第11話
よく朝、ヘリや装甲車の護衛つきでアンナは東京へと運ばれて行く。
専用の大型トレーラーには空対地ミサイルでも破壊できない特殊な「箱」がのっており、その中にアンナが横たわっている。
会社は不慮の事故を想定し、技術班を二手にわけてさきに出発させていた。すでに菅野以下数人の主任技師たちはヘリで東京へむかっている。
残った技術クルーは、昼すぎに出発する。襲撃などによりアンナと技術者の総てが失われることを恐れての処置だった。
しかし南部だけは、例によってトレーラーでアンナと共に行くと主張してきかない。説得するのにつかれた室田社長は承諾し、仕方なくトレーラーの座席に乗せた。そして真奈も南部警護を強力に主張し、トレーラーにのりこんだのである。
「すまんな、こんな棺桶みたいなところに閉じこめて。
苦しくなったら、いつでもそう言っていいからな……」
特殊防護ボックスに入れられるアンナを悲壮な表情で見届けてから、南部は真奈に急かされてトレーラー助手席に乗った。なにか祈りの言葉を呟き続けている。
「静止衛星と超高空観測機の護衛つき。誰がこの状況で襲って来るってんだい」
と真奈はあきれるが、少し南部が哀れに思えてきた。南部は真奈を見つめる。
「運搬クルーが、専務同様どこかのスパイでないと誰が保証できる? あの菅野なんか実にあやしい。もともと専務と仲がよかったし、かつての上司だった」
真奈は少し不機嫌になったが、顔には出さなかった。
こうして運搬部隊は三時前、予定通り東京湾岸の広大な埋立地に到着した。
ここにある政府所有の奇妙な整備工場が各「選手」の「宿舎」である。
十数年前に計画され、中止となった大規模都市開発の中心建物の再利用と言う話だった。なんとか南部も落ち着き、真奈も一応肩の荷を降ろした。
「天才のお守りより、ライデンなんかを相手にしている方がはるかにラクだね」
特殊コンテナから降りるアンナに思わずこぼしてしまった。愚痴や不平、弱音などは軍人には無用の物と堅く信じていたのに。アンナと、菅野南部以下の技術班は工場のきめられた「整備プラント」へ入った。最終チェックのためである。
明日の入場セレモニー以降、アンナの体は政府のしかるべき機関に委ねられ、厳重な管理下の元、北海道へ運ばれる。不正を防ぐため、会社側の人間は一切接触できない。
真奈は体調の調整に入った。広大な海辺の「人工原野」の一角に、やけに目立つホテルが一軒だけたっていた。無論大会関係者の借切りである。ホテル地下のトレーニングルームが真奈の「整備工場」だった。社長などは。
「ここまで来たらもうどっしりと構えるだけだ。
ゆっくりと豪華な夕メシでもどうだ」
と、所詮無駄と判っていながら礼儀として声をかけてみた。
「恐れ入ります。しかし体を動かし汗をかいているいる時がいちばんくつろぎますので」
翌朝、かつては帝都臨海新域と呼ばれたと言う広大な空き地に通じる三つのゲートの前には、すでに数万の人々が犇めいていた。気の早い者はテントを持ち込んで、三日前から待っている。
そう言った連中相手の屋台、トレーラーの有料トイレやシャワーが並ぶ。さらに警備関係者にマスコミまで加わって、ゲート前はちょっとした市が出来ていた。
午前八時。開門時間になると、機動隊が一斉にゲート前に完全武装で整列した。待ちわびた人々のざわめきが激しくなる。
警備当局は死者七人、重軽傷者五十三人を出した二年前の惨劇を二度とくりかえさないよう万全の、あるいは強引な厳戒体制をとっている。
走りだそうとする者、わりこもうとする者がいれば即座に機動隊の棍棒が降ってくる。
騒ぎだせば四方八方から催涙弾が飛んでくる。そんな物騒ななかでも、人々は期待し興奮を高めながら、誘導員のあとについて大きな競技場へとむかって行く。
