帰還
不安半分に恐る恐る光の渦をくぐると、そこには見慣れた俺の部屋が確かにあった。クローゼットの中を振り向くとかかった洋服の向こうに光の渦が見える。さっきまでのシリアスな気分の置き場が無い。戻ってこられた喜びとかもいまいち、ない。たぶん理解がまだ追いついていない。ベッドの上に置きっぱなしにしていたスマホを確認すると、向こうで数日過ごしたはずなのに、日付は変わっていなかった。
「母さーん」
居間に出て普通に声をかけると、普通に座椅子でツムツムやってる母が「何?」と返事をする。見向きもしないし特に変化とかはない。
「生姜焼き食いたい」
「生姜焼き? なんで買い物行く前に言ってくれないの、今日もう買い物してきちゃったでしょ」
「ごめん、なんかふと思っただけ。今日の夕飯なに?」
「鶏の照り焼き。生姜焼き食べたい?」
「ああいいね、いいよ鶏の照り焼きも全然いい。味の濃いもん食いたかった。あと白米。白米っていいよね」
「どうしたの急に」
いやそれがですね、俺ここ数日野菜とか果物とかばっかり食べてたんですよ。言っても伝わらないと思うけど。ゴリラ界で肉食がどういう扱いになっているかが想像できなくて宗教とか倫理とかに触れるのも怖い気がして結局「肉が食いたい」とは言い出せなかったのだ。
「なんでもない。ところでどっかにひいひいじいちゃんとひいひいばあちゃんの写真とかってある?」
「あるわけないでしょ」
ですよね。
「なんか必要なの? ばあちゃんちにあるかもしれないから、LINEしてみたら?」
「んーまあちょっと見たいだけなんだけど。連絡してみるわ」
祖母の家は古く、収納がものすごい量あり、その収納の全てに「家の歴史」とでも呼べるようなありとあらゆるものが詰まっている。かといって散らかっているわけではなく、アルバムだろうがなんだろうがほぼすべてを管理している祖母はLINEにも対応できるスーパー婆ちゃんである。
「ひいひいじいちゃんとひいひいばあちゃんの写真ってどっかにある?」と送信してみたところ、数分後に「ちよつとまつてね、さかしてみるから」と返信があり、祖母のハイテクへの順応っぷりはまあ、微妙。連絡がつくだけいい方か。濁点の打ち方は今度会った時にでも教えよう。
久しぶりのふかふかベッドに寝そべって少し待つと折り返し連絡が来る。写真がついている。それを見て、つい「えっゴリラじゃん」と呟いた。思わず声が出た。しかしそれくらい、かなり、ゴリラだ。白無垢を着たゴリラ。っていうかもしかして視力と引き換えにしちゃったから結果見えてないんじゃん本人。本人っていうか、本ゴリラ。え、これ詐欺では? すごい幸せそうに微笑んでるけど詐欺に遭っているのでは?
さすがに文句のひとつでも言ってやろうと思ってクローゼットを開けたが、かかった服の向こうには背板があるばかりで、もう光の渦は存在していなかった。
え? どこに訴えればいいのこれ?
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