セルリアンブルーの姉弟

イフリート…それは炎を司る精霊にして、筋肉のたくましい男の姿をしているとされる。人の姿であればあるほど強力な精霊だと言われている。

実際イフリートは上半身は人であるが、下半身は煙に包まれているか、蜥蜴のようなしっぽを持ち足がなくて浮いている姿でかかれることが多い。

大きさは、人よりも若干大きめであるらしい。

学び舎では主に魔術の中級者~から扱うことが一般的である。


一方、サラマンダー。

炎を纏う蜥蜴のような精霊であり、マナから精霊に変化したての微精霊とも言われる。

蜥蜴のようなと言われる位なので、サイズも小さく、大きくても小さい子どもが抱えられる程のぬいぐるみ程度。

学び舎では扱いやすいため、初心者が練習するために呼ぶことが多い。

だが侮るなかれ。炎の精霊は元来気性が激しい個体が多い。無茶苦茶なことをすれば、たちまち君の身に返ってくるであろう。

気付いたら大切なものが燃やされた等ないように、常に炎の扱いは慎重にしておくことをオススメする。





「はあ?!……そう、だからサラマンダーだって……、ああ、中級召喚術式のはずが…巨大な…」


ニールは悪態を付きつつ、通信用の魔法具でサハラに連絡をとっている。

それだけではない。彼は精霊が広場外へ出ないように結界を張り、ラルクには燃えている建物に水の魔術を飛ばして消火をするように頼んでいた。

アリスには広場にいた人々の避難誘導を頼んだ。これを一人で判断し指示を飛ばしているが、ニール本人からすれば、兄の隣で彼の仕事を見ていた経験から見よう見まねでやっているため、やれることをやっている感覚でしかない。


ウルフが広場で召喚したのは、イフリートではなく巨大なサラマンダーだった。初心者にも扱いやすいサラマンダー、とはいってもサイズが規格外だった。すぐにウルフの制御を離れて、勝手に広場で暴れ出していた。

時計塔程の大きさの炎を纏った爬虫類が、口から火を吐き出しては建物を燃やしていく。まるで怪獣映画のような光景だが、サラマンダーが辺りに放射している熱が、嫌でも現実なんだと思わせる。


身を守るのを優先だとニールに言われたリィルだったが、皆が頑張っているのに見ているだけは出来ないと思った。

今までは、お祭りをめちゃくちゃにされるのが、こんなに悲しいと思わなかったのだ。けれど今日の経験で、大勢の人々の笑顔を見ることが出来た。とても、楽しかった。


(だから……)


手を組むと祈るように『水の乙女よ…』と願う。

リィルの手のひらから、淡い光が生まれて辺りに散っていく。すると、広場全体光の粒が拡散されると、瞬時に青い膜のようなものが張り巡らされていく。


「なにこれ、ひんやりしてる」


ラルクは建物を触って驚いた。

対、炎に有効な水を使った防御膜だ。これで、よっぽどでない限り、守られている物が炎で燃やされたりしない。せめて被害を抑えようとした少女の祈りが通じたのだ。


「よし。…兄貴が広場で食い止めてくれってさ。神殿の兵士を派遣するって……なにこれ!」

「水のベール張ってみました」


ああ、うんありがとうな。とニールがリィルに微笑む。巫女の力は消費が大きいので、あまり使わせたくなかったけれど、今さらそんなこといってられなかった。それに、やってしまったものはしょうがない。

遠くから走ってきたアリスは、ココットと共にやって来た。姉のほうは、近くで固まっているウルフへ駆け寄っていった。


「観光客、店の人達、一般人。とりあえず安全な場所に避難誘導したわ」

「手際いいですね…」


マリーさんの厄介事に比べたら何でもないわ、とアリス。

戦闘が得意でも仕事でもない三人が、荒事やアクシデントに慌てず対応していて驚いていたリィルだったが、何となく納得してしまった。そういえば、わたしのことをすんなり受け入れてくれたのも、その辺なのかもしれないと彼女は後から思った。