帝都臨海新域は広大な湾岸埋立地である。政府はそこに巨大な競技場を作っていた。ローマのコロセウムと日本の平安建築をミックスしたような不可解で、不必要なほど豪勢なこの建造物は、「国立戦闘競技場」と呼ばれている。
その正面には、巨大な鳥居に似た凱旋門が作られている。その凱旋門によじ登る者だけで、数千はいよう。
警察は民間の警備員まで動員して、興奮しきった群衆をなんとか整理して、海側の整備工場から凱旋門をくぐって競技場正門までの道を作っていた。
競技場に入る権利を持った幸運な四万人の観客以外は、凱旋門周辺で自分が大金を投じた戦士を一目見ようと、わめきながら押し合っている。
やがて元常設パビリオンだった整備工場の大きなシャッターが開くと、群衆の興奮はますます高まった。大型オープンカーを改造したパレード車が一台、また一台と出現するたびに歓声が渦となって周囲を圧倒する。
パレード車の前には各社の社旗を先頭にこの晴れの日を待ちに待っていた「おエラ方」や、なぜか半裸に近い「コンパニオン」などが並んで行進している。
そして、重武装の警備員にガードされながら歓呼の叫びに迎えられるのは、パレード車上に直立する代表戦士たちである。
先頭車両には優勝候補である八洲電子制御が世界にる万能戦闘ロボ「スサノオ MkⅢ」が、そのメタリックに輝く美しくも逞しい姿をさらしていた。
スサノオのあとには、大改造なった内藤二式戦闘車両改「内藤二戦」がつづく。
コックピットではますます屈折し復讐に燃えた内藤頼太が、熱狂する観衆のどよめきがまるで自分に対するものであるかのごとく興奮しきっていた。
続いて、オオワダ自動精機が一切極秘で開発していたロボットがついに出現したのだ。
二台目のパレード車にまたがって立つのは、中世の鎧武者のように装甲をまとった、とても足の長い精悍そうな戦士である。そのすぐ後のグループ、先頭近くを歩いていた室田社長は警戒していた。オオワダはその走行システムには定評がある。
この重心の高そうな相手は、はたしてどんな能力を持っているのか、と。
「MORTIFER=死の天使」と言う名前である。凱旋門にさしかかった時、会場アナウンスが伝えた。観客の間から絶叫が響く。
「モルティフェル! すごいぞっ!」「やっちまえっ! 優勝はおまえだ」
金銭がからんでいるから皆必死だった。興奮する人々の多くは、豊かではない。むしろ貧しい。なけなしの全財産を賭けて入るものも、少なくない。
事実国内バトルやアジア予選が終わると、破産した自殺者や夜逃げ人が続出する。
最後のオープンカーには、すらりと背の高い女性が立っている。ティーシャツにパンツ、スニーカーと言う南のリゾート地でも歩いていそうな軽装だ。
十万の群衆は一瞬息をのんで、近づいてくるその女戦士を見つめた。すでにアンナの妖艶な姿はマスコミの格好の材料となり、あちこちで紹介されていた。
誰かが「アンナ!」と叫ぶと同時に、すさまじい熱気につつまれた歓声が一帯を煮えたぎらせた。ほぼ暴徒に近い群衆はオープンカーへ殺到しようとする。
警備ロープを死守していた警官や警備員が必死で「電気ショック棒」をふるい、パレード通路をかろうしじて確保するなか、無表情な長身美女を乗せた車はやや速度を上げながら凱旋門をくぐって行った。先頭を歩く室田社長こそ誇らしげで満足そうだが、日頃冷静な菅野すら、オープンカーの助手席で青ざめている。
アンナの横に乗っている真奈も、さすがに緊張してその屈強な肉体を「臨戦体制」に置いている。嬉しそうにふりかえり、無表情なアンナを見た社長は、車上の菅野に叫んだ。
「微笑む機構ぐらいつけておくべきだな」
各社とも相手の社のロボットから少しでも情報をとろうと、各種センサーや高性能カメラを総動員している。
当然「奥の手」はこんなデモンストレーションでは見せないのだが。
