小ゴリラ:ユリウス

 父の兄、つまり俺の叔父はバイクツーリングが趣味の人だった。だったっていうか、まあまだ余裕で存命中なのだけど、最近はカメラが趣味になったようでバイクに乗って何処かに行くのがメインというよりは行った先で写真を取るのが趣味みたいな状態になっていて、つまりバイクは目的を達成するための道具になって、目的そのものではなくなったようなのだ。行った先々でいろんな写真を撮ってきては見せてくれる叔父さんは好きだけど、目的もなくバイクで出掛けることをかっこいいと思っていた俺としてはそこに目的ができてしまっていることをちょっと残念にも思う。違うな、今はその話じゃない。昔叔父さんの趣味がバイクそのものだった頃、俺もときどきそのバイクの後ろに乗せてもらった。もちろん子供を乗せているのだから速度なんてたかが知れていたのだろうが、まだ幼い俺はそれを風にもなりうる猛スピードと感じていて、楽しかった。いつか大きくなったら一緒にツーリングしようなと言って撫でてくれた叔父さんの手は大きく、固く、暖かかった。そうだ俺、ゴリラに乗るのが夢だったんだ。


 まあ、ゴリラ違いなんだけど。


 アレックスの背に乗って駆け抜ける草原はなんというかサバンナだった。感動と興奮と幻滅と恐れのうちどれを感じれば良いのかがよくわからず、なんだかほぼ無心で全身に風を浴びている。風になる。俺、ゴリラの背中で風になってる。夢なら醒めてくれ。

 城下町での買い物を終え、俺率いる勇者一行は一路魔王討伐の旅を開始した。ざっくり西方面から魔王の侵略が広がってきているという情報はあるものの、あとの情報は聞き込みで解決していくしか無いようだ。ちょっとRPGっぽくなってきた。魔物については、さっき一度スライムらしきものとちょっとした戦闘を行った。戦闘というかほぼ害獣駆除。初めて見るスライムは、泥と草とが大量に付着してて汚かった。あれももしかしたら擬態効果があるのかもしれない。知らんけど。

 ゴリラの背に乗って草原を駆けること数十分で城下から最寄りの村に着いた。イメージ的には町と町が高速道路でつながっている感じで、道中にも例えば駐屯兵の詰め所であるとか宿屋であるとかがちらほらとあった。高速道路というか、大名行列に使われてた街道ってこんな感じだったのだろうか。

 街道は基本的にゴリラたちの魔法と物理的な力で守られて安全なのだそうで、今回の旅ではどんどんこの街道を離れていくことになる。最初のうちは頻繁に休めるが、魔王に近付くほど休めなくなっていくパターン。あるある。

 日が暮れるまでにはまだ時間があるものの、次の町までは距離がある。ゴリラは特別夜目が効くわけではなく、相手は夜になると活動が活発になるとかで、今日はここで宿を取ろうということになった。城下で一泊して明日出発にしても結果あんまり変わらなかった気がするのだが、まあそこはいい。地理にも事情にも詳しいわけじゃないし。

 夕飯(ほぼ野菜と果物)(量でカロリーを賄っていくスタンス)(生姜焼きが食べたい)の後、アレックスとメリアの二人は宿の広間でああだこうだと今後の計画らしきものを立てていた。当人たちいわく「勇者様は戦士でも軍師でもないんだろ? こっちはこれが本業だ。戦略はこちらに任せてくれ」とのことで、まあ確かにターン制コマンドバトルばっかりやってたからアクションバトルは結構苦手なんだけどゴリラの戦略に乗るのもそれはそれで大丈夫?

「ね、ユリウス見なかった?」

 声をかけると、ゴリラが二人振り向く。ところで味方パーティ三人は大きさで見分けがつけられるからいいものの、もっと大人数になるとさっぱり見分けをつけることができない。単なる見分けはつくのだがちょっと大きいのが誰でちょっと茶色いのが誰でという神経衰弱のレベルが高すぎる。今度どこかで目印でも設えたほうがよさそうだなあ。

「さあなあ。夕飯の後どっかに消えたな」

「どこかに出かけるなら声くらい掛けてくれてもいいのに」

「まあ、そのうち戻ってくるだろ。子供でもあるまいし」

 城下での買い物のあと、俺はユリウスに話しかけるタイミングをずっと模索していた。しかしあのゴリラ全然話しかけるタイミングがない。というかもう完全に壁を作られてる。話しかけられてたまるかという意気込みを感じる。メリアからユリウスへの嫌悪の正体は(まあ若干嘘つかれてるっぽいとはいえ)一応解決したものの、ユリウス、さてはあいつ基本属性として人嫌いだな? 理由あって個人が嫌いなわけじゃなくデフォルトで人間全部が嫌いなタイプの人間無理部員だな? 俺だってそもそもそんなにコミュ力高いわけじゃないのにこうして頑張ってるんだからなんかこうもうちょっと協力の姿勢があってもいいんじゃねえの? どうなのそのへん?

「魔術師先生も基本的には研究職だからなあ。人と話すこと自体あんまりないんじゃないか?」

 ははーんさてはよく知らないで適当言ってるな?

