通り過ぎるだけの町 2

「ずっと旅してるの?」とその子は俺の青いバイクを見た。

「うん」

「何日くらい?」

「今日でもう何日目だろ。二週間以上は経つな」

「なんかすごいね。どこまで行くの?」

「そいつは風に聞いてくれ」

 わざとらしく気取った顔と声で言った。

 噴き出すようにその子が笑う。

 こういうアホな台詞を吐いても、女の子がウケてくれるのは我ながら得していると思う。

「かわいいね」

 俺がじっと見つめながらそう言ったら、その子はぎくりとした顔で、怪訝けげんそうに眉根を寄せた。

「……なにが?」

「その制服。銀行?」

「あ。これ」ホッとしたように自分の身体を見る。「ケータイ屋さん」

「ああ、さっき通ったとこかな」

「そう。バイトだけどね」

「可愛いけど、暑そうだね」

「外出ると暑いねー」

「じゃあ、今は昼休みか」

「うん。あそこ」とその子はアーケードを先に少し進んだ総菜屋を指した。「お弁当買おうと思って」それから時計を見る。

「あ。あまり引き留めたらマズいな」と俺は気持ち早口で言った。「ええと、それでね、このあたりに何か面白そうな場所とかあれば、教えて欲しいんだけど」

「え? うーん。そうだねー」とその子は少し考える。「……山かなあ」

「山?」

「なんか、偉いお坊さんが鬼を封じた山があるんだって。すぐ近くに」

「へえ。そりゃ面白そう。行ったことある?」

「ううん。無い。たぶん、地元のひとほとんどそうじゃないかな」

「じゃあ。いっしょ行こう」と俺は軽く言ってみた。「仕事何時ごろ終わる?」

「え? え? え?」

「えーと、ショップで待ってるのはさすがにまずい?」

「だめっ。そんなのっ。やめてっ」

「じゃあどこで待てばいい?」

 その子は「はーーー」と大げさなため息をついた。

 探るように俺を上目遣いでじっと見る。

 俺は無邪気な笑顔を作った。

「……モス」

「モスバーガー? よし。そこで待ってればいいかな」

「でも、行かないかもしれないよ?」

 その子は困った顔で言った。きっと性格のいい子なんだろうな、とふと思った。

「でも、来てくれるかもしれない」と俺は軽い口調で言った。さらっと言うのがコツだ。「どっちでもいいよ。任せる。おれみたいな怪しいやつに、無理して付き合ってくれなくていい」

「自覚はあるんだ?」

「まあね。怪しいでしょ、そりゃ」

「うん。あやしいねー」

「俺はタキ」

「それって名前? 苗字?」

「どっちでもあるし、どっちでもない」

「なにそれ。ますます怪しいなー」

「きみは?」

 その子は少し考えた。

 いちいちレスポンスに間があるのがキュートだな、と俺は思う。

「ミ……みかん」

 ミチルはこのとき、まず偽名を名乗った。本名を聞けたのはずっとあとだ。

「みかん?」

 素っ頓狂な俺の声に、ミチルは笑いをこらえるような顔でコクッと頷く。

「なんだ、そのあからさまな偽名は」

「怪しいひとにすぐに名前なんて教えられません」

「ちぇっ。俺も偽名名乗りゃよかったぜ」

「たとえば?」

「タ……タコヤキ、とか?」

 ぷふっとその子は噴き出した。

 特に面白いとも思わなかったけど、笑いの沸点は低そうだ。こういう子は話していてなんだか安心する。

「タとキが入ってるなら、タイヤキでもいいじゃないのさ」

「おー。なるほど。『俺の名はタコヤキだ』って言うより、『こんにちはぼくタイヤキ』って言ったほうが可愛いかもだな」

「そうだね」

「ぼくタイヤキ。よろしくね」

「よろしくねタイヤキくん」

「なんか昔そんなタイトルの唄があったな。知ってる?」

「およげタイヤキくん?」

「若いのによく知ってるね」

「田舎者だからねー」

 それからしばらく、俺は『粒あん』ぽいか、それとも『こしあん』ぽいか、とかそんなどうでもいいことを話した(ちなみに粒あんっぽいらしい)。

 ミチルは途中で時計を見て、「あー!」と慌てて総菜屋に駆けていった。

 昼休みはもう半分以上なくなっていたみたいで、俺は少し責任を感じた。

 アイスの棒を店先のゴミ箱に捨て、バイクにまたがり、頭上の街路樹でジージー鳴く蝉の声を聞いていた。

 総菜屋から出てきたミチルが、白い袋を下げて俺の前を通り過ぎる。

 緊張しているのか、なんとなく動きが固い。

 身長はたぶん150台前半。軽そうな身体。

 抱き上げてみたいな、なんて思いながら、内股ぎみにパタパタ歩く姿をじっと見た。

 ミチルは立ち止まると、苦笑しながら、独り言のようにつぶやいた。

「……こんな田舎町の商店街で、しかもお昼休み中に、ナンパされちゃうなんてね」

 ナンパじゃないよ、と反論したかったが、その時間はなさそうだ。また後でにしよう。

「じゃあ、仕事頑張って。モスで待ってる」

 立ったまま無言で俺を見ているミチルにそう言った。

 ヘルメットをかぶり、サングラスをかける。

 そして、俺はバイクを走らせてその場を離れた。

 いきずりで出会った女の子とこんなふうに話をして、緊張した顔から警戒心が少しずつ消えていくのは、いつも思うが、とても可愛い。

 図書館か民俗資料館ででも時間を潰そうと考えた。

 夏の光が隅々にまで満ちた知らない町を、気の向くまま、探検するようにぶらりと走った。

 知らない女の子と話ができて、俺はとても上機嫌だった。

 その小さな町には、ただ走り抜けてしまっていたら気づきもしなかった、俺の知らない人々の、俺の知らない時間が、穏やかに流れていた。

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