忌みの山
小屋の中には、それこそ埃をかぶってはいるが、明らかに生活の形跡がある。机の上に無造作に広げられているのは分厚いノートだった。ざらついた質の悪そうな紙には手書きの文字や図が書きつけられている。ぱらぱらめくってみるが、もちろん読めない。
「秋元、これ読める?」
秋元は俺からノートを受け取ってぱらりとめくる。
「……いや、読めない。読めないというか、何が書かれているかわからない。専門用語か何かだと思う」
そうか、秋元は別に専門知識があるわけじゃないから、読めてもわからないものは沢山あるんだな。日本語で書かれてても医学書なんか実質読めないようなもんだもんな。
「あ、でもここはわかる。『容態、安定。通常の睡眠状態に移行。循環器異常なし。呼吸器異常なし。消化器異常なし。骨、筋組織ともに異常なし』――これ書いたの、医者か?」
忌みの山に暮らす医者。当たりだ。
「続きは」
「あとは時間ごとの検査だなたぶん。脈拍異常なし、体温異常なし、血圧安定。行動記録もあるのかな、何時に部屋の掃除とか書いてある」
これはユリウスが書いた彼女の記録だ。前半の読めない部分は、あの不治の病についての研究記録。ということは、机の上にあったこの一冊が最新で、壁沿いに積まれた本や紙の束は途中記録ってことか。
「ここって要は姥捨て山なんでしょ? こんなところに医者が居たってこと?」
姥捨て山て。すごい単語チョイスしてくるな望月さん。
「うん。ここには医者――っていうか魔術師が住んでたんだ」
「変わった人だね」
「うん」
ユリウスがどうしてここに住んでいたのかは知らない。自分も病で棄てられたのかもしれないし、あるいはただ人間関係に倦んで山篭りみたいな生活をしていただけかもしれない。どっちもありえる。リュグナの件もそうだけど、ひょっとしたら魔術師っていうのは力に比例して畏敬と猜疑とを集めるものなんじゃないだろうか。
引き続きノートを読んでいた秋元が「ちょっと日記っぽいのが書かれてる」と手招きするので、俺ら三人は読めもしないのに揃ってノートを覗き込む。
「何て?」
「『あの女、どれだけ花を摘んできたら気が済むんだ。養蜂でもするつもりか? 不衛生だと言っても珍しいからの一点張りだ。何か退屈しのぎが必要なのか』。――そういえばあちこちに枯れ草があるな」
日記っていうか、愚痴。びっくりするほど率直な愚痴。昔から何も変わってなかったのかあの男。俺が呆れている横で望月さんとローラがくふふふと楽しそうな笑い声を上げた。
「お医者さん、ずいぶん鈍い人だったんだねえ」
「鈍い?」
「だってそんなの、お医者さんに見せたいと思ったから摘んできたに決まってるのに」
「あー」
まあ確かにそういうのに気が付きそうなタイプではない。薬草以外は雑草に区別してそうだし。
「いいなあなんかロマンスの匂いがする。ね、続きはないの」
「うーんと……あ、花のスケッチとお茶の作り方のメモがある。ハーブティーだ」
秋元が示したページには、花のスケッチとなんらかの文字が書かれている。っていうか結局実用に向くのかあいつ。どこまでもロマンスから遠い男。彼女、確かレイって言ったっけ、なんか可哀想になるなあ。なんたって相手はあのユリウスだもんなあ。それがいわゆるロマンスてきなものであってもあるいは単なる思いやりであってもなかなか届かない気がする。
「あ」
「何かあった?」
「……押し花」
秋元がページを広げて見せ、ローラと望月さんが肩を寄せあってそれを覗き込む。
「ほんとだ。枯れてないってことは何かしたのかな、魔法?」
「かもしれない。俺には押し花も魔法もわからないけど」
「なんだかんだ嬉しかったんじゃん、お医者さん」
望月さんが目を三日月にして楽しそうに笑っている横で俺はなんかもう泣けてしまってダメだった。表面張力ゼロみたいな涙が目からばーばー出てくる。胸も鼻も目の奥もいろんなところが詰まっちゃって苦しくてしゃがみこんだら上から「え、何、どうしたの」って望月さんの狼狽したような声が聞こえてきたんだけどごめん今ちょっと立ち直れない。
