駄文2017/12/08

・ライブ鑑賞した


昨日は弾き語りのライブを見に行った。その人の演奏は思えば7~8年前から聴いていて、年に1度、多くて2度、この辺境の地に来ては、去っていく。



たまたまお店とのつながりで、久しぶりに遭った知り合いと話していたところ、「こういう(流浪の)生活に憧れますか?」と尋ねられ、いや、逆に本物のそういう人に出会っていると、自分には真似できないと思い知りますね。と答えた。



大学生時代、部活の同期で一番楽器が上手かった友人は、その腕でプロとも何度も共演した結果、公務員になった。多くは語らなかったけれど、音楽を生業とする人たちに直に触れ続けて、思うところがあったのかもしれない。



自分も一時期は無理をして、地元での演奏会を主催していた時期があったが、もう同じことはできないし、しようとも思わない。せめてもの思いで、連絡を受けて予定が合えば、一観客として参加することにしている。



・さまよわず、うろつきたい


phaさんの「ひきこもらない」「持たない幸福論」を読んだ時も似たような感想を持った。どうしても「流浪」ということについては、やれと言われてもやりたくないし、あまり自分の中にそういう発想がない。



仕事の関係もあり、転居はちょくちょくしてきたけれど、自分の生まれ育った街の外に住むことに、なぜか強い抵抗がある。大学生時代は別の街に住んでいたけれど、就職して戻ってきてからはそれっきり出たことがない。



住まいを移すまでいかなくても、旅行だとか、遠出ということはあり得るだろうが、極端に言ってしまうと「移動」が嫌いで、どうにかして移動時間を短縮して生きていけないかと思う。



そのくせ散歩と称して、あてどなく近所をうろつくのは好きで、これは移動というよりも仮眠に近いような、思考のうろつきに体も同調しているような有様である気がする。



・帯広


で、その街がどこかというと、北海道の帯広である。幕別・音更寄りの北東から、稲田・芽室寄りの南西のあたりまで、転々としているうちに10年が経ってしまって、色々と様変わりしてきたけれど、相変わらず自家用車が無くては生活しにくい、だだっ広い土地で、今年も除雪が追いついてない。



とりわけ「帯広を愛している!」というような熱意もないけれど、なんとなく「ここを離れない方がいい」という感覚があって、それには実家があったり、知り合いがいたりというような利便性とは、またちょっと違うものが作用している気がしている。


その感覚は子供の頃からあって、どこから来ているのかはよく分からない。



・宅録について


音楽の話に少し戻るのだけど、来年からは日中少し時間ができるので、実家の空き部屋に楽器を全部持ち込んで、小さいミキサーとアンプをつなげて、歌を歌ったり、曲を作ったりしている。一人でやる場合は多重録音という方法もあるけれど、kishibashiやandrew birdが好きなこともあって、ループマシンで音を重ねてトラックを作っている。ミキシングなどの編集作業が苦手というのもあるかもしれない。



地元の数少ない友人に、自分とは逆に編集作業が大好きで、演奏よりもミキシング等をずっとやっていたいという、おかしな公務員(なぜ音楽的な才能を持つ人々は公務員になるのか)がいるので、将来的には彼にお願いして、それらしい音源を作りたいと思うけれど、当分はiPhoneのボイスメモで録ったジャンクな音源を、soundcloudなどに延々アップするというのをやっていきたい。



自分にとって宅録の魅力は「他人に会わない」ということと「荷物を伴う移動が無い」ということで、これは上記の全国を旅してライブをする人たちとは、真逆を向いているといえる。



・音楽と演奏者について


人前で堂々と演奏する人々を眺める機会が多く、その度に自分は人前に現れずに、その音楽だけを提供するスタイルのほうが向いているなと思っていた。また、リアルタイムの「ライブ」よりも、録音を発表する方が好みで、自分が音楽を消費する場合も、ライブに出向くより、SpotifyやYoutubeなどを使うことの方が多い。



どちらが良い・悪い、というような話はしたくなくて、ただ、自分の場合はこうだということで、もっと言えば、自分の作った曲を、自分ではない誰かが演奏してくれるようなことがあれば、それは自演するものよりも、より良いものになるのではないかとも思っている。



そう考えると、「どうして音楽をやるのか」という問いについては、「自分の頭の中で鳴っている音楽を、どんな形でもいいので、世に表出させたい」という欲求に依る、と答えることになるだろう。



それを今、自分一人で部屋に篭って録音しているのは、主に時間と費用という物理コストと、人前に出る・移動するという精神コストを削減するための、とりあえずの方法なのだと言える。



・おわりに


思いつくままに文章を作ってみたら、本当にとりとめのないものになってしまった。こんな調子で、できるかぎり毎日2000字程度の雑文を作っていこうと思う。これが何になるのかはいまいちわからないけれど、何か明確な目的があることよりも、こういう曖昧模糊としたことのほうが、やはり良し悪しとは別に好きだ。

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