通り過ぎるだけの町 7
向かい風が緩やかに雑草を揺らした。
切り立った丘の上から遠く知らない街を見下ろす。
丸みを帯びた低い山々に囲まれたわずかな平地に、建物が身を寄せ合う小さな町。
カラスの鳴き声があちこちから聞こえてくる。
空にはいつのまにか泡のような雲が広がっていた。
どこかで、ごーんと鐘が鳴る音がかすかに聞こえた。
鳥の群れが、超巨大な黒いブーメランのような形で空を横切っていった。
ミチルは人が変わったかのように、何もしゃべらない。
俺のひとことが引き金になったとしか思えないタイミングだった。
おれ、そんなにへんなこと、言ったんだろうか。
けれど、「時間つぶしヒマつぶし」とか「ほかにやることないからする」とかは、俺自身、大嫌いな言葉だった。それはごまかせない。
無言が続いていると、自分のなんらかの無神経さがミチルを傷つけたかも……という自責の念と同じくらいの「面倒くさい」という感情が、ムクムクと湧いてきた。
少なくとも、こんなイヤなムードを味わいたくて俺は旅をしているわけじゃない。
もう帰ろうか。俺は口に出しかけた。
「タイヤキくん、自分の顔で気に入らないパーツある?」
ミチルがとつぜん口を開いた。
「はあ?」と俺は眉をひそめた。「なんなんだ、突然。パーツ?」
ミチルは、俺の顔を横目でチロチロ。
「パーツって、自分の顔のパーツ? 目とか鼻とかっていう……」
ミチルはコクンとうなずいた。
「そりゃあな。美形タレントでもない限り、自分の容姿に満足しきってるはずがないよ」
「じゃあ、たとえば、どんなところが気に入らない? どこをとっ替えたい?」
ミチルは、歴史トークのときよりもよっぽど真剣な顔。さっきまでの無言はなんだったのか、って感じだ。
「ええと」
俺は言葉を切って少し考えた。
自分の容姿に満足なんてもちろんしていない。でも、具体的に『どこを』と聞かれれば困ってしまう。とっ替えたいなんて発想がそもそもなかった。
「ほーら」とミチルは歯を見せて意地悪そうな顔をする。「やっぱりね。ないでしょ」
なにがやっぱりなのかはわからなかったが、ミチルは納得したようにウンウンうなずいている。
「そんなことない。でも、普段からそんなこと、なるべく考えないようにしてるから、すぐ出てこないだけだよ。考えたって暗くなるし、意味なんてないからな」
「ウソウソ。自信あるくせに」
「自信?」ミチルはいったいなにを言っているのか。
「私は……自分の顔、全とっ替えしたいよ」
ミチルは、遠くを見ながら、淡々と言った。もしかして、だけど、とつぜん無言になったのは、そんなことを考えていたからなのか?
