疾走する閃光

疾走する閃光 1

 自由だけど孤独で、思い出以外、なにひとつ残せた気がしなかった20代が終わりかけていた。

 その夏。

 いくどめかの北海道に向かう俺には、いつもと違う目的があった。


 愛車の最高速度、280キロに挑戦する――。


 理由らしい理由はない。

 スピード狂というわけでもないし、去りつつある20代の名残に、記念的な出来事を、と考えたわけでもなかった。

 仮に、理由をひとつひねり出すとしたら、「暇だったから」というのが一番近いだろう。

 若さとヒマを持て余していた。

 俺が持っているもので価値があるのは『自由』くらいで、それを、どんなことでもいいから、とにかく無駄に使ってみたかっただけなのかもしれない。こういうのは、くだらなければくだらないほどいい。

 危険で、愚かな、なんの生産性も意味もない馬鹿らしい行動を、止めてくれる誰かなんて居なかった。

 やがて妻となる女性とする一年ほど前の話だ。


 ◆


 ヤマハ最強のフラッグシップモデル【YZF-R1】

 その水冷並列四気筒エンジンを流用し、万能性をたっとぶ欧州市場に合わせ、スポーツ走行、旅、ツーリング、街乗りと、どんな局面にも対応する汎用型バイクを目指して設計されたマシン。

 それがFZS1000/FAZERフェーザー。俺の愛車だ。

 日本の馬力規制を、逆輸入によってクリアした最高出力は143PS。

 これは、同じ排気量である1000ccのトヨタ・ヴィッツのゆうに2倍。

 速度計にはマイル表示で180という数字が刻まれている。キロ換算は1.6倍だから、メーター読みで最高速度は280キロに達する。

 ネイキッドモデルにカテゴライズされるリッターバイクでありながら、乾燥重量は200キロ程度と、まさにフェーザー羽根の名を冠するにふさわしい軽やかさだった。

 肩の力を抜いたハーフカウルをまとった車体は、極太のダブルクレードルフレームで体幹を固められ、スマートな印象ながらも高い剛性を誇る。

 モノサスペンションは路面に粘りつくような安定感で、どんなコーナリングでも不安は感じなかった。

 そして、ヤマハお得意の可変式排気デバイス『EXUPイグザップ』が、胸のすくような伸びのある加速を見せてくれる、そんなマシン。

 だがまあ、そんなゴタクはどうでもいい。

 俺はメカにはあまり興味がない。バイクは俺にとってフェチズムの対象でもなければ、自分の欠落を補完するための何かでもない。崇拝も、依存もしない。

 俺にとってのバイクは、遠く、速く駆ける為の、純粋な道具だ。

 それは、付き合いが長く、ウマは合うが、お互いについての余計な詮索せんさくはしない、心地いい距離感の友人に近い。

 このFAZERのもっとも心惹かれるアイデンティティは、スペック的なものではなく、もう少し文学的というか情緒的だ。

 それはメーカー・キャッチコピーのこの一文に尽きる。


『地上最強の、普通のバイク』


 ……なんて男心をくすぐる二つ名だろう。

 気負うことなく、飄々と。

 それでも、矜持をもって、強く生きていけたら。

 20代はいつもそんなふうに考えて過ごし、そして、どんな乗り物よりも速い速度で駆け抜け、終わった。

 その終わりかけの夏。

 俺は愛車と自分の限界に挑戦したいと考え、北海道を目指した。

 日常という鎖で縛られ、抑圧され、飼い慣らされた相棒のポテンシャルを、限界まで解き放つ舞台として、真っ先に思いついた場所がある。


 道道106号……通称『オロロンロード』


 広大なサロベツ原野をぶち抜き、天塩てしお稚内わっかない間を結ぶ、全長約68キロの遥かな直線道路。

 北海道を訪れるすべてのライダー憧れの地平線。

 ここを置いて、他にはない。

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