「アレックスとメリアは確か軍人? 北方軍だっけ?」

「元な」

「それそんな拘ること?」

「まあ、軍人だからな。所属とか階級とかは気になる」

「隊長は軍内部から見ても気にしすぎだったと思いますけど」

「だから今は隊長じゃないっつうの」

「北方軍には魔物の話は来てなかった? 西方に知り合いはいたりしない?」

「知り合いは居なくても話は聞いてた。数か月前からちょっとずつ魔物が出るようになったって」

 アレックスとメリアの話をざっくりまとめると、こうだ。

 百年前、先代の勇者――つまりうちのじいちゃんが魔王を封印した。封印は成功し、世界は一旦平和になった。しかし、数年前から少しずつ魔物が発生してくるようになった。世界中の魔術師が魔物の分布を調査したものの、魔王の姿を見つけることはできなかった。その間にひとつ、またひとつと集落が消えていった。やがて魔王と思しき形が見えたときには、一夜にして国が滅ぶまでになっていた。

「数年?」

 意外だった。俺はてっきり、魔王が復活してすぐに勇者おれが呼ばれたのだとばかり思っていた。数年?

「自国に危機が迫るまで何の手打ちもせず周辺国の応援要請も片っ端から蹴って、結果どこも助けてくれなくなった。異世界から勇者さまを呼んできて縋るしか無かったんだ」

「魔王なんかより殺した方がよっぽど国のためになる」

 メリアが吐き捨てるように付け加えて、俺は少し慌てて「そこまで言わなくても」と割り込む。アレックスがメリアを軽く睨み、メリアはアレックスから視線を逸らした。アレックスは軽く笑ってから俺に向き直る。

「まあ、そういう国なんだ。勇者さまには災難だが」

 声も出なかった。自分の肩に乗ったものの大きさ、重さ、状況の悪さを唐突に突きつけられて、処理が追いつかなかった。数年を掛けて数十ヶ国が滅んだ、その世界に自分なんかが呼ばれたという事実。

「……俺に、何ができるんだろう」

「まあ、どうあったってあんただけは守るさ」

「あ、魔術師先生」

 メリアが視線をやった方を見ると、ユリウスが戻ってくるところだった。俺は二人にぱっと手を振って、その背中を追いかける。

「ユリウスさん」声をかけると、ユリウスは極めて面倒臭そうに振り返った。

「こっちに来ませんか」

「険悪になるのは避けた方が良いだろう」

 感動詞とか主語とか根拠とか気遣いとかを大雑把に省いた回答。いるよねこういうの。めげるな俺。

「じゃあ、俺ひとりなら話してくれます?」

 今度は返答すらない。足を止めてこちらを見るだけ。めげるな俺。

「軍人さんたちの作戦会議に入れないので寂しくて。話し相手になってください」

「断る」

 めげるな俺。

「じゃあ、質問をひとつだけ」

 返答なし。

「勇者って、何なんですか。俺の仕事は何ですか」

「なぜそれを俺に聞く?」

「みんなに聞いているんです」嘘だけど。

「……勇者なんていうのは蔑称だ。道化師とも奴隷とも変わらない。単なる役割で、『自分たち以外のもの』でしかない。違うか?」

「それで行くと神様も蔑称では?」

 ユリウスは一度俺の方をマジマジと見て、ふと息を吐いた。笑ったのかため息を吐かれたのかはわからなかった。

「さて、眠る」

「え」

「することもないんだろう。久し振りに良い寝床で眠れそうなんでな」

 久し振りに、というところに少し引っかかったものの、寝ると言っている相手をこれ以上引き止めるのもどうかと思い、そのまま引き下がった。広間を振り返ると、アレックスとメリアはまだ話し込んでいる。眠かった。二人が寝ろ寝ろと言ってくれたので部屋に下がって眠った。


 ところでゴリラたちには水を浴びるという習慣はないらしく、櫛(ただし俺の知っているものよりもかなり大きい)を使ってブラッシングはするものの、シャワーだの風呂だのは見当たらなかった。アレックスやメリアに話しても、お湯を浴びるというのはあまり魅力的な行動ではないらしい。まあ、体毛の話はあるんだろうな。服着たままシャワー浴びるかって話に近いんだろう。たぶん。

 頭からお湯を浴びたいと申し出たところ、宿の従業員数人が膝を突き合わせてああでもないこうでもないと検討した挙句、部屋に雲を浮かせてくれた。その雲からは温かい雨が滝のように降り、まあちょっと過激が過ぎるものの、シャワー欲みたいなものは満たされた。ちなみに排水の必要はなく、床にこぼれるはずだったお湯の雨はその寸前で消えるようだった。魔法すげえ。

 本当ならば石鹸も欲しかったものの、こちらはうまく説明できなかった。苛性ソーダと油だっけかな。化学の成績は悪くないんだけど、知識ってなるとあんまり無いんだな、俺。化学の教科書が必要になるタイミングに初めて出会った気がする。

 んん、消化不良。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る