「たとえば」とミチルは続けた。「目なんて大嫌い。細いし。タイヤキくんみたいなキレーな二重に憧れる」
「可愛いよ。奥二重。知的だし、品があるし、まつげは長いから、全然悪くない」と俺はすかさず答えた。
「鼻だって低いしさ」
「低いってよりも小さいだな。女の子はそれくらいでいいよ。鼻だけ高くてもバランス悪いって」
「そのくせ、口はけっこう大きい気がするし」
「口が大きい女の子ってキュートだ。おれ個人的にはポイント高い」
「あごだって無いし」
「顔が小さくていいじゃないか。ネコみたいだよ。みかんの顔は、バランスがよくて、感じがいいなって、会ったときから思った」
「胸だって、ぜんぜんないから、つまんないよ」
う。さすがに言葉に詰まる。なんと言ってフォローしたものか。
確かにバイクで背中に感じたミチルの胸の感触は控えめだった。
「……でも、脚はすごく綺麗だと思う」と俺は正直に告白した。「正直に告白するけど、最初に横断歩道で見かけたとき、ぼくの目はミチルの美脚に釘付けになりました」
ミチルは驚いた顔をしたが、ちょっと恥ずかしそうに上目遣いになって、「えっち」と小声で言った。
「いやまったく。めんぼくない」
ミチルはあらためて俺をじろじろ
「タイヤキくんってスゴイね。よくもまあ、そこまでポンポンとホメ言葉言えるわ。ガイジンさんみたい」
「思ったことを言ったまでだって」
「悪い気はしないね……タイヤキくんのカノジョさん、嬉しいでしょうね。いつもそんな感じにホメてもらえて。……あ、でも、心配で気苦労が絶えないかな。こんなのが野放しにされて、目が離せないというか……」
「野放し? 動物か俺は。それにカノジョなんて居ないよ。居たら、みかんに声かけたりするもんか」
「ええー。あやしい。男はそのへんテキトーだからなあ。カノジョ居たってナンパくらいするでしょーに」
「そりゃするやつも居るかもだけど、俺はしない。だいたい、彼女が居たら、放浪の旅なんて出来ないって」
「そうなの?」
「何週間も、何カ月も会えないなんて我慢できない、って子も居るだろ?」
「……私けっこうそんなタイプかも。依存しちゃう」
「そっか」
今度は俺がミチルの男関係の話を聞くべきなのだろうか。聞いて欲しくて、話を振ったのだろうか。そのへん、判断がつきにくい。
いくら女の子と仲良くなるコツを多少つかんでも、本当の女心なんて永遠の謎だ。
ふたりで、無言のまま暮れていくパノラマを眺めた。
ミチルが怒って無言になったわけじゃないと知り、今度は俺ものんびりした気持ちで、夕景を眺められた。
ふと、高校生のころの放課後を思い出した。
通学路の帰り道から少し外れた丘の上に、とても眺めのいい古い神社があって、放課後、俺はよくその境内に腰掛けた。
本を読んだり、携帯プレイヤーでお気に入りの曲を何十回もリピートして聴いたり。そこで過ごす時間が好きだった。
あるとき、クラスの全然話したことがない異常に無口な子と帰り道でばったり出会い、何故だかふたりでその神社に向かったことがあった。
会話もなく、その子は、犬のように俺から数メートル離れてずっとついてきた。
俺たちは、高台の神社の端っこの丘から、ふたり並んで街を見下ろした。
何を話したわけでもない。
ただ、黙って景色を見続けた。
蝉しぐれが俺たちを包み、彼女の短いおさげ髪は黄金色の光で輝いていた。
前から後ろに走り抜ける生ぬるい風が、俺たちの汗をかわかした。
とつぜん肩と肩が触れ合って、その感触に、俺は真っ赤になった。
話したこともないその女の子が、その近さにまで近づいてきたのだ。
理由はわからない。
左半身に、女の子の細く柔らかな肩の感触を感じた。
カラスとひぐらしは雄弁だった。
俺はなにも喋れなかった。
でも、俺は、すごく楽しくて、胸が痛いくらい高鳴って……
そして、思ったのだ。
時間が止まって欲しい、と。
俺は、あの感覚を、誰かと分かち合いたいと今も願っている。
いつもそれを望んでいる。
だから、いま、こうやって、ミチルと話していて、すごく楽しいし、不思議と満ち足りた気分になっている。
自分が女好きとは思わない。
ただ、その、高校生の放課後の神社で静かに景色を眺めたときのような、胸が暖かくなる時間を、素敵な女の子と過ごしたい、共有したい、そう思っているだけだ。
いつか出会う、運命の女の子と。
それが、俺の、旅する理由のひとつ。
「……自分のこと、好き?」
唐突にミチルがつぶやいた。
「好きだよ」
俺の答えたそれは、自信というより開き直りが近い。
「……みかんは?」
「だいきらい」
乾ききった声で即答された。
彼女と俺とでは、見ているもの、求めているものは、まったく違うのだろうな、と思った。
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