コネを使い、あるいは金を積んでなんとか座席を確保した四万人の観客と、日本はおろか全世界にその興奮を伝えんとする数百台のカメラがとりかこむスタジアムには、三体の屈強な戦士が微動だにせず佇立している。例によって大会名誉委員長や長老議員、産業界の代表などの諄く空虚な挨拶が続く。
そしてついに、司会者は日本を代表するロボットメーカーが社運をかけて開発した今回の主役たちを紹介た。歓声と嬌声、拍手の中、各ロボットはスタジアムを一周しはじめる。
厳重な最終チェックと携帯兵器の確認をクリアした三戦士は、明日夜明けから凍てついた北海道の広大な原野において三つ巴の戦いを繰り広げる。
最後に「動いていた」者が勝者である、と大音響ヴァーチャル・スピーカーから司会の声が響きわたる。
過去二回の国内バトルが行われているが、冬の凍てついた原野での戦いは初めてのことだった。しかし、胸廓内を常に零下十度程度に保っておかねばならないアンナには、好都合かもしれない。
貴賓席で愛弟子の晴れ姿を見つめながらも、真奈の心はすでに戦いの場にいた。
やがてその死闘にトレーナーとして参加する命知らずの名が発表され、巨大スクリーンに映像が映し出された。
アンナへの復讐に燃える内藤頼太、そして五百瀬真奈の二人きりである。
傍らの菅野が眉を顰めた。
「事前情報通りだったな」
オオワダはインストラクターを出さずに、監視センターから指示する。
「確か、前回の大会で亡くなられたのは、オオワダの方でしたね」
「そもそもあんな過酷な戦いに人間を参加させるなんて、狂気の沙汰だ。
本当は君も監視センターから指示するべきなんだが。ま、きかんだろうな」
「…………あったりめえですよ」
「ふふ。しかしだね、あの頭に血の登りっぱなしの内藤頼太は、例の装甲車で走り回って指示するつもりだ。それだけでもかなり危険だ。
奴は後先考えないし、法律も無視する。
いくら君が重装甲強化服を着ていても、トレーナーは一切武器を持てない。奴にはねられたらただではすまん。内藤は事故だと主張して、上の方が政治工作で処理するだろう。
それに戦闘ロボは人間を攻撃出来ないとは言え、流れ弾は予測出来ない。
いや、あの内藤がいつ“あやまって”攻撃するか判らんからな」
「吹雪のなかでは『間違い』も起こりやすいからね」
真奈達のいる貴賓席のむかい側にある特別観覧ボックスには、倉田若社長はじめオオワダの重役、首脳技師、戦闘服にサングラスの大神おおみわ元一尉などが特上のシャンパンで喉を潤していた。
オオワダ精機の三代目若社長自ら、背広姿のずんぐりとした将校にワインを注ぎながら尋ねた。火炎放射器などを積み込むために強力なミサイルを取り外したりして、本当に大丈夫なのかと。田巻己士郎二等佐官は厚い眼鏡レンズの中で細い目をより細め、得意げに答えた。
「山陰電子の栗山博士はジョセフソンチップの権威です。博士の論文をあさってたら、おおよそアレの弱点がわかりました。
ジョセフソン結合した超電動物質は、極めて低い温度でしか作動せぇへん。つまり、アンナは熱に弱い。あの背中のデカいシステムの秘密が、これでやっと判りましたわ」
ダークスーツ姿の男は、胸にジャストの小さな徽章をつけている。
「モルティフェルに高温発火手榴弾や火炎放射器、超遠距離半自動炸裂甲弾ライフルなどを取り付けたのはそう言うわけか」
「ええ。アンナだけにまとを絞ってます。まずアンナとスサノオが戦うように仕向けます。無論我がロボットは高みの見物。万が一スサノオが勝っても、かなりダメージを受けているから、あとは簡単やし。予想通りアンナが生き残った場合は、各種武器の出番でんな」
田巻は赤ら顔で微笑み、大神を見つめた。誇り高き元将校は吐き気を堪えながら視線を合わせないように、過激に沸くスタジアムを見つめていた。
