一章 遺物堀

「聞いたか? 昨夜、アオスゴルの魔法使いが三人も殺されたって話」


 クルゲの五人の遺物堀いぶつほりたちを乗せた馬車は、エブンジュナの森を抜け、山々の合間をきり裂くヘンベの谷の入口へ差しかかったところだった。


 エブンジュナの背後には峻険なるガオラト山がそびえ立つ。それと長大な丘陵とに挟まれた隘路がヘンベの谷だ。クルゲの里から、およそ半マイル。通いなれた遺物堀にとっては、そう遠い土地ではないものの、一変した景色がそこを己らの住処でないことを思い知らせる。


 辺りを覆い尽くしていた深緑は今やまばらだ。木々の間には、鼠が寄り集まってできたような灰の凸凹とした岩が転がっている。山肌からは微かに水の線が描かれ、岩の表面にぬめりのある光沢を生み出す。うねる道の先は濃霧。ほんの二十ヤードばかり先までしか見通すことができなかった。


 彼らの目的地は〝遺物発掘の荒野〟、あるいは単に荒野と呼ばれる場所だ。遺物堀の作業場と言えば専らそこであり、他のあらゆる発掘ポイントと比較しても、収穫量に雲泥の差が見られた。

 地理的にクルゲの遺物堀以外がやって来るということもなく、荒野はほとんど独占状態にある。そもそも里人以外が遺物堀になること自体めったにない。荒野を独占する彼らでさえ口を糊する状態だ。遠路はるばる安い賃金を求めに来る者も、他のポイントで生計を立てようなどとつるはしを振るう者も、よほどの物好きか、よほどの阿呆しかありえない。


 馬車はゴトゴトと上下に揺れながら進んでいく。荷台の遺物堀たちの頭も赤子のように上下に揺れていた。


 首の感覚が曖昧になってきた頃が到着の合図だ。今は痛みもなく平然と談笑していられるから、到着にはほど遠い。もう一時間ばかりかかるだろう。谷の入口が霧の中へ没し、〝昏き森〟を抜けた頃になって、ようやく荒野の名に違わぬ不毛の様相があらわになるのだ。


 遺物堀たちはそれまでの退屈を埋めるべく、伸び放題の髭に埋まった唇をもごもごと動かした。


「三人も? 初耳だなぁ。死んだ魔法使いが気の毒でならない」


 色も太さも丸太のような腕の遺物堀が、抑揚のない乾いた声で答えた。


 彼は、話をきり出した若者を一瞥すらせず、革ズボンのポケットからは獣骨のパイプを、ベルトに吊るした麻袋からは色褪せた葉っぱを取り出す。それをパイプに詰め指差すと、おもむろにを始めた。


「神々の遣わす聖なる灯火よ。闇を照らせ。川辺に眠る巌を濡らすが如き優しさで」


 言い終えると同時に、ジリと葉が燻ぶった。パイプからするすると細い煙の線が立ちのぼる。やがて煙は螺旋を描き、荷車のめくり上げられた幌へ縋るように外へ抜けてゆく。


 彼が唱えたのは〝エルドゥル〟の魔法だ。その名は単に「炎」を意味し、名が示すが如く炎を司る。


 魔法は普通、イメージを構築し魔法名を発声するだけで効果を発揮できる。が、多くの場合、こうした詠唱が必須だった。


 魔法名のみで行使された魔法は、力の制御を極端に難しくさせるからだ。下手をうてば、使い手自身が命を落としかねない。エルドゥルの場合なら、辺り一面火の海――といった具合だ。


 魔法のイメージを発声によって再認識する、より精密な魔法を練り上げるための鋳型。それが詠唱という技術である。


「ビル。あんた死んだ魔法使いのことなんざちっとも憐れんでねぇだろ? 死を悼む人間ってのはよ、そんな美味そうにパイプ吹かしたりしねぇもんだぜ」


 そう言った禿頭の遺物堀は、ゆるりと紫煙をまとったパイプを物欲しそうに見つめた。それ自体は特別な遺物でもなければ高価なものでもないが、中で焚かれる〝エブンジュナの夢〟はといえば、そう簡単に手に入る代物ではなかった。


 にもかかわらずビルは、高価なそれを毎日のように――いや、毎日燻しているのだ。そんなことができるのは、十年も昔、彼が葉商人をヨトゥミリスから救ったことに由来する。


 彼はに恵まれていた。


――川で水浴びをした帰りのこと。

 彼はたまたま、葉商人を襲う手負いの巨人族に背後から出くわした。


 ヨトゥミリスは葉商人を鷲掴み、振り回して遊んでいるところだった。その紺青色の背中は、極めて無防備であった。救援を呼ぶことも考えたが、相手は十フィートほどの小型だ。腰におさめたナイフの柄に触れると、奇妙な昂りが四肢をめぐった。次の瞬間、ビルは臆することなく跳びかかっていた。


