独り善がりの末路
「……あれの名前はレイ。幼いうちに母と死に別れ、酒代として父に売られ、その先でまた棄てられて教会に拾われた女だ。売女と罵られ、聖女と崇められた女だ。
女は神を愛した。神の作りし人の子を愛した。信じられるか? 人の悪意という悪意を一身に浴びておきながら、一杯のホットチョコレートでそれら全てを許してしまえるような目出度い頭の持ち主だ。助けてくれと言われれば助ける、恵んでくれと言われれれば身包みまで恵んでしまう、度を超えたバカだ。――まあ、そんな女だから修道女としての評価は高かった。お陰で救われたと言って拝みだす人間までいた始末だ。
あれの末路はだから別に、自業自得とかいう種類のものじゃない。ただ、関係がないんだ。個人の振る舞いとその人間の末路に関連はない。
あるとき女はひどい病に罹った。病は腑を焼き、女は無限の苦しみに晒されることになった。苦しみに掻き毟った皮膚は爛れ、常に血と膿とで汚れた。痩せ衰え、常に笑みを絶やさなかった頃の面影もなく、ただ喘鳴を繰り返し死を待つだけの塊になった。病の恐ろしさからか、はたまた利用価値がなくなったからか、もう誰もあれに近付こうとはしなかった。
あの地域には忌みの山というのがあった。もう助からない人間を棄てて口減らしとする、命を捨てる山だ。表向きは神聖な山で終生を過ごすことで次世の幸福を願うとかだったが――まあいい。どうあれ、女は忌みの山に棄てられた。ただ地面に転がされ、屋根も壁もなく、冬の只中に火を焚く力もない。あんなもんは生き埋めと変わらない」
「どうしてそこまで知ってるの」
「あの山には娯楽がなくてな」
なんていうかシンプルに性格が悪いんだなこいつ。忌みの山に棄てられた瀕死の病人の記憶なんか覗くか普通。
「当時、あの病を治す術は誰も持っていなかった。回復魔法は死を遅らせるだけ、死を遅らせることは苦しみを伸ばすだけ。残されたうちで一番マシな選択肢は殺すことだった。あるいはリュグナなら何か知っていたかもしれないが、あれは伝説に近い。実在してるとは思わなかった」
「魔法でも治せない病気があるのか」
「原因がわからないものは治せない。魔法は手足の延長でしかない」
つまり理解がないと分解はできても再構築はできないとかそういう話だろうか。いや、病を取り除けないなら分解もできていない?
「でも、殺さなかったんだろ」
「……足りなかったんだ、知識も時間も何もかもが。ましてや俺の命だって残り幾ばくも無い。だから俺は、女の時間を止めた。女の時間が止まっている間に俺は禁忌とされる不死の術式を行い、それを成功させた。そこから十数年をかけて女の病を突き止めた。女を目覚めさせ、治療を施した」
「時間を止めるなんてことができるの」
「以前リュグナに会った場所、あれがそうだ。あれは時間の干渉を受けない。あの中で病は進行せず、命は摩耗せず、あらゆるものが状態を維持する。原理的にはあれと同じだ。リュグナは永遠に近い時間を生きてこそいるが、不死ではない。あの場から一歩出れば普通に老けて死ぬ」
なるほどつまり、時間を止めるというのはザ・ワールド的なものではなく、どちらかと言えば固有結界に近いのか。あくまで外界の時間から切り離されるだけで、体が動かないわけではない。戦闘向きの能力では無さそうだなというところまで考えて、はたと思い当たる。喉の内側が急に乾いたような気がして、唾を飲む。
「……それって、じゃあ、その女性は」
「言っただろう、死を遅らせることは苦しみを伸ばすだけだと。――俺はあの女から死を奪い、身を焼く病の中に十数年閉じ込めたんだ」
冷たいものが背筋を滑り落ちていく。ただでさえ、皮膚を掻き毟り爛れさせるほどのひどい病だったのに、それが十数年。時が止まって、昼も夜も無く、誰もいない場所で、十数年。
「治療が済んでから記憶は消したが、死んだ方がマシだと何千、何万回も思っただろうな」
「な――忘れればいいってものじゃないだろ?!」
「覚えているよりはマシだ。傷もない、記憶もない、病だって治れば人並みには生きられる。だったらただ苦しんだだけの記憶なんて無い方がいい」
それはそうかもしれない。あるより無い方がマシかもしれない。それでも、頭のどこから強烈にそれを拒絶する。
「責任逃れだと言いたいなら言えばいい。俺からしても記憶が無くて都合がいいのは事実だからな」
「……その後、彼女は、どうなったの」
「どうもこうも無い。ほとんど直後に殺された」
「殺された?」
「山の中で、自分を捨てた村の人間と鉢合わせしたらしい。そりゃあ驚くだろうな。ぐずぐずに腐って死を待つだけだった、忌みの山に捨てたはずの、自分を恨み憎んでいるだろう女がにこにこ駆け寄って来るんだから」
「じゃあ記憶って、全部消したわけじゃなくて」