そしてラルクはと言えば、ポケットから長方形の小さな箱のようなものを取り出す。銀色に光るそれには、側面にいくつもの穴が空いている。


「……それ、は?」

「うーん、上手く出来るかな」

「上手く出来るかな、じゃなくてやってくれ」


リィルが目を丸くする。困ったような少年に、ニールはその背中を押す。

ラルクはどうしようかと思いながらその楽器…ハーモニカを見つめた。


「ラルクは、そのハーモニカを使って、暴れた精霊を抑えることができるの」

「先にいっとくけど、父さんの真似事だから!」


アリスの言葉でリィルが期待しているような気がしたので、先に断っておいた。

ホントに大したことはないのだ、要は只サラマンダーの前でこれを演奏するだけなのだから。



******



ココットが駆けつけた時、普段厳つい風貌をした彼が、頭を項垂れてがっくりと膝をついていた。

妹のアリスからそれとなく聞いた話では、精霊を召喚するなんていう、無茶苦茶なことをしたらしい。


「……何でだ、こんなはずじゃ……」


あまり反省してなさそうねと思ったココットは、ふうと息を吐くと

えいや、と凹むウルフの脳天をチョップした。


「こんなはずじゃ…、じゃないでしょ!」


呻くような声を上げたウルフは、ココットの声を聞いてさらに凹んでいく。


「ただでさえ脳筋なんだから、頭を使って何かしようということが間違いなの!」

「……返す言葉もない、っす…」


更にココットは続けた。

しかも得意でもない召喚術とか使って。どうせ周りが使ってるから、とか軽い気持ちだったんでしょ、と叱った。

ウルフは筋力があるだけで、そもそも魔術の適正が低い。せいぜい、お湯を沸かしたり、風でゴミを集めたりといった『生活魔法』を操れるレベルだ。どこで召喚術を覚えて来たのか、不思議になってくる。