 筋骨隆々の重々しい肉体からはとても想像し難い、天上の神に釣り上げられたかのような跳躍だった。


 ヨトゥミリスの背に深々と刃を突き立てたビルは、そのまま全体重をかけて肉を捌き、脊髄まで破壊した。溺れるほどの血液や髄液があふれ出した。濃い血の悪臭にむせ返った。


 だが、それだけだ。巨人のけたたましい断末魔に気圧され、泥の上を転がりはしたが。怪我の一つも負わなかった。


 倒れたヨトゥミリスは数度痙攣すると、凍てついた息を吐きだした。霜のような銀の瞳は、やがて灰色に濁り、それきり動かなくなった。


 一方、巨人の手から投げ出された葉商人は身動ぎ一つしなかった。

 ビルは目を開けたまま死んでいるのかと訝しみ、恐るおそる歩み寄った。


 すると葉商人が、不意にがばりと半身を起こした。

 かと思えばたちまち泣きだし、感謝の文言を連呼すれば、大男の手に躊躇もなくキスの雨を降らせた。


 その感激ぶりときたら、彼が商人でなく常習者のほうで、ラリっているのかと気を揉んだほどだ。


 ――ともあれ、以来、彼は葉商人の〝夢渡し〟を名乗る男から、安価で葉を取引しているのである。


 ビルは口端をにやりと歪め、母の乳を吸う赤子のように安らかな表情でパイプをくわえてみせた。


「待てよ、死んだ魔法使いのことなんざどうだっていいぜ。それより魔法使いを殺したクソ巨人はどうなったんだ? まさかエブンジュナで迷子になってたりしねぇだろうな」


 そこへ割り込んできたのは、痩せぎすの遺物堀だった。彼はスコップやつるはしを振るう腕だけが異様に太く発達し、胴体が三つあるように見えた。あるいは横並びに吊るされた三本の大根か。実際、彼はその異様な体型ゆえに、〝三本大根のモダフォ〟などと、ありがたくもない名で呼ばれる。


「心配すんなって。アオスゴルの魔法使いサマはちゃんと腐れ巨人を皆殺しにしてくれたみたいだぜ。引きちぎられたお前の頭が洞の中から見つかるなんてことにはならねぇよ」


 禿頭の男は、殊更を強調した。そこに含まれたのは魔法使いへの強い羨望と嫉妬だ。遺物堀となった者には、魔法の適性に恵まれなかった落ちこぼれが多い。中には理不尽な恨みを抱いている者もいるのだ。


「おい、みんな。そろそろ道が悪くなるぜ。舌を噛み切りたくなきゃ、ちょっとお喋りはやめときな」


 そこへ馬車の前方から声がかかった。

 声の主もまた四人と同じ遺物堀だった。一方で手綱を握る操馬士でもある。今まさに驢馬を繰り、霧の向こうに目を凝らしている。


 彼の肌は五人の中で最も若く瑞々しい。真っ直ぐに正面を見据える瞳は、雨上がりの濡れ葉と同じ深緑だ。それを僅かに隠す前髪は黒檀のような黒で、後ろへいくにしたがって栗色に近づいていく。仄かに日に焼けた相貌には、少年らしい幼さが残っていた。

 十四の成人はとうに過ぎ、今年で十八になったというのに、未だ小僧だのわっぱだのと小馬鹿にされるのはその童顔ゆえ。

 顔立ちだけでなく極端に髭が少ないのも、幼い印象を後押しした。おまけに身長は五フィート超とひどく小柄だった。


「忠告ありがとよ、ヴァニ! できるだけ揺れないように頼むぜ。魔法は上手く使えなくても、馬くらい上手く扱ってもらわなくちゃな」


 禿頭の遺物堀がたっぷり皮肉をこめて言うと、荷台がどっと沸き上がった。


 これに童顔の遺物堀――ヴァニ・アントスはひどく腹を立てた。顔や身長を馬鹿にされるのはいい加減慣れた。だが、こと魔法に関する彼の沸点は低い。


 長きに渡りヨトゥミリスと戦い続け、果ては片腕と片脚を失った偉大なる魔法使いエズ・アントスの孫は、誉れ高き祖父を持つがゆえに、魔法を上手く扱えぬ自分を恥じながら生きてきた。


 彼にとって、その恥を晒されることは、敬愛する祖父への侮辱と同義であった。


 ヴァニは手綱で荒っぽく驢馬の尻を叩いた。

 激しい痛みに驚いた驢馬が、けたたましい嘶き声を上げた。


 そこへさらにもう一発。

 いよいよ痛みに耐え切れなくなった驢馬が、のたうち回るように駆け出した。

 当然、荷馬車は激しく揺れた。岩がちな地面の上を跳ねれば尚更だ。


「んぎゃあっ!」


 荷車の遺物堀たちは首の抜けそうな上下の揺れに、思い切り舌を噛んだ。ただ一人、パイプを吹かし続けていたビルだけが、虚ろな目で壁にもたれかかっていた。


 ヴァニは背後の悲鳴を受け、腹を抱えけたけたと笑った。好い気味だった。


「ちぎじょう、ヴァニぃ!」


 馬鹿者どもの悲鳴をきいて大いに満足したヴァニは、自らも犠牲者とならぬよう手綱をひいて驢馬の速度をゆるめる。


 それでも馬車は時折がくんと上下に揺れ、荷台の遺物堀たちに舌の痛みを喚起させた。


 これが後に己の首を絞めることになろうとは、この時のヴァニは露ほども考えていなかった。

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