残したのか。彼女にとって都合のいい部分だけを、彼女に優しかった人たちだけの記憶を。ユリウスは苦虫を噛んだように眉根を寄せ、顔を歪めた。
「残すんじゃなかった。あいつがかつて愛し、施し、信頼した連中の記憶なんてすべて消してしまうべきだった。そうすれば少なくとも、二度裏切られることは無かっただろうに」
「だから、――彼女を裏切ったから、村人たちを彼女と同じ病気にしたの」
「魔王の正体だったな。今魔王と呼ばれているのはその女が憎しみに食われて変生したものだ。あいつにとってあの村は世界のすべてだった。だからこそ世界のすべてが憎い」
「質問に答えてくれ」
「……誰も十日はもたなかった。十日で済む程度の苦しみなんかどうだっていいだろう」
「自分は十日で済んでないだろ」
リュグナとの戦闘のときに見た、あの緑の泥。膿とも黴ともつかない何か。あれが彼女の病と同じものなら納得がいく。
ユリウスは村人たちに償わせようとしたのと同じく、自分自身も償おうとしたのだ。
「感染はしないから安心していい」
「そういう話じゃない」
「あと七年残ってる」
「それに何の意味があるんだよ!!」
ユリウスのやりたいことはわかる。彼女を病に閉じ込めたのと同じだけの時間、自分をそこに閉じ込めている。でもそんなことをしたって何かが戻ってくるわけじゃない。思わず掴みかかった俺を、ユリウスが睨む。
「無い。全ては俺個人のエゴだ。それの何が悪い」
「……俺は、ユリウスが苦しむのは嫌だ」
「そうか。それで? 嫌だからって何かできることはあるか?」
「……無い……」
俺はユリウスの胸元を掴んでいた手を離して息をつく。怒ればいいのか、悲しめばいいのか、自分がどうしたいのかがもうわからなかった。なんとなく「悔しい」と思ったが、何に対してそう思うのかもわからない。
「そうだな。話は終わりだ。ついでに面白い話をしようか」
え? この流れで?
「
「え」
「生きていればの話だがな。
なんだ。メリア、ちゃんとアレックスの力になってたんじゃないか。本人が知らないところで、誰よりも。
ユリウスが二人の方へ視線をやってうっすらと笑う。その顔がなんだか羨ましそうに見えて少しむず痒くなる。
「ユリウスの家族は?」
「強いて言えば、忌みの山に気に入りの木があったな。大量の死体を養分にして育ったとてつもない大樹だ、一見の価値はあるぞ。あの山に捨てられることがあれば見るといい」
サラッと縁起でもないことを仰る。
「お前こそ、しばらく家族に会っていないんじゃないか。帰りたいって言うなら今のうちにでも帰してやれるが」
「……いや、最後までやるよ。勇者なんでしょ、俺」
元の世界を恋しく思わないわけじゃない。ふかふかの毛布とか生姜焼きとかポテチとかそれこそ友だちとか家族とか、そういうものが懐かしくないわけでもない。けど、ここで投げ出せるほど薄情でもない。こっちの世界だって、もうそこそこ大事だ。
「あ、そうだ、記憶を消せるならアレックスの分もどうにかならない? ユリウスに襲いかかったのとか、本人キツいと思うんだけど」
訊くと、ユリウスは「肝が据わってきたな」と言って唇の片方を吊り上げた。「だが、そういうわけにもいかない。敵を知らずには戦えないだろう」
「あー……」そう言われれば、まあ確かにそうだ。
「以前ガロで戦った相手。あれも今回と同じものだ。近隣の魔物を駆除して回っている最中に、その体液を浴びた。これは憶測だが、どうも傷口にかかるとまずいらしい。あとはさっき見た通り、膨れ上がった憎しみに絡め取られて我を失い、周囲に襲いかかる」
周囲とは言うが、アレックスがユリウスを狙っていたことを考えると、たぶん憎しみの対象に向けて攻撃しようとする側面もあるんだろう。ガロで戦ったやつも、今回の敵も、かつてそれぞれの町で何かがあったのだ。
「まあ、それは知る必要がない。あいつらのあれはどちらかと言えば八つ当たりだ。置き場のない悲しみがねじれて、憎しみとして膨れ上がったんだろうさ」
それを聞いてほんの少し安心し、反対にほんの少し苦しくなった。置き場のない悲しみが周囲に八つ当たりするほどの強い憎しみになる。ならば必要なのは攻撃で鎮圧することじゃないはずだ、本当は。
ところでユリウスの話に「ホットチョコレート」という言葉が出たので、つい懐かしくなって後日「飲みたい」と言ってみたところ、なるほど甘くて温かい、ミルク感のあるものが出てきたのだが、総合的にはミルキーなおしるこという具合のものだった。まあ、コレジャナイ感を除けば甘くて美味しい。翻訳魔法の精度については疑問が残るものの、異世界の人間とこのレベルで疎通できているんだから十分だろう(何目線?)。
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