通り過ぎるだけの町 13

「いきなり出ていくんだもん。びっくりした。なにも言わずに旅立っちゃうのかと思った」

 俺の隣にしゃがみこみながら、ミチルが呆れた声を出した。お尻はつけない。

「そんなことしないって」

 俺たちはさらさらと流れる夜の川を見た。墨汁が流れているように水面は黒い。空は薄ぼんやりとした青で、月が眩しいのに、星は驚くくらい多かった。

「どこに行くかと思えば。……こんなところに座って、しかも、なに? オルゴール?」

「まあね。素敵だろ?」と俺は気取った声を出した。

「さすがにそれはちょっとかな」とミチルは正直だ。

 俺は苦笑。

 ミチルは黙り、それからはただ、音楽を聴いた。

 ずっと昔から大切に持っているオルゴールだ。

 悩んだが、今回の旅にも同行させた。

 昔、もっと若かったころ、月夜に向かってご機嫌にバイオリンを奏でるこの猫のように、飄々ひょうひょうと生きていきたい、と思ったこともあった。

 俺は楽器が出来ないから、「こういうとき楽器が弾けたらいいな」というシチュエーションで、いつも代わりをしてもらっている。

 二分が経ち、オルゴールが唄い終えた。

「けどまあいい曲だね」ぽつりとミチルが言った。「なんて曲?」

「恋はみずいろ」

「なんかどっかで聞いたことある」

「ポールモーリア。化石みたいな曲だよ」

「そうかな? 音楽に古いとかってないよ。たぶん」

「ミチルのそういう優しい性格、俺はすごくいいと思う」

 ポールモーリアのおかげで、なんとなくその場の雰囲気が、古風な劇のようになった。だからだろう。そんな恥ずかしい台詞をさらっと言うことが出来た。

 闇の中でも、ミチルのはにかむ顔がはっきりとわかった。

「こんなところで、夜の川見ながらオルゴールなんて、タキくんって、どれだけなの」

 ミチルがおどけた口調で言った。

「なにそれ」

「ひょっとしていつもカメラ意識してるとか?」

「まさか」と俺は慌てた。

 カッコよく生きていきたいとは思う。だけど、それはあくまでであるべきというのが、絶対の俺のだ。

 誰かを意識したり、他人からの評価を気にしたり、ウケ狙いを考えたり……。

 そんなことを俺がし出したら、殺してくれ。

「……ほんとはね、いろいろ聞きたいよ……」

 ミチルが探るように小さな声で切り出した。

「どこに住んでいるひとなのか。仕事はなにをしているのか。だいたい、トシはいくつなのか。旅はいつまで続けるのか。そのあとはどうするのか……」

 ミチルの話を聞きながら、オルゴールのネジをカリカリまわした。

 ミチルは続ける。

「……でもね。タキくん、そういうの、聞かれたくないでしょ?」

 そして、俺の横顔をじっと見る。

「そういうわけでもないんだけどね」とミチルを見ずに言った。

「じゃあ聞いてもいい?」

 俺はミチルを見た。

 猫は『恋はみずいろ』を静かに唄う。

「……ホラ」とミチルはあきらめたように小さなお尻を堤防のコンクリに下ろした。「やっぱり聞かれたくなさそうだ」

 聞かれたくないわけじゃない。

 でも、俺の素性をいろいろ話すと、ミチルの俺を見る目が変わってしまいそうな気がして怖かった。

 ミチルは俺を過大評価している。

 ミステリアスで、魅力的な男として見てくれている。

 旅が、俺を特別な男として仕立て上げているのだ。じゃなきゃ、今日みたいな展開にはならなかったはずた。

 ずっと、俺は俺なりに、矜持をもって、まっすぐに生きていきたいと願っている。

 妄想に逃げず、

 現実の世界で、

 地に足を付けて、

 リアルに存在する『誰か』を求め、彷徨っている。

 だけど、根っこの部分で、じつは俺は、自分に自信がないのかもしれない。とつじょ、そう思った。

 非日常のマントを羽織り、幻想の仮面を被り、飾り立てた自分で、非現実的な女の子との出会いを夢見ているだけなのかもしれない。

 

「……ミチルは『運命の相手』って居ると思う?」

「はいっ?」ミチルは驚いた。声が裏返ってる。「いきなり、なに」

 俺は真面目な顔でミチルの返答を待った。

「………うん。そりゃ、そういう相手が居たらいいな、とは思うよ。いつかそういうひととめぐりあって……結ばれて……そういうの、ほんとにあればいいなって……思うよ」

「そんな相手が居るはずなんだ。きっと」と俺は言った。オルゴールは止まっていたがネジは巻かなかった。「この広い世界のどこかに、自分と出会うべき、俺を待っている、大切な誰かが。運命の相手が。本気で好きになって、心から大切に思える、たったひとりの女が」

「………………」

「俺は、旅をしながら、そういう誰かを探しているのかも」

「………………」

 それは俺の本音だった。まごうことなき、本当の気持ち。

 俺が旅する本当の理由。

 ミチルになら……ミチルになら聞いてもらいたいと思った。

 ミチルは、ちょっと芝居がかったそんな俺の独白を、暖かなまなざしで、あの好意的な笑顔で……

 聞いてくれてはいなかった。

 ミチルの顔は、恐ろしいほど空虚だった。

 怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。でも、一番ふさわしい表現は、、だろう。

 俺は、自分が致命的に間違った台詞を口にしたのだと気づいた。

 俺は、いま、この場面で、こんなことを言うべきじゃなかったのだ。

 ミチルはゆっくりと立ち上がり、ぱんぱんとお尻を叩いた。

「たったひとりの運命の相手を探して旅してる、か」

 どことなくあざけっているような口調。さっきまでの、感じのいいミチルとはもはや別人だった。

「……それ、ご本人は楽しいでしょうけど、選ばれなかったコは悲惨だよね」

 そう言い残すと、くるっと背を向け、川を横切って土手まで続く堤防を、音もなく歩き去っていった。

 しばらく呆然としていた俺は、立ち上がって、その小さな背中を追った。

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