駄文2017/12/11
・天気が悪い
こちら帯広は昨日からの積雪で、大きな通り以外は路面も悪く、それでも用事が立て込んでいるので、夕方からまた車に乗って外出する。
土地がとにかく広いので、とくに冬季は自家用車がないと不便でならない。本も読めず、携帯もPCも触れないので、運転はあまり好きではない。
シェアハウスが北海道で流行らないのは、この雪と広さのせいではないかと思う。大きな家は暖房がかかるし、車は維持費がかかる。駐車場も複数台分必要になるし、その雪かき作業も発生する。一台を我慢して乗り回しにしたとしても、では保険はどうするのだということになる。
そしてシェアハウスというのは、ひとつの地域に複数あってこそ真価を発揮するのではないだろうか。状況や状態に合わせて、自由に行き来できたり泊まったりできる、そういった地域性があれば・・・などと考えていて、ここで自分が「シェアハウス」と呼んでイメージしていたものは、どちらかというと「ギークハウス」とか「リバ邸」のような、一部の特殊なシェアハウスだったと気づく。
単に共同生活を前提とした物件であれば、帯広にも1件あるようだけど、家賃はあまり安くない。さらにネットを眺めてみると、北海道でも夕張に1件ギークハウスがあったようだ。ただ、主催の人が別の場所に移ったようで、現在どうなっているのかはわからない。
・シェアしたいわけではない
そんなことを言っておいて、自分がシェアハウスに入りたいのかというと、全くそんなつもりはない。そもそも他人と関わること、特に人前に姿を晒したり、言葉を交わすことが苦痛である以上、家族以外の人と共同生活するということは考えられない。
あるいはシェアハウスを運営するのだって、住民の一人一人と顔を合わせなくてはならないし、トラブルにも対応しなければいけないのだ。自分のキャパシティからして、すぐに音を上げる未来がうっすら見える。
ただ、自分とは違う生きづらさや問題を抱えている人に、何かできたらいいな、という気持ちはある。この場合は投げ銭や寄付という距離感が、一番妥当であるように思われる。
・ライティングの話
従来は、働く場所と働き方は分かち難く結びついていたが、最近は在宅ワークのためのインフラが整ってきたようなので、来年から単純作業の請負くらいなら、なんとかできるのではないかと思っている。
一度ブログ記事作成の在宅ワークに挑戦してみたが、元々存在している他所の記事の内容を組み合わせて、似たような記事を作るというものだったのでがっかりした。これではネット上にジャンクな情報を増やすだけだし、それによって自分がどれだけ迷惑しているかを思い出し、すぐ辞めてしまった。
同じジャンクなら、自分で生み出したジャンクのほうがまだマシだ。社会にとってはどうかわからないけれど、少なくとも自分にとってはマシだと思う。
・・・というところまで文章を打って、外出して帰宅。案の定、いたるところで重機が除雪をしていた。
・選択と世代
住む場所にしても、仕事にしても、それが上手くいくかは別として、自分で選択できる世の中というのは有難いことだと思う。
選択という行為においては、その主体である個人が、どれだけの判断能力を持っているかが、その有用性を左右する。若い人たちが、まだ「学のない」人間だった頃、経験のある年長者たちが、その職業や住居、婚姻相手に至るまでを決定する、つまり本人に選択の余地を与えない、という風習があったことについては、一応の妥当性があったのかもしれない。
しかし情報インフラの発達によって、基礎的能力を備えておれば、必要な情報を手に入れやすい社会になった以上、どんなに失敗する可能性があったとしても、本人の選択権を認めないことに正当な理由を見つけることは難しい。年長者ができることは、その経験から「アドバイス」をするか、自分の立場のために「懇願」するかであって、上の立場から「命令」することはできない。
経済的な主権を年長者が握っている場合においても、可能なことはそれを引き換えに行う「交渉」までだろう。交渉が決裂すれば、若い人は家を出ていく、それを命令によって引き止めることが可能な家族関係が存在するとしたら、子供は親の言うことをいつまでもきかなければいけないという「洗脳」がなされた(あるいはその洗脳が年相応までに、別のものに更新されていない)家族においてではないか。
そう考えると、時代の移り変わりによって自分が子供であった頃と、自分が子供をもった時との価値観が大きく変わった世代というのは、その板挟みに合っているように見える。良し悪しは別にして、親から受けたものを子に伝えるという仕組みがあったものが、ここに来てうまく作用していない。いや、実はそういった齟齬はいつもどんな時代にもあって、それをどう接続し直すかということは、それぞれ個人が抱える問題の一種類に過ぎないのかもしれない。
・花咲かし
人間の一人一人が、その唯一性においてかけがえのない存在であると言える根拠には、抱えている問題とその解決に用いることができるツール(能力・情報)が、決して誰とも一致しない点が挙げられる。つまりこの世に一つだけの問いを抱え、この世に一つだけの解決可能性を内在しているということである。
けれど、「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」わけでもなくて、別の花を優先したりだとか、咲かせてはいけない花は咲かせないようにするとか、そもそも咲かせるべきなのかを議論するとか、だいたい「花に対して一生懸命になる」とは何なのかを思索するとか、そういう面倒でつまらない振る舞いの連続の中で、疲弊してまどろむうちに、この世に一つとない花の咲く幻を見るとか見ないとか・・・
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