駄文2017/12/09
・その1
自分を含め、その場の空気や面子によって、人の態度や考え方が変わるということがよくあって、そこから人間の意識というものが実は存在せず、生物的な個体の枠を超えたもののほうが、主体として効果を発揮しているのではないか、ということを以前から考えている。
人間の脳が神経回路の結びつきであるならば、もっと大きな別のネットワークが、どうして意識を持たないと言えるのだろうか。でもこういうことは、確か脳科学者の対談集にも載っていたような気がするので、受け売りではある。
現代では従来の人間同士の結びつきを、情報技術がさらに加速させているうちに、その情報技術そのものが、人間を凌ぐ「意識」を作り出そうとしている。という流れの中に、人工知能の議論があるのかもしれない。けれど、こういうことは本当に門外漢なので無責任なことは言えないなとも思う。
責任といえば、これは生物的個体としての人間、あるいはそれを前提とした集団に付加される社会的通念で、一個体(一団体)の連続的同一性を根拠にした規律の一つとして、不文律として太古の時代から存在したものではある。
さらにこの責任の根拠は、自然物が抱える因果関係だけではなく、相手が概念上の存在(神さまとか)であろうが目の前の人間であろうがお構いなしに束縛しようとする「契約」、もっと言えば「呪い(のろい・まじない)」にまで遡る。
しかし契約にしても呪いにしても、その拘束力を担保するものは、個体同士の関係性が決して途切れず、常に、あるいはいつでも影響を与え合うことができる、という前提ではなかろうか。
「地の果てまでいっても解けぬ呪いを」などと言われた主人公が、実際に地の果てまでいってみると、そこには呪いを解く技術者が住んでいたり、急遽人助けのクエストが発生したりして、そこで禊を済ませることによって、元の影響力の存在を無かったことにできる。という冒険譚は古くからあるので、出来ない約束をしたり、人の恨みを買ってしまって困っている人というのは、いつの時代にもいたのだなと思う。
直接の付き合いよりも、かえってインターネットは情報が残ってしまうので、そこでかけられた呪いというのは、世界の果てにいってもなかなか解きにくくなっている気がする。
あるいは禊のために必要なものが、「冒険」とは違うものになってきているということなのかもしれない。などと自分で言ってみたけれど、では「冒険ではないもの」とは何なのだろう。
一つは「生活」ということがある。血のたぎる挑戦と危機、熾烈な戦いと溢れる情感、そういうものとはあまり関係のない、慎ましい日常の繰り返し。これは修道院とか寺院とかに通じる指向性でもあるように思われる。
もう一つには「無為」ということがある。何もせず、名乗らず、姿を晒さずに、人々の忘却を待つ姿勢で、インターネットは情報が残るとはいっても、その情報そのものが意味を失うような、撹乱、無関心、あるいは古い情報を上回る価値の発生、古い情報の意味を書き換えるものの発生を、ひたすらに待つ。結果的に、時間の経過を含めた外部の何かに救いを求めようとする指向性という観点では、これも修道院とか寺院とかに通じるように思えてしまう。
かえってそういう敬虔な態度のほうが、荒ぶる物語よりも禊としての純度?が高いのかもしれない。というところまで考えて、いったん休憩。
・その2
みたいな文章を前倒しで作ってて、一日経ってから読み直してみたけれど、あまり目新しさがない。フレイザーの頃からこういう議論は緻密に(自分の脳がついていけないくらい緻密に)行われていたはずで、それを今ここで語ってみても、どうなんだべという感じがする。
そもそも、まともに原典にあたらずに、自分の感覚だけでこういうことを言っていていいものなのだろうか。言う言わないは自由かもしれないし、意味も価値もあんまり期待はしていないけれど、誰かをいたずらに傷つけるようなことは、あってほしくない。
それはどんな文章にも、どんな発言にもある可能性・危険性であって、それが証拠に現実社会やSNSでは、意図せず(あるいは意図して)他者同士が傷つけ合っている。
いや、もはやリアルとネットを切り離したこんな言い回しが、ちょっと恥ずかしくなるくらいに情報技術はインフラ化していて、その違いは分野によっては無視してもいいのかもしれない。Twitterと関連付けしてドゥルーズを論じる本を買ってちょっとずつ読んだりしていると、例えばデジタルネイティブな人たちに対して、何か後ろめたいような、敵わないような気がしてしまう。
情報技術を支えるものの一つが高等数学であるらしく、さらに新しい技術を支えるものが哲学であるとして、その時代はもうとっくに来ているのだろうか。それともずっと昔からそうなのだろうか。
移動時間というものが嫌いだから、早く国内でも自動運転車が導入されて、読書したり仮眠したりしながら移動するのを夢見ているのだけれど、もし自動運転車が事故を起こした場合の責任というのは、いったいどういうものになるのだろう?責任、契約、主体、技術、哲学・・・
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