通り過ぎるだけの町

通り過ぎるだけの町 1

 低い山々に挟まれた、名前も知らなかった町。

 通り過ぎるにはちょうどいい町だ。

 バイクで日本中を走っていると、よくそういう場所に出くわした。

 国道というにはあまりに貫録がない細い二車線の両側に、ガストやオートバックスやしまむらなんかのチェーン店が淡々と並んでいる。

 走っているのは軽自動車ばかり。

 このまま国道をひた走ったら、ものの十分も経たないうちにこの町を通り過ぎてしまうだろう。

 それはなんだかもったいない気がして、俺は町の中心部へと進んでみた。

 見落としてしまいそうな看板に案内され、駅のほうに行くと、証券会社や銀行、古いデパート、小さな会社が集まった目抜き通りがあった。

 殺風景だけど一応は繁華街らしい。

 町中どこを見渡しても「おばあちゃんちの夏休み」みたいな、どこか気だるい空気が漂っている。

 でも、静かで、雰囲気はよかった。

 青い空と入道雲がよく似合う、夏の田舎町。


 赤信号でひっかかって、バイクを停止線ギリギリで止めた。

 真っ青な空でギラつく太陽が眩しくて、目を細める。うなじがじりじり焦げている気すらした。足元から湯気でも立ち上ってそうなほど道路が熱い。上から下から温められて、首筋に汗の雫が流れた。

 軽自動車が数台、都会とは全然違うテンポで目の前を行き来した。

 岩のような顔つきの性別不明の年寄りと、うんざりした表情を浮かべた半袖シャツの中年サラリーマンが、横断歩道を渡った。

 歩行者はそれだけ。異常に人が少ない。信号の待ち時間は長いのに、動くものは視界の中からすぐに居なくなった。

「パッポ、パッポ」

 間の抜けた鳥の声がスピーカーから流れる。

 時間よりも、音の方が、少しだけ先を進んでいるような、奇妙なズレ。

 遠い街の、真夏の静かな昼下がりには、時々、そんな感覚に陥る。


 すぐ左手に、信号待ちしている若い女の子が見えた。

 強い日差しを街路樹の木陰で避けている。

 左足をついてバイクを止めている俺の鼻先だ。

 水色のブラウスの上に灰色のベストを着こみ、首筋には鮮やかな水色のスカーフを巻いている。暑そうな制服姿。ずいぶん小柄な子で、なんだかポケットに入りそうなほどだ。

 でも、スカートから伸びた白い脚はすばらしく綺麗で、こんな脚は、田舎だろうと都会だろうと、なかなかお目にはかかれないと思った。

 白いふくらはぎと細い足首に俺のヨコシマな視線を感じとったのか、その子がとつぜんこっちを見た。

 20代半ばくらいの、性格のよさそうな地味な顔立ちの子で、毛先の軽い、肩くらいの長さの髪の毛は、真夏の昼間だからかもしれないが、かなり明るい茶色に見える。

 そのあたりの会社で働いているOLだろうか。まともに働いている人間にとっては、ちょうどお昼休みくらいの時間だった。


 目が合ったので、俺はニッコリと愛想よく笑い、皮のグローブをはめた左手を軽く振ってみた。

 白い半袖から出た自分の腕は、日に焼けて、我ながらうさんくさいほど黒い。

 その子はギクッとして、すぐに目を逸らした。

 信号が変わり、俺はギアを蹴って一速に入れた。

 スロットルをまわしてバイクを前進させる。

 250ccのバイクの後部座席には、夜逃げでもしたかのような大仰な荷物が太いゴム紐でくくり付けてあり、どう工夫してもバッグに入りきらなかった小さな鉄のフライパンは、仕方なく安全ピンで留めた。

 その子の視線をなんとなく背中とフライパンに感じながら、200メートルほど進んだ。

 寂れたアーケードに出た。

 屋根のついた歩道の両側に店舗が立ち並ぶ、田舎によくあるアーケード。1/3くらいはシャッターが閉じている。

 化石みたいな服が並ぶブティック。

 線香の匂いがしそうな仏具店。

 新鮮な夏野菜がカゴに詰まった八百屋。

 色あせた演歌歌手のポスターが貼られたレコード屋。

 古い花火を大量にワゴンに置いたオモチャ屋。

 そんな、完膚なきまでに田舎じみた店々を見ると、ますます子供のころの夏休みを思い出す。

 白い旗に涼しげな水色の文字で「かきごおり わらびもち」と書かれた甘味処があったので、左ウィンカーを出して路肩にバイクを止めた。

 バイクを降りて、クーラーの効いた店内に入り、やけに愛想のいいおばちゃん店員からミルク味のアイスを買って、くわえながら外に出た。

 よしずで日陰になった店先のベンチに座ってぼーっとしていたら、隙間のない蝉しぐれの中を、200メートルぶん歩いたさっきの女の子が、ゆっくり近づいてくるのが見えた。

 目の前に来た。

 まわりには誰も居ない。

 その子が俺から、意識的に視線を外しているのがわかった。

「こんにちは」

 俺が快活に言うと、驚いた顔がこっちを見た。

 目が合うと、その子はまた反射的に逸らした。

「……抹茶とミルクで迷ったんだけど、ミルクにしたんだ。正解だったと思う?」

 アイスをにらみながら、真面目な顔で、俺はゆっくり言った。

 あえてその子は見ない。

 パッと視線を向けると、その子は目を見開いていて、それから二・三度パチクリとまばたきをした。急に話しかけられてものすごく戸惑っているのがわかる。

「本当は、両方食いくらべたかったんだけど、見ての通り、貧乏旅行中でね」

 明るく言って、それから笑う。

 話している間に、アイスはどんどん溶けて滴っていた。

 俺は、慌てて手を持ち上げてそれを下からベロで舐めあげた。

「……抹茶の方が美味しいかな……」

 緊張した硬い声で、その子がおそるおそる言った。

「あ、そっちかー」わざとらしく顔をしかめて「やっぱり、きみが歩いてくるの待って、勇気を出して声かけて、ちゃんとリサーチしてから買うんだったかな」

 うんうん頷く。

 くすっとその子が少し笑った。「でもミルクもおいしいよ」

「うん。実はまあそうなんだけどね」

「バイクで旅してるの?」とその子は路上で異様な存在感を漂わせる俺の青いバイクを見た。

「そ。こんな町、初めて来たよ」

「田舎でしょー?」

 その子は少し移動して、よしずの日陰に入った。

「田舎だね」

 甘味処の軒先にぶら下がった透明な風鈴が、微風に揺れて、「ちりりん。ちりりん」と鳴った。

「でも、なんか不思議と感じはいいね。バイクで走ってて、わざわざ止まったくらいだから。ずっと走ってると、止まるのって、けっこう億劫になるんだ」

 そして街から街へ。止まらずに通り過ぎる。

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