通り過ぎるだけの町 11
風呂なんて、たまの贅沢だった。
旅費の最優先はガソリン代。こればっかりはどうしようも無い。削りようがない。
次に食費。それ以外の出費は出来るだけ削った。食費すら、削れるぶんは削りまくった。
やがて北海道までたどり着くと、無料で入れる露天の温泉があちこちに沸いていたから、風呂事情は劇的に改善するのだが、本州を旅している間は、なかなかそうもいかなかった。
てことで俺はふだん、キャンプ場の洗い場や、公園の水道や、ひどい時にはひと気のない古い神社の手洗い水で水浴びしていた。
それだけに、久しぶりの風呂は涙が出そうなほど気持ちよかった。
風呂から上がり、使うのが申し訳ないくらい清潔なバスタオルで髪を拭きながらリビングに行くと、ミチルが夕食を用意してくれていた。
豚のしょうが焼きと、オムレツ。それから蒸し鶏と豆のサラダ。
ミチルとちゃぶ台を挟んで向き合い、それを食べながら、俺はそんな貧乏旅話を披露した。
ミチルは、感心したように「ほえええ。ワイルドだー」と言った。
食事はとても美味しく、一心不乱にがつがつ食う俺に、
「ほんとは、居酒屋にでも飲みにいってもいいかな、と思ったんだけどね、もちろんオゴリで。……でも……えと、まあ、作ってあげたかったというか……ここで、一緒に食べたかったというか」
ミチルは控えめにそう言って、少し顔を赤らめた。
「おれ……こんなに美味いごはん食べたのいつ以来だろう」
しみじみつぶやくと、ミチルの顔がさらに赤みを増した。
「おおげさだよ」
「いや、ほんとだって。ミチル料理うまいね」
「たいしたもんでもないよ。ただ慣れてるだけだって。給料安いし、自炊は節約の基本でしょ」
「それにしたって、美味すぎる」と俺は三杯目のごはんのおかわりをそっと差し出しながら呟いた。「なんていうか、ほんと、沁みる」
ミチルは両膝で立って中腰になって、カーペットの上の炊飯ジャーからピンク色の茶碗に白飯をよそってくれた。そんな仕草はとても女らしかった。
「そんなに美味しそうに食べてくれると、作った甲斐あるね」
「だって、俺、キャンプ場でふだんなに食べてると思う?」
俺は、貧乏長期放浪ライダーの食事のレパートリーをざっと紹介した。
行平鍋がひとつしかないから、100円で買ったレトルトパウチのパスタソースとパスタ麺を同時に茹でると時短になるんだよ、と話すと「なるほどー」と感心していた。
「でも、なんか身体に悪そう……金属とか」
「だよな……」
パスタは、出来上がりも早いし、米よりもコストパフォーマンスがいいから、俺の主食だった。大雨に降りこめられてテントから動けないときなんか、買い出しにも行けず、茹でただけのパスタにマヨネーズや、ケチャップや、ふりかけなんかをかけて食うこともあった。我ながら物悲しい。
それから、俺がやたらとサンマ缶を食べる話。
夏のバイク旅行では、肉や魚の保存が難しい。直射日光にさらされて、すぐに傷んでしまう。
その点、サンマ缶は安いし、常温保存も出来るし、缶切りも要らないし、かさばらない。ご飯さえ用意すれば、中身を汁ごとのっけて丼にも出来る。
疲れて、手を抜きたいときは、コンビニでレトルトご飯を買ってレンジで温めてもらい、サンマ缶を開けてご飯に盛り付け、それを駐車場の片隅に座って食べた。
ほかに俺がよくやるのは、行平鍋に研いだ米とサンマ缶をほぐしたものを入れて一緒に炊いて味付けご飯にしたものだ。
キャベツやニンジンなんかの余ったくず野菜もあれば、豪快にぶちこむ。
「ゆきひら鍋でご飯炊けるの!?」ミチルが驚いた。
「フタさえすればぜんぜん炊けるよ。火を弱めにするのと、水を多めに入れるのがコツだな。それでも、ちっと固くなるけどね」
そう言いながら、俺は、ちゃんと炊飯ジャーで炊いたツヤツヤのご飯を味わって食べた。よく笑う女の子と一緒に、明るいリビングで食べるまともな食事。しかもその子の手作りだ。美味いに決まっている。
「なんか美味しそう。サンマの炊き込みご飯か。それ今度やってみよっと」
そう言って、ミチルはニッコリ微笑んだ。
ミチルは、最初、習慣のようにテレビをつけた。ひとりのときはいつも食べながら見ているそうだ。
でも、今日はふたりだし、話が盛り上がったからテレビの音は邪魔だった。
ミチルは、すぐに電源を消して、代わりにコンポでゆったりとしたいい感じの邦楽をかけた。ちょっと鼻にかかるような落ち着いた声の男性ボーカル。聞き覚えはあったが、名前は出てこなかった。
八畳ほどのリビングにダイニングキッチンというミチルの部屋は、ソファがなく、大きな家具は、セミダブルのベッドとキャビネットだけで広く感じた。白とピンクを基調とした女の子らしい部屋だ。お洒落な雑貨屋に売ってそうな、細々した小物がたくさん置かれていた。俺自身は部屋にほとんど物を置かないから、こういう部屋はとても新鮮で、魅力的に見える。
「そういや、コンビニでなに買ってきたの?」
ミチルに聞かれ、俺は一瞬ドキッとさせられた。
ごまかすように、俺は傍らのビニールから缶を二本出した。
「ええと、コレ。まあ、食事のお礼と言いますか」
ビール……ではなく、ビールっぽい第三のアルコール飲料だ。そんなのでも二本も買うのは俺にとってはそうとうな贅沢だった。
「わお」とミチルは顔を輝かせる。「夏はやっぱ、ビールだよねえ」
「パチモンで悪いけど」と俺は少しだけ恥ずかしく思いながら、プルタブを開けてミチルに渡した。やっぱりもう少し頑張ってせめて発泡酒くらい買うべきだったか。
「いーよいーよ。私、ビールっぽいのはなんでもイケる口」
「じゃあ、乾杯しよう」
「うん。しよっ」
「なにに?」と俺は唇の端を持ち上げた。
「そりゃあもちろん」と言って、ミチルは急に落ち着かなげにそわそわしだした。顔も首筋も赤くなる。「……ええと、その、ねえ?」
じっと俺を見て何も言わない。
「イケメンの旅人と、村一番の美人に」
仕方なく、俺は冗談っぽくそう言って、自分の缶を突き出した。
「ナンパ男さんと、ドラマみたいな夏の出会いに」
顔を赤らめたままの笑顔で、ミチルが缶をコツンと当てた。
気の利いた台詞だな、と俺は感心した。
でもミチルは、それだけ言うのにも、ものすごく照れていた。
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