通り過ぎるだけの町 12
清潔なシーツの上に飛び込んだ。
ミチルのセミダブルのベッドが俺の体重を受け止め、スプリングがぎしっと音を立てた。
ミチルも俺の隣に同じように倒れ込む。
いかにも軽い、ぽふっとした音だった。
「うおーーー、きっもちいいいーー」
俺は甲高い声をあげながら猫のように身体を左右に揺らせた。半袖のシャツから出た腕に、シーツのひやっとした感触がたまらなく気持ちいい。
疲れが油のようにどろっとにじみ出て、ベッドに吸収されていくように感じた。
花のように甘い洗剤の匂いを吸い込む。
久しぶりに飲んだアルコールのせいか、やたらと気分がいい。
「あーー。いかん。溶ける。ダメになる」
シーツに熱い顔を押しつけたまま呟いた。
そして、隣に寝たミチル背中を、左手でゆっくりと撫でた。
顔を向けると、ミチルの細い目がすぐ前に。
ミチルは何も言わずぼんやり俺を見ている。
「フトンの感触なんて、何日ぶりだろ?」
ドキッとしたのを隠すように俺はあえてとぼけた口調で言った。
「ふだんどんな生活してるの」
とろんとした目つきのミチルが呆れた。アルコールのせいか、吐息が甘い。
俺が買ってきたビールもどきを飲んだ後は、ミチルが買いだめしていたサッポロ黒ラベルを飲んだ。ミチルは酒に強いらしく、またたく間に数本空けてしまった。実に美味しそうに酒を飲む子だった。
俺もビールは好きなほうだけど、旅費節約の為、ふだんは酒なんてまず飲まないもんだから、二本目で早くもクラクラした。
俺たちは、自然に顔を近づけた。
キスする。
ミチルが瞳を閉じた。
いきなりがばっと抱き着いてくる。
俺もそれを受け止めるように抱いた。
俺たちはそのまましばらく抱き合っていた。
ミチルは形でも確かめるように俺の身体をあちこち撫でた。
「タキくん筋肉質だよね。鍛えてるの?」
「そういうわけでもないけど、バイクの旅ってけっこう身体を酷使するから、自然に引き締まるんだろうな。あと、貧乏暮らしで、強制ダイエットさせられてるみたいなもんだから、ぜい肉が落ちて、筋肉が目立ちやすいのかも」
「いいよね。筋肉質な男のひと、好き」
ミチルはそう言って俺のシャツの裾から無造作に手を入れて、腹筋や胸板をじかに触ってきた。くすぐったい。その大胆さに俺はちょっと驚いた。
ミチル、酔ってるのだろうか。
俺もミチルの細い身体に触れてみた。
ミチルもぴくんっと身体を震わせた。
いつも思うが、女の子って細いのにどうしてこうも柔らかいのだろう。
「ごめんね」
突然ミチルが謝ってきて俺はギクッとした。
こういうシチュエーションで女の子に申し訳なさそうに謝られるのは、正直言って嬉しいことじゃない。
「おっぱい、ちっさいでしょ?」
「可愛いよ」と俺は言った。
「ごめんね」
ミチルはもう一度謝ってきた。俺はまたギクッとさせられる。心臓に悪い。
「なにが?」
「あまりよくは、してあげられないかも」
俺は苦笑した。
「そんなこと、言わなくていいよ」
俺は、恥じらうように目を伏せるミチルの頭をポンポンと撫でた。
それから、自分に出来得る限りの優しさと丁寧さで、ミチルと接した。
◆
目を開くと、暗い部屋の知らない天井が見えて、なんで俺、テントに居ないんだ、と混乱した。しかも裸だ。
すぐ隣で、かすかな寝息をたてるミチルの顔を見て、記憶が一気に繋がった。
そうだ、ここはミチルの部屋で、いつのまにか眠っていたらしい。
いま何時なんだろう。
自分がなんだか作り物の世界に居るような、妙な居心地の悪さを少し感じた。
久しぶりに、夜、誰かと一緒に寝ているせいもある。
酒が入って疲れていなければ、俺も気が
ついさっき、ミチルと過ごした時間が、なんだか非現実的で、夢みたいに思えてくる。酔いも少し醒めた。
これ、本当に、現実か。
さっきのあれは、本当にあったことなのか。
頭が重く、疲れが重たい布のように全身を覆っていた。
静かに身体を起こした。
ベッドから少し高いところにある窓にはカーテンがかかっておらず、紺色に染まった外の風景と、だだっ広い駐車場に寂しげに灯る街灯が見えた。まわりを囲む田んぼは灰色だ。
仰向けになったミチルの小さな胸はぺったんこになっている。
俺は、そんなミチルをまたぐようにしてベッドから降りた。
クーラーが効いていて快適だったが、無性に喉が渇いた。
冷蔵庫の眩しい灯りに目を細めながらウーロン茶を出して、俺はそれをコップ二杯一気に飲み干した。
ちょっと放心状態になる。
それから、暗闇の中で、床に散らばった服を拾って身につけ、隅っこに置いておいた自分の荷物に手を突っ込んで、手探りで小さな箱を取り出した。
指輪ケースより少し大きいくらいの箱だ。
ミチルのほうを少し見て、玄関からそっと表にすべり出た。
クーラーの効いた室内から出たせいか、外は、蒸し暑いというほどでもないが、少しムッとした。でも、都会の熱帯夜に比べれば、気持ちよくてずっと快適だ。街のまわりを囲む山から下りて来る清浄な夜気と、すぐ近くを流れる冷たい川のせいだろう。
足音を立てないようにメゾネットの階段を降りて、月明かりでぼんやり明るい駐車場に出た。
習慣でバイクの無事を確認し、ホッとする。
俺の青いバイクは街灯の灯りを反射して鈍く輝いていた。
俺は二・三度伸びをしてから、アパートを離れた。
ひと気のない川のほとりの道を歩く。
近くにも、遠くにも、走る車のライトはまったく見えない。
静かな……静かすぎる夜だ。
月を見上げる。
半分だった。
家を出て、最初の夜に見上げた月は満月だった。
なんとなく、次の満月で旅を区切ろうかな、と漠然と考えている。
戻るのか、続けるのかはそのとき決めるつもりだった。
ミチルという魅力的な女の子と出会い、通り過ぎるだけと思っていたこの町に意味が出来た。そしていま、いい気分で夜の底を歩いている。
旅っていいな、と心から思った。
川辺の土手のアスファルト道から、川面まで下りていける丸太の階段があった。
ゆっくりと下りていくと、コンクリートで固められた堤防と小さな滝があった。
俺はそのコンクリの上を半分くらいまで歩いた。
川のちょうど真ん中あたりに来る。夜でも水は驚くほど透明だとわかる。
ポケットからオルゴールを出した。
蓋に、片足を上げて飄々とバイオリンを奏でる黒猫の影絵が彫り込まれている。
黒い空には、黒い星と黒い月。
ネジをまわすカリカリとした音が、妙に大きくあたりに響いた。
音楽が鳴り出す。
誰かが土手のほうからゆっくり階段を下りてくる。
ミチルだった。そんな気がしてたから、それほど驚かなかった。
そのかわりに、ついさっきひとつになったことを思い出し、俺は照れた。
部屋着の白いシャツと紺色のショーパンという姿は、外だとものすごく無防備に見えた。月明かりに照らされた白く細い脚。その姿は、性別とか年齢を超越した不思議な存在のようにも思えた。男にも、女にも、子供にも、大人にも見える。
「いい夜だな」
俺が笑うと、ミチルは何も言わず膝を曲げて隣にしゃがみこんだ。
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