逃げてきた訳、少女の探し人

「……不潔ーっ!」


ばちーん!!

高い音が秘密基地の中に響いた。ニールはアリスの平手打ちを頬にくらって、ぱったりと倒れ込んだ。

え、何が起こってるの?!ちょっとついていけないよ!?

とりあえずおれは、床に突っ伏す青年の方に駆け寄った。よし、生きてるな。アリスの平手打ちは痛いから、打ち所が悪いと危険なんだ…。


「……ニール?おい、大丈夫か?」

「お兄ちゃん!しっかりして下さい!」


ん?

違和感を感じて隣を見ると、緑色の髪の少女が青年に駆け寄っていた。


「……えーと、……妹さん、だったの?」

「あ、……ええと、その…」


平手打ちした本人が、困惑しながら女の子を見ている。

こいつの妹はいるけれど、確か生まれてすぐに『月と海底の国』に預けられて、そのまま帰って来てないんじゃなかったっけ?

おれは、ニールの平手を受けた方の頬に手をかざして、魔力を集めるのに集中する。淡い光が手のひらに集まると、赤くなっている患部を癒していく。治癒術は、おれがまともに使える魔法の内の一つだ。

喋れるようになったニールは、制すように口を開く。


「いてて、…妹じゃないけれど、そうでもないといいますか…」

「なによそれ」

「その、ええと…わたし、生まれてすぐにお兄ちゃんの妹さんとされて神殿で育てられてるのです」


え、何、どういうことなんだ?

少女の言葉がいまいち飲み込めなくて、アリスと目線を合わせて二人して首を傾げていると、ニールは頬を押さえながら口を開いた


「あーつまり、この子は『海底の巫女』なんだよ」

「……え?」


巫女とは、神殿の頂点に立って、この国を守っている人……が、

こんな自分と変わらない年の女の子だったのか!?


「……は?……君が……巫女?!」

「気持ちはわかるが、落ち着け」

「その、するとニールはずっと前から巫女さまを知ってたの?!」


おれとアリスは二人して、じーっとニールを見つめた。ニールも、もう隠し事が出来ないと思ったのか、少し考えてから


「……わかったよ、俺の知ってる事を話す!」


…とにかく、まずそれを食べようぜ。せっかくこの子に持ってきたんだろと言われて、はっとした。

急にびっくりし過ぎて忘れかけていた。


「あ、ごめんな……ええと、巫女さま?」

「あ、あの。ありがとう、ございます」


慌てたおれは、少女に果物を差し出す。すると少女がびっくりしてしまった。


「これ、りんご……好きじゃなかった?」

「……いえ、そんなことなくて…」

「こらラルク、りんごをむくから貸して」


いつの間にかアリスの手には果物ナイフが握られていた。


「男の子じゃないんだから、丸かじりで食べさせてどうすんのよ、もう」


なんでおれ、怒られてるんだろう。


「…姉さんは、いつも果物を丸かじりしてるんだけど」

「マリーさんと他の女の子を一緒にしないの」

「ええええ……」


なんか釈然としない気がする。


アリスは器用な手捌きで、りんごの皮をむく。一緒に買ったオレンジも、食べやすい大きさに切ってお皿にのせていく。

ニールも魔法を使って飲み物を取り出していた。……しかも瓶ごと、だと?!


