疾走する閃光 2

 7月の終わり、九州の家を出た俺は、いつもの通り、琵琶湖北岸に住む後輩の家に立ち寄った。

 いっしょに北海道にも行ったことがある後輩だった。

 でも、最高速トライアルのことは、一切話さなかった。

 一晩中、懐かしい学生時代の思い出話をしながら、のんびり過ごした翌日、「え。 もう出てまうん?」と驚く後輩と別れ、琵琶湖を発った。

 そして、深夜の京都・舞鶴港から、小樽行きの船に乗った。

 小樽に上陸したあとは、夏とは思えない肌寒い夜道を走り、迷うことなく札幌へ向かい、そして手頃なビジホに投宿した。

 FAZERの履いているPIRELLIピレリの『ディアブロ』は、接着剤でも着いてるのかと思うほど、強烈なグリップで路面に食いつく頼もしいタイヤなのだが、いかんせん消耗が早かった。

 少しでもタイヤが残っているうちにトライしたほうがいい。

 バイク自体の消耗や、俺自身の気力・体力の問題もある。

 まだ薄暗いうちにホテルをチェックアウトした俺は、石狩方面へ向かった。

 やたらとだだっ広い札幌の早朝の道は、がらがらで、なんだか外国か終末の世界のように見えた。

 西海岸に行き着くと、太陽を背に、海が灰色から濃い藍色に移り変わるところだった。

 どこの海とも違う色。北海道のブルー。

 またここに来られたな、と俺は思った。

 浜益はまます増毛ましけと海沿いに進み、トンネルの連続する道を走る。

 明るく開放的な町である留萌るもいで一服し、朝食を取った。

 初日にふさわしい、爽やかな晴天だった。

 時間の経過で光が複雑に変化していく海を左手に眺めながら、国道232号『天売国道てんばいこくどう』を黙々と北上。

 イカの美味い苫前とままえ、ペンギンに似たオロロンちょうで有名な羽幌はぼろなんかを一気に通過する。

 こんなに脇目もふらず、ただ走るのは、俺にとって珍しかった。

 それでも、晴れた夏の海を見ながら、ただ無心にバイクに乗り続けるのは、たまらなく気分がよかった。


 その日の夕方の早い時間には、目的地である天塩てしおの『鏡沼海浜公園かがみぬまかいひんこうえんキャンプ場』に到着した。

 今回の最高速トライアルにおけるベースとしてあらかじめ定めておいた場所だ。

 オロロンロードのすぐ南に位置する天塩は、道北を旅するライダーの要衝ようしょうの町だ。北海道を訪れるライダーの多くは必ずオロロンを走るから、その前か後に、自然と天塩に集う。

 町全体からも、ライダーを歓迎する親密なムードを感じる場所で、ガソリンスタンドや食堂で、地元のひとに気さくに声を掛けられることも珍しくない。

 半端な時間に着いたせいか、いつもにぎわう天塩のライダーハウスには、まだ誰の姿もなかった。

 俺は、入口に近い隅っこのほうに寝袋を敷いて自分の場所を確保すると、荷物をすべて降ろして身軽になったFAZERに乗り込み、鏡沼海浜公園キャンプ場を出た。

 北に向かってちょっと走っただけで、すぐに民家も店舗もなくなり、原野へと出る。下サロベツ原野だ。天塩は小さな町だった。

 天塩川にかかった長い鉄橋を渡る。おなじみの、オロロンロードの目印だ。

 サロベツ原野パーキング、北緯45度通過モニュメントなんかを次々に通過すると、そこにはもう、日本とは思えないような雄大な景色のただ中だ。

 薄い緑の原野の中を、灰色の道が、ただ、ただ、ただ、まっすぐ伸びていく。

 息を飲むほどの開放感。

 言葉にできないほど、空は広い。

 進行方向にも対向車にも、たくさんのバイクが走っていた。

 誰も彼もが、心の底から嬉しそうなのが伝わってくる。

 すれ違うライダーたちは、腕を振り回したり、ぐっとガッツポーズしたり、親指を立てたりして、歓喜を表現する。

 俺も、自然に同じようにして、それに応えた。

 ひとは、本当に感動したとき、他人に対して無関心ではいられないのだ。

 北海道に来たらそれがわかる。 

 まだ明るいうちにじっくり下見を済ませる。さすがにぶっつけ本番でやる気にはなれない。道路状況は見ておきたかった。

 サロベツ原野は工事が多く、究極の快走路であるオロロンロードには、実はダンプカーの姿が少なくない。

 そんなダンプが落としていく砂利が、道路にはたくさん転がっていて、普通に走っててもバイクにとっては危険だった。

 これから280キロ出そうなんて人間にとって、それはもっとも恐るべき障害だった。

 俺は、その日、何度もオロロンロードを往復した。そして、道路の状態を入念に調べた。

 バカっ速いバイクに乗っておきながら、ふだんの俺はのんびり走る派で、まったくスピードは出さない。これまで、150キロすら出したことはないのだ。


 ―― 時速280キロ。


 その領域は、まったくの異世界だった。

 そうしているうちに、あたりが暗くなり、海の色が重い鉛色に変化した。

 美しい三角のシルエットの利尻富士が、紫色の闇に沈み始める。

 それを見届けて、俺は天塩の町に戻った。

 勝負は、明日の朝。

 他の車が走り始める前の、夜明けの直前。

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