2章 ゴリラと行く異世界王女奪還

天高く馬肥ゆる

「すーがーわーらッ」

 肩を掴まれて振り返るとクラスメイトが立っている。またお前か色麻。

「今日はもういいよ黙ってろ」

「厳しいな?! それ朝一言目に言うこと?!」

 うるせえ。もう一回見たんだよそのテンション。朝っぱらにキツいんだよ馬鹿。

「和樹なんか今日顔色悪くね? どした?」色麻の背後から顔を出したのはやはり相川だ。中学と最寄り駅とクラスが同じ二人は必然的につるんでいることが多い。そこに隣の駅から俺が乗ってくる。その結果がほぼ毎朝のこれ。

「……悪夢って言ったら失礼な気がするんだけど諸々トータルして悪夢としか言いようがないような夢を見てだな。なんか疲れてんだよ朝から」

 そもそも母さんとメリアの間で普通に会話が成り立ってた時点でおかしいと気付けよ。翻訳魔法無しで会話は無理だって。俺だって正直その効力が残ってるかどうかよくわかんないのに。

「普通に悪夢でいいじゃんどこへの忖度だよそれ」

「俺な、ゴリラの友だちがいるんだよ」

「急にどうしたよ」

「久し振りに顔が見れたのはちょっと嬉しいんだ、一応」

「ゴリラの見分け付くんか」

「勇者だからね」

「ひとつも意味わかんねえ」

「わかんなくていいんだ」ただなんか、誰かに言いたかったんだよ。俺にはゴリラの友だちがいるんだって、ちょっと言ってみたかったんだよ。いないみたいに扱うんじゃなくてさ。いやまあこっちの世界には実際いないんだけど。

 未だにまとまらない頭で薄ぼんやりと考え事をしていると、相川が「こういう話は知ってる?」と口を挟んだ。「夢に出るのって、自分が会いたい人じゃなくて、自分に会いたいと思ってくれてる人なんだって」

「へえ。なにその謎現象」

「平安時代には浸透していた考え方でね、万葉集にも載ってるよ。『いかばかり 思ひけめかも しきたへの 枕片去る 夢に見え来し』――枕の片側を空けて眠った私の夢にいらしてくれたあなたは、私をどれだけ想ってくれたのでしょう、って」

「言っても迷信じゃん?」

「まあね。万葉集には逆の歌も載ってる。『思ひつつればかもとな ぬばたまの一夜も落ちず 夢にし見ゆる』――一夜ごと妻の夢を見るのは妻を思いながら眠るせいだろうか」

 相川は物静かではあるが喋りだすと長い。そういう言い方をするとユリウスと同タイプに見えるが、あっちより好意的で話したがりだ。全く相槌を打たなくても勝手に喋ってるから楽っちゃ楽だけど。

 片道四十分の電車通学。一時限目は数学。いやもう今日の分の授業受けたしと思いながらもまあ所詮夢の中の話であって、実際に授業内容が脳内にあるわけではないので渋々受ける。そういや夢の中でゴリラの図鑑読んだな。なんだっけ。っていうか高校の図書室ってどこにあるんだ? 入学直後に校内を案内されたときに一回行ってるはずだけど。

 結局夢でも現実でも授業を大して聞いていないという点では変わりない。天気はいいし蔦田の授業はたるいし板書は多いし眠いしでどうにもぼうっとしてしまう。あー。いい天気。なんかいいにおいする。なんだっけこれ、あのオレンジの小さい花の匂い。校門の近くに植わってるやつ。相川に何回か訊いてその度に覚えた気になるんだけどまあまあ忘れるんだよな。秋の匂いだ。天高く馬肥ゆる秋。天高くって正直よくわかんねえんだよな。天の高さって変わんねえじゃん。どっちかっていうと青色が深い夏のほうが高い気がするし。薄氷が張ったような冬の空は低い気がする。なんとなくだけど。だから俺の感覚としては今は天が低くなってくる時期で、なんだっけあの雲、ひつじ雲かいわし雲かうろこ雲。季節的に鰯か? 鰯って秋の魚だっけ? 何の話だっけ? とかもうひたすらぼーっと考え事とも言えないくらいの考え事をしていて、心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく――書いてはいないな。書いてはいないんだけどまあなんかぼーっと考え事してたら急に「助けて」って声が聞こえてビビる。

「今なんか聞こえた?」

 隣の席の古賀さんの肘をシャーペンの尻のところで突いて訊いてみると、古賀さんはかくんと首を傾げ、ふるふると頭を振った。古賀さんは極端に口数が少なく、ジェスチャーが多い。表情豊かな小動物って感じだ。しかしそうか、何も聞こえなかったか。気のせいかな、とか思って落ち着こうとしたところでまた「助けて」って今度ははっきり聞こえた。


――助けて! お願い、力を貸して!


 急に椅子を蹴飛ばして立ち上がった俺をクラスのほぼ全員がぎょっとした顔で見る。え、見るべきは俺じゃなくね?

