通り過ぎるだけの町 3
日本一周の旅の間、俺の一日の食費は500円だった。(一食じゃないですぞ)
だから、アイスを買ってモスバーガーでコーヒーを頼んだ時点で、この日の食費は尽きた事になる。
ミチルとうまく会えたとして、そのあとどうなるかなんてまったく未知数だった。
場合によっては、また、『茹でたパスタにケチャップかけただけ』という、哀しい貧乏ライダーの夕食になるだろう。
おまけに、現在時刻は16時ごろ。
ふだんであれば、その日の寝床を見つけ、ぼちぼち野営の準備をし始めなくちゃいけない頃合いだ。
野宿する旅人にとって、暗くなってテントを建てることほど不手際はない。それは明るいうちに済ませておくべき最優先事項だった。
それでも、まともなメシや寝床にありつけなくなったとしても、ミチルと会うことのほうが、何層倍も大事だった。
キュートな女の子と会えるかもしれないチャンスなんて、男ライダーにとって、何よりも優先すべき超最優先事項で間違いはない。
とりあえず、町をぶらぶら散策する間、野宿しても怒られなさそうな古い神社を見つけておいた。いざとなったら、神様に頼んでそこに泊めてもらおう。
街にモスは一軒しかなかった。
俺は、およそ二食分の食費と等価であるしゃっきりと濃いブラックコーヒーをチマチマ大事に飲みつつ、何日かぶりの新聞を隅から隅までじっくり読んだ。
カランとドアが開いて誰か来るたびに目を上げる。
みかんじゃない。また違った。新聞に戻る。
世の中が、俺を置いて確実に、そして闇雲に、今日もどこかに向かっていることを改めて確認する。
みかん、来てくれるのかね。
バイトは早番らしく、15時頃に終わるという話だったけど。
「おーい」
誰かが俺を呼んだ。
ぼんやり目を上げる。
みかん……ミチルが立っていた。ケータイショップの制服じゃなく、私服だった。
「あ」
「あ。じゃないよもう」とミチルは不満そうに「無視するんだもん」
「ごめん。おれ、何か読んだりすると熱中してまわり見えなくなっちまうタイプで」
「新聞がそんなにおもしろい?」
「まあ、ごくごくたまにしか読まないからね」
制服を脱いだミチルは別人のようだった。茶色の髪は結っておさげにしていたし、白のTシャツに花柄のキャミを重ねて、下は健康的な水色のジーンズというカジュアルな恰好で、なんだか女子高生みたいに見えた。元々、小柄で、童顔なせいもある。
それはそうと……綺麗な脚が隠れてしまった。
「タイヤキくん、なんかガッカリしてない?」
「ぼくがっかり。制服じゃないのな」
「制服でウロウロなんて、できないよ。それにシャワーだって浴びてきたし」
確かにミチルの言うことも、もっともだけれど。
「男って制服好きだよねえ」ミチルは訳知り顔。
「好きだねえ」やけに具体的だけど誰のことを指してるんだろう。「まあとにかく、来てくれてサンクス」
「……はあ」とミチルは皮肉めいた顔でためいきをついた。「……けっきょく来てしまった。私もチョロイ女くらい思われてんだろうなー」
「いいや」と俺は大真面目な顔で言葉を返した。「軽い女だなんてまったく思ってないよ。みかんは、ここでじっと待ってる俺がカワイソウだと思って、わざわざ来てくれたんだろ?」
「ま、そういうことにしといて」
そこで俺は、ミチルが持っているヘルメットに目が行った。パールホワイトのジェットヘル。キラキラした蝶のラメステッカーが貼ってある。
「あれ? みかん、それ……」
「あ。原チャで来た」
「なにぃっ。みかんもライダーだったのか!」
「え? いや、そんな、ライダーって……ただの原チャだよー」
「いいやっ。ヘルメットかぶって、二輪に乗ってるかぎり、それはライダーだっ。同士だっ。仲間なのだっ」
ひとり騒ぐ俺を、ミチルは困った顔で見ている。
盛り上げようと大げさに言ってる部分は多々あるものの、本音も少しあった。
バイクで長期放浪なんてしていると、二輪車に乗っているってだけで、妙に仲間意識や連帯感を感じる。こればっかりは、常に風雨にさらされて、寒くて、キツくて、しんどい思いをしているバイク乗りにしか分からないシンパシーだろう。
「よおしっ。じゃあさっそくツーリングといこうぜっ。その山まで」
暴走ぎみに意気込む俺に、ミチルは両手の平をバタバタ振った。
「え? いいよー。私、原チャで遠出なんてしたことないし。タイヤキ君の後ろに乗せて」
後ろに乗せて、と言われて、唐突に、俺の脳裏にフラッシュバックする暖かい記憶があった。
夏祭りの夜。浴衣姿の美しい少女。
ひと夏の妹との、懐かしい思い出。
でも俺はその記憶を、胸の奥にしまい込んだ。
いまは目の前の女の子に気持ちを向けるべきだ。
「……そうだな。いいよ。タンデムで行こう」
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