松明に移して暗がりを行けばいいだけだ。すると引き返してきた(やる気がなくなった)のは、何かに食い殺されることへの恐怖であって、その危惧は直感的に、当たらずと雖も遠からず、という気がしなくもない。



そしてその行程を補助するもの、番犬やカナリアとして、あるいは友として音楽や運動がある・・・などとたとえ話が多くなってきたけれど、これは自分がカフェインを摂取した時の特有の傾向だった。単に「酩酊」し始めているだけなのかもしれない。

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