「菅原、どうした」

「え、今、助けてって声が」

「誰か聞こえたか?」

 蔦田がクラス中を見回す。俺も見回す。でも誰も反応しない。

「寝呆けたんじゃないのか?」

「ええ……? 起きてましたよ……?」

「目覚まし代わりに九十二頁の問三、前に出てきて解いて」

「ええー……」

 何その突いてない藪から蛇が出たみたいなの。

 文句を言っても仕方ないので釈然としない気持ちを引きずったまま黒板の前まで出て数式を書く。っていうかあんなはっきり聞こえたんだから絶対クラス中にも聞こえたよな。耳を澄ませていれば聞こえたとかそういう水準の話ではない。聞こえていないのがおかしい。でも仮にもしあれが俺にしか聞こえない種類の声だとしたら。……ゴリラ・テレパシーか。いやっていうかゴリラ・テレパシーってこっちの世界でも聞こえるもんなの? 普通に日本語だったよね? 翻訳魔法がまだ効いてる? まだ寝てる? 夢の続き?


――助けて。力を貸して。


 声は断続的に続く。およそ南西方向にゴリラで半日くらいの距離。ああでも向こうはあんまり山が無かったからどうなんだ? いや別にゴリラで移動するわけじゃないからゴリラ換算する必要はないのか。単に平面で見ればいいんだ。いやしかし向こうの距離の単位がいまいちわからなかったからゴリラで半日っつっても結局何キロ先なのかみたいなことはわかんねえな。

 こんなときには文明の利器、スマホ。「ゴリラ 速度」で検索。ホンダのゴリラが出てくる。違うそのゴリラじゃない。「ゴリラ 走る速さ」で再検索。マウンテンゴリラで時速五十キロ。マウンテンゴリラって言われてもあの三人が何ゴリラなのかよくわからないのだけどどうするかな。そもそも周囲の景色がずーっと草原だったからスピード感も距離感もあったもんじゃなくて本気でよくわからん。

 っていうかそもそもあれがゴリラテレパシーだったとして誰に助けを求めてるんだ? ゴリラ? 俺じゃないよな?

 例えばベタなファンタジーを下敷きにして考えてみると、何か空間の歪み的なものに向こうのゴリラが巻き込まれて俺の居る世界に誤転移してしまい右も左もわからずに逃げ惑っているとか。そんで右も左も敵も味方もわからないから無作為に助けを求めているとか。だとしたらこのテレパシーを聞けるのってもしかして俺だけなのでは? 俺が助けに行かなかったらあのゴリラは捕まってしまうのでは? とかどんどん何の確証もない想像に沈んでいってしまってさてどうするべきかなと思案していたら「すぐに参ります、それまでご無事で」と声がしてまた首を捻る。どういう状況?

 取り敢えず地図アプリを広域にして開き、声のした方向に定規を当てて見当をつける。今いる場所から声のした方向にはいわゆる日本の背骨的な山脈がどかんと横たわっている。この山の中だったら詰みだ。移動手段もないし、捜索のレベルの話になる。一般高校生にどうにかできる話ではない。っていうかそもそも俺に何かできることあるのかあれ? 通訳?

 兎にも角にも情報が足りなかったので時間を見つけては検索エンジンで「ゴリラ」と打ち込んでニュースやら何やらを探してみるのだけど基本的には「どこの動物園でゴリラの赤ちゃんが生まれました」みたいなほんわかしたニュースばっかりでどうも要領を得ない。どれだけ検索しても別にゴリラが逃げ出したとかそういう種類のニュースは別に無くてSNSとかでも検索してみるんだけどやっぱりそういう話は無い。目撃情報みたいなのも特に無い。気になったまま寝て気になったまま起きて取り敢えず学生なので学校には来る。学校にはいつも通りの光景が広がっている。世の中はこともなし。

 ひと晩寝てみて新たなアイデアが浮かんだんだけどもしかしてゴリラ界からテレパシーが混線しているみたいな、混線じゃないな、漏……いいか混線で。そういうアレは無いんだろうか。いやそれにしては声の距離が近すぎるんだけど。

 そんでまあ軽く異常事態ではあるんだけどそれはそれとして今日も天気は良いし花の匂いはするし授業は眠いしでぼーっとし始めた頃にまたゴリラ・テレパシーを受信する。


――ミサキ、危ないから下がっていて!


 は?

 ミサキって言ったか今?

 え、ちょっと待って状況がわからん。なんでそこで日本人名が入ってくる? そういう名前のゴリラ? あるいは聞き間違い? いやでも普通にミサキって言ったよね今? 誰?

 いよいよ普通に人間が巻き込まれているんじゃないかと思って俺はますます検索してみるんだけどやっぱり何かが起きたという話はない。ミサキ。名字なら岬、三崎、美崎、名前なら美咲、美沙希……あれこれ埒が明かないのでは? と思ったけどニュースサイトならフリガナが併記されている可能性が高いと思ってミサキで検索してみたところ一件のニュースに突き当たる。学校教師殺害。その犯人を見破った女子生徒が「望月美咲」。

 学校の位置を検索してみると、ゴリラテレパシーが聞こえてきた方角に一致する。でもニュースにはゴリラのゴの字もない。っていうか学校で殺人事件ってなんつう物騒な……。


 そもそも考えてどうするつもりだ? 何かできるのか?

 いやでもこれスルーしたら寝覚め悪くない? 少なくとも原因と結果は知りたくない?

 いつまで勇者気取りだよ。ただの男子高校生だろ。

 いやまあもちろんそうなんだけど、でも、――。

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