ウルフは土下座で彼女に『……すみません!』と謝った。

ココットは、よし。とひっそり首肯く。

ウルフは厳つい外見で人をビビらせてしまい、相手の方が先に謝ってくるため他人に謝ることを知らない。

そんな彼を素直にしてしまうのは、彼女がカラテなる武術を習得しているのを知っているからだ。

ココット自身、彼に対する言葉が辛いのだが、出来の悪い弟みたいなものだと思っているからだ。


「…ばかね。マリーを探していたのなら、本人を探せばいいじゃない」


そんな回りくどいことして、と訊ねればウルフの俯いていた顔が、がばっと上がる。


「なっ!」

「どうせ今日は『星刻祭』だから、探したかったんでしょ。好きな女にお花を渡されたいから…」

「なんで知ってーー!!」

「……あら意外。結構ロマンチストねゴリラの癖に」


ココットの言葉の応酬に、ゴリラことウルフは再び頭を抱えた。

少しからかい過ぎた、なんて思いつつも、ウルフの様子を見ればマリーへの気持ちなんてまるわかりだった。

まあ、マリーを狙っているのはもう一人いるけれど……あれに彼が勝てる気がしてこなかった。あれもなかなか人じゃないし。

ココットは決めつけは良くないと思いつつも、なんだかウルフが哀れになってきた。


「なんか可哀想だから、私がお花あげようか」

「…そんな理由はいらねえ」


なんてひどいやつだ。せっかくあげると言ってあげているのに。

と思っていると、不意に澄んだ音の曲が流れてきた。

その方向を見れば…。

次の瞬間、ココットはウルフの顔を持ち上げて、上に向かせた。


「……うお!?」

「ほら。年下が頑張っているのに、まだ落ち込んでいるつもり?」


そう言うと、彼女は強引に視線を年下の少年少女達の方へ向かせた。

……巨大なサラマンダーと対峙したラルクは、ハーモニカを奏でていた。



******



『ただ吹くだけじゃだめだ。ちゃんと自分の気持ちを込めるんだ』


父の言葉は、いつも難しかったような気がする。

小さな頃、体が弱かったおれは英雄と言われた父から体術や武具の扱い方を教えてもらったことはない。魔法は母と神殿の大司祭さまが教えてくれた簡単なものしか知らない。


唯一教わったのがこれ、ハーモニカの吹き方。

優しく綺麗な高音が旋律を紡いで、それはメロディとなる。

この巨大なサラマンダーに効くのかわからないけれど…。今まで小さな精霊や魔物を落ち着かせる事はやってきた。

…けれど、こんなのどう見ても規格外だよな。

ちらりとサラマンダーを見るけれども、今のところは、ニールの張った結界に炎をぶつけて暴れてる……。


「……ほんとに効いてるのかこれ!?」

「曲を止めるなよ!」


だってさ、ほんとに……と、幼なじみの方へ振り返っていたおれがサラマンダーの方へ向き直ると、

ぎょろりと、サラマンダーの目がおれの方へ向いた。


「……あ、やば」


奴は、すぐさまおれの方へ口をがばっと開いた。サラマンダーの口の中に、オレンジ色の炎の塊が見える。まさか、燃やされる……?!

避けきれない、せめて防御を張ろうとした、次の瞬間。


奴の口の中にあった炎の塊が霧散していた。


「……え?」


更に、空中から青色の弾丸が飛んできた。それは真っ直ぐにサラマンダーのお腹に着弾する。さながら流星のようなそれは、水の弾丸だったのだろう。

すぐにサラマンダーの纏う炎に作用して水が蒸発、水蒸気となって辺りを霧が包み込んだ。


「…あたしが隠れていたからいいものを。何をやってるのよ」


せっかく雲隠れしていたのに、これじゃあ出てくるしかないじゃないのよ。

と呟きながら。ラルクは、この聞きなれた声の主に驚いていたが、半ば確信していた。

いつもタイミングよく現れるんだよなあ、この人は。


「どこにいたんだよ、姉さん!」


銀色の長いストレートロングの髪に、青い瞳。ラルクと同じ髪と目の色を持つ姉、マリーがロングライフルを携えて現れた。


「そんなの秘密よ。一応ね、リィル様に危険が及びそうな時に備えてこんなもの用意したけど」


と、ロングライフルをこんこんと叩いたが、彼女はそれを足元に置いた。


「……ま、弟のピンチの役に立ったからよしとしましょうか」


にやりと強気に微笑み、彼女は空中から剣を片手に一つずつ取り出した。


「…なにするつもり?」


マリー曰く、基本は初心者向けの精霊だけど、ちょっと魔力を取り込み過ぎてる。だから、と続ける


「あれから魔力を削ぎ落としてやるから、ラルクはもう一度ハーモニカ《それ》 を吹いて」

「……でも」


俯くラルクに、マリーは…からからと笑っていた。


「やれるわよ。だって、あたしがついてるんだから」


姉のそう言う所がめんどくさいけれども、なんだか心強いと思ってしまう自分がいた。

だから、ラルクは少し間を置いて頷いた。


もう、しょうがないからやってやる。

ラルクはハーモニカを持つ手に力を込める。青く輝く瞳に光が戻った。

そろそろ霧が晴れる、ラルクはハーモニカを吹くために深呼吸を一つした。


「おれが失敗したら、姉さんが倒してよ?!」

「大丈夫だって。…ま、あれを倒すのも楽しそうね」


マリーは涼やかなセルリアンブルーの光の中に、炎に似た煌めきを灯した。

懐かしい音色が流れるのを合図に、霧が晴れていく。




ーーーこの日、ディオールの広場に居合わせた者は、後に語られることになる伝説の一端を目にしていた。


突然変異で現れた巨大なサラマンダーの出現で、あわや星刻祭が悲惨な状況になりかけた時だった。

ある楽器の音色で暴走した精霊を鎮めた少年と、そのサラマンダーを相手に2つの剣と生身で渡りあった女性の姉弟の姿だった。


繰り出される炎の塊を華麗に避け、水を纏わせた刃で、確実に力を削ぎ続けた姉もそうだが。

ハーモニカの音で精霊を落ち着かせた弟の方は、後に英雄と言われた父よりも語られることとなる『海竜に愛された少年』の物語はここから始まっていたのでは、と歴史学者達が語るほどである。


これから彼が、ひょんなことで二つの国と2頭の竜、果ては国家規模の陰謀に巻き込まれていくのを、誰が想像しただろうか。

……それはまだ、先の話である。

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