「どっから出した」

「うちのキッチンとここを繋げて貰ってきてやったんだ、まだ冷たいぞ」


兄が兄なら弟も弟なんだよな。

ニールは難しそうな魔法をあっさりと使う。しかもごく当たり前に。神官じゃなくて、魔法使いになればよかったのにな、こいつ。

手渡された飲み物の入った瓶は、まだひんやりしている。


「ニールったら、また魔力の無駄づかいして」

「あーいいな、俺にもりんご剥いて」

「この子にあげるついでに剥いてあげたわよ」

「サンキュー、けっこう可愛いところあるよな」

「はいはい、黙ってさっさと食べて。黄色くなっちゃうから」

「誉めたのにスルー?!」

「いつものことだから気にすんな」


どうどうとニールの肩を軽く叩いた。奴はおれよりも背が大きいからか、改めて年上なんだなと実感してしまう。

そんな事を考えてると、ニールは不思議とにこにこしていた。どうしたんだ、なんか気持ち悪いよ。


「アリスを連れてきてありがとな、えらいぞラルク!」

「ついてきただけだけど…」


……別にニールのためじゃないんだけどな。これは、聞いてないな。

ずっと片思いしてて、なんやかんやとアピールしている(らしい)けれど、アリスにあまり相手にされてないのだ。


「兄貴の頼み事だし、あまりやる気なかったけどさ、好きな奴がいるとモチベーション回復するよな!」

「単純だ!」


……それはそれでまあいいか。好きな人がいるだけでやる気出すニールもどうかと思うけど。


まあ、モチベーションはすごく大事だ。




******


しゃく、しゃくと少女が果物を咀嚼して、飲み込んだ。

お腹が空いていたのは本当だったようで、あれから持ってきた食べ物の半分以上を平らげてしまった。


「……ごちそうさまでした」

「いい食べっぷりだったね」

「だよな」

「お、お兄ちゃん…!」


巫女さまは、ニールの方を向いて真っ赤になってしまった。


「……」


思わず、呆気に取られた。巫女でもそんな顔をするんだ。

神殿の式典で街の人達の前に出てくる巫女は、もっと冷たくて無表情だったから。本当はおれ達とあまり変わらない、普通の少女なのかもしれない。


それじゃあ落ち着いたことだし、とアリスが茶髪の幼馴染みと少女の方に向き直した。


「巫女さま、で間違いないのよね。…失礼ですが、あなたのお名前は?」


それに、小さく頷いた。


「わたしは、リィル・レイティスと言います」


すみません、お名前は…と続けた少女に、あ、ごめんなさい。こっちもちゃんと紹介してなかったわ。とアリスが慌てていた。言われてみれば、自己紹介をしてなかった…。


「私はアリス・フィーノ。で、そっちが」

「ラルク・マルカート…です」


ニールが巫女さまに、補足してマリー姉の弟さんだと伝えてるみたいだ。

すごくやめてほしい。姉さんの身内だって思われるの、あまり嬉しくない。…しかも、巫女さまがおれを驚いたように見ている。

まさか、姉さんがおれの事で何か言ってたのかもしんない…!


「……あの。姉さんが何か言ってた?」

「え?……ち、違うの。髪の色がマリーと同じだなと思って……!」


姉弟だから、似るに決まってるよ。

そう返すと、巫女さまは困ったように笑っていた。……やっぱり姉さん、巫女さまにも何かやらかしてるのか?!

とても不安になってきた。


「それで、ニールは彼女と知り合いなのね?」

「さっきも言ったけど、うちの妹と巫女……リィルちゃんは、特殊な事情でされてるんだ」

「特殊な事情?」


ニールは言う。

太陽と砂漠の国と、月と海底の国の古くからの盟約なんだと。お互いの国に巫女が産まれたら『恩恵』を分けなさいと。

巫女は二つの国がそれぞれ持つ『恩恵』をもたらすと言われている。

その昔、遠く離れている二つの国は、お互いの恩恵を奪い合ったことがあるらしい。浮遊大地に住む太陽と砂漠の国は、生涯見ることのない『海』の恩恵を。海の底に住む月と海底の国は、海を出なければ浴びる事のない『太陽』の恩恵を。