たぶんあれは永遠に枯れないんだろう。ユリウスがあれを作った時点では、きっと永遠に生きるつもりだっただろうから。
ほんと馬鹿じゃねえのあいつ。なんでそれっぽっちしか望まなかったんだよ。花一輪持ってれば十分とかマジでクソじゃん。つうかやってることほぼストーカーじゃん。バカか。思い出し怒りでムカムカしているはずなのに涙も鼻水も止まらない。あーこの世界ティッシュ無いのにーと脳の隅の冷静な部分が思う。鼻すすったり咳き込んだりしながら泣いてたら望月さんと秋元が鞄からありったけのポケットティッシュを差し出してくれてありがたく鼻をかむ。
半ば嘔吐きながら泣いて泣いてどうにか落ち着いて、二人にお礼を言う。だっせえ。
「これ、ここに置いていこう。たぶんそれが一番正しいよ」
「そうだな。たぶんそれがいいんだろう」
まだちょっとしゃっくりを引きずっている俺をスルーしてくれる二人マジ優しい。
「ありがとう。でもそれ持っていった方がいい」
「え? なんで?」
「たぶん、結構珍しい病気の直し方がその前半に書かれてると思う。読めないけど」
「そうなの?」
「あいつが最後に診た患者、不治の病だったんだ」
「あー……そうか、そういう……」
「え、でもこれ持っていっちゃうのすごいだめな感じする。日記盗むようなもんじゃん」
「……半分くらいで破いて持ってく?」
「すごい不敬な感じしない?」
「えーあーえーとどうすっかな」
とにかくこれを解読できる人に託さなくてはいけない。あいつたぶんこの病気の治し方を誰にも伝えないまま死んでる。あいつは彼女一人救えれば満足だったかもしれないけど、本来あの病は罹った人を諦めなきゃならないほどの病だ。治せたほうが良い。今まだ治せないのか知らないけど。
「よしわかった。リュグナに頼もう」
「リュグナ様ってあれなの、これ書いた人が信頼してる人なの? 日記読まれても平気なくらい?」
「いや、たぶんめちゃくちゃ嫌がると思うけど、大丈夫。一回記憶全部読まれてるから実質ダメージゼロ」
「実質ダメージで計算して良いのかなそれ」
「でも他に適任いないし。そうと決まれば善は急げということでリュグナー!!!」
国内中の全員に聞こえているのでは? という疑問を横に置けば広範囲ゴリラテレパシーは便利なもので、秋元が「待っ」とか言ってる間にびよーんと空間を移動する。気がつけばあの塔の中に居て、目の前にリュグナがいる。
「あ、仕事から開放されてたんだ? おっつおっつ」
「いやずいぶんこき使われた。ここ三十年分くらいの働きはこなしたかな」
「とか言って三十年以上引きこもってたんでしょ? まだまだじゃない?」
「言うよな君も」
とかって雑な会話してたら「なんて口の利き方を」つって秋元が顔面蒼白になっていてウケる。
「いいじゃないか。ずいぶん長いこと引きこもってて、私には友人もいないんだ。せっかく異世界から来て後腐れもないことだし、君らもぜひ友だちになってくれ」
「そんな、畏れ多いことです」
「ねえ、ローラがいない」
「え?」
望月さんが言って初めて、ローラがいないことに気がついた。確かにいない。殺風景で初期設定のVR空間みたいな殺風景を突き詰めた部屋には俺とリュグナ、望月さん、秋元の四人だけがいる。
「ローラ?」
「一緒に来た女の子がもうひとりいるんだ」
「ふむ。どれ」
リュグナが手を差し出すので俺も手を差し出す。他にやりようないのかなと思うんだけど頭を直接掴まれるよりマシか。
「何してるのそれ」
「こうすると記憶読めるんだって。なんかの魔法。なああんまり余計な記憶までは読まないでほしいんだけど」
「なるほど、面白い子を連れてきたね」
リュグナが俺の手を離してうっすらと笑う。
「面白い?」
「君たちは現王――いや、先王の意思を台無しにしようとしている」
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