長く続いた争いを収めた、太陽の勇者と海底の姫が、二つの国に同じ過ちを繰り返さないように盟約を残したそうな。


「ずっとこのままじゃないぜ。巫女は16才まで産まれた所と逆の国で育てられる。逆に言えば、16才になれば故郷に帰れるんだ」

「……そうなの、でも家族やご両親と離ればなれなんて、辛くない?」

「ええと、でもお兄ちゃんのご両親も優しいですし、向こうの両親も年一回お手紙をくれますよ」

「けなげだわ。……ニールの(義理)妹とは思えない…」


アリスの言葉に全力で頷くおれ。ニールは何だかむっとしていた。

しかし、国の為とはいえ、巫女に選ばれると相当に大変なんだな。


「…巫女が大人になってから、お互いの国に訪問するじゃだめだったのか?」

「……その辺は、俺にもわからない。幸いどちらの国も特定の家系からしか巫女が現れないから、一般的には知られていないんだってさ」

「それじゃあ、私たちが知らないわけね」


そういや、ニールの一族は神官の一族らしい。もっと先祖を辿ると(ニールいわく)華麗な一族だったらしい。

おれが思い付くやつだと、元々貴族だったが今は没落したとか、そんなものなのかもしれないな。


「それで、巫女さま。…聞くけど、姉さんに協力してもらってここまで、来た?」

「……はい」


巫女さまを見ていて、少し気になってた事があった。

トラブルメーカーの姉さんだけど、あれで犯罪に関わることは、絶対にやらない。そんな人が、神殿の大事な人間を巻き込んで、こんなことを起こす時は……


「どうして、神殿を抜け出してきたんだ?」

「……わたし、逢いたい人がいたんです」


温かな空気を浮かべるような口調で、少女は喋り始めた。


やっぱりか。

…姉さんが無茶苦茶な事を起こす時、それは、自分の大事なものを守る時か、何らかの事情で自ら道化を演じる時だから。

どういうこと?とアリスが訊ねると、少女は続けた。


「……小さな頃に一度だけこの街に来た時、仲良くなった子がいて……わたし、どうしても会いたくなって、神殿を飛び出してきたんです」

「で、マリー姉に頼んだと」


あっさりとうなづいたリィル。それに合わせて髪の毛も揺れた。


「君の会いたい奴…はわかったけど、巫女って気軽に出れないものなのか?」

「あ、うん。大きな神事の時以外は。一日中神殿の中なんだよ」


ちらりとアリスの目線とかち合った。思わず


「……巫女って、箱入り?」

「どうなの、お兄ちゃん」


流れでニールへ訊ねると、

しきたりらしい、それと巫女様の身を守るのが一番の理由だけどな、とのこと。


箱入り娘なのか…と思ったけれど、この巫女の立場を考えると仕方ないのかもしれない。


「多分ですね、神殿は大騒ぎしてると思いますよ」


ものすごい大騒ぎでした、なんて言うのは野暮な気がしてきた。

そんな娘が家出紛いの事をすれば、ああもなるかな。思わずため息が出る。出したくもなるよ。


「……で、どうするラルク」

「は?」


ニールは何か言いたそうだ。


「リィルの会いたい人捜し、してやらないと神殿に戻らないと思うぜ」


にんまりと、しかしさらりと言ってきた。分かってるよ、でも…


「……してあげたいけど、実はおれ達、サハラさんから巫女さま探しを頼まれてて……」

「え……!」


リィルの顔色がさあっと悪くなったと思ったら、折角、ここまで来たのに……と、しょんぼりとされてしまった。


「ラルク、女の子をいじめちゃだめ」

「あああもう、わかってる!だから手を振りかぶらないで!」


鉄拳を振りかざすアリスには落ち着いてもらった。……よかった。


「サハラさんなら大丈夫よ。だって優しいじゃない」

「そうなんだけど」

「…お前らの前ではな」


ニールの表情が乾いている。あ、巫女さまが慰めてる。

そんな二人の所に、おれは声を掛けた


「巫女さま。…願い事が叶えば神殿に帰るんだよな」

「は、はい…」


まったくさ、サハラさんの頼まれごとは保留にするしかないじゃんか。


「わかった。なら協力する。…巫女さま…だとバレちゃうから、リィルって呼んでもいい?」

「…う……うん、こちらこそ!」


リィルはまた真っ赤になってしまった。

なんか困ってるような顔されたよ?、


「あー…あんまり人慣れしてないだけ。気にしなくて大丈夫だ」


ニールはそう言うけど、これだと会いたい人にあったら大丈夫なのかな。他人事だけど、すごく不安だ。



ともかくおれ達は、巫女さま…リィルの願い事に付き合うことになった。



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