北海道のほぼ中央部に横たわる凍てついた山々は、内地の人間にはほとんど名前すら知られていない。奥松浦山地と呼ばれている。
最上徳内や近藤重蔵、北海道人と言った歴史に名を残す偉大な探検家すら、この一帯に足を踏み入れることはなかった。
コタンに伝わる神話によると、その山々には天から降り立った神の子孫、「山の人」キンタイチが住んでいて、近付く人間を吹雪で凍らせてしまうと言う。
しかしこの銀色の魔境すら、ついに傲慢な人間どもが征服してしまった。
今では神の山々の大部分が国立公園や自然保護林に指定され、厳冬にも通行できる自動除雪道路が走る。
そんな山々の南山麓には、険しい荒地と氷の森が広がっている。
土地の者が「荒谷地あれやち」と呼ぶ百数十平方キロに及ぶ荒野が、日本を代表する三ロボットの決戦の場に指定されている。
すでに各箇所には監視カメラがおかれ、周辺都市の中央広場の特設スクリーン前には二日前から大勢が詰め掛けている。
ロボ券を買わない人たちにも、人気は高い。
決戦場=バトル・フィールドを辛うじて望める山腹には、特設観覧所と各社のブースや取材陣の「基地」が並ぶ。
日本を代表する三大ロボットメーカーの観覧ブースは、何日かかるか判らないこの王者決定戦のために、ちょっとしたホテルなみの設備をそれぞれきそっている。
突然の吹雪にも物資補給がとだえないよう、強力雪上車や緊急脱出ヘリまで備えられているのだ。北部州警察や、統合自衛部隊の救護班も待機していた。
この安全地帯でぬくぬくと高みの見物をする人々とはことなり、バトル・フィールド端にある大層な監視センターは「戦場」に面とむかっていた。
厳重な防壁を持つとは言え、危険度は比べものにならない。ここに各社のトレーナー、またはメカニックが詰め、苛酷なロボバトルを見守るのである。
上空を絶えず旋回する観測機も、静止衛星も、時折おこる吹雪の前には無力だ。レーダーやセンサーも、ほとんど役にたたなくなる。
しかし監視センターに詰める人々は、どんな条件下でも戦いの行方を見つめ続けなくてはならない。大金と、会社の将来がかかっていた。
ここは前回のアジア予選大会の苛酷な砂漠戦で、一敗地に塗れた日本政府が考えついた、最も苛酷な戦闘環境だった。ここがアンナや他の戦闘ロボットの晴れの舞台なのだ。
後備三等曹長五百瀬いおせ真奈は、あの馬鹿馬鹿しい「お披露目」のあと、マスコミを避けて急いで北海道入りした。そして急造ホテルの一室で早くに眠り、深夜に目覚めて身支度とウォームアップにつとめた。
耐寒訓練はさほど受けていないが、雪山にはなれている。
そもそも彼女達「山の民」は代々深山幽谷の過酷な環境の中で、強い淘汰圧を受けつつ生き延びて来たのだ。
宿舎からはジャイロ機で、発動地点まで運ばれる。そこはすでに「戦場」の片隅である。
「いよいよか。……最初はイヤだったけど、ひょっとしたらこれが自分の天職だったのかな」
シャワーを浴びエアタオルで体を乾燥させ、バスタオルを体に巻いて出て来た。
すると女子浴場の脱衣室に、あり得べからざる人影が待っていた。
あのみすぼらしい白衣を着た男は、湯上りの女性をあつかましく見つめる。小柄だが肩幅があり足もそこそこ長い。
そしていく分垂れぎみの胸は、不釣り合いに大きい。
「み、南部博士!」
「や、やあ、いよいよだね」
「………自分は別に平気ですけど、女風呂に随分堂々と入って来るね。
もっとも、生身の女性なんかに、興味なさそうですけど」
視線をさけつつ、口篭もるように言う。
「君に、お守りをあげようと思ってね」
「お守りなら、すでに一つもってます。いただいたお母様の形見を」
「いや、その」
と、汚い白衣の右ポケットをさぐり、中から細いブレスレット状のものを差し出した。巾五ミリほどの銀色のベルトに、一センチ角の「装置」が取り付けられている。
「これは?」
真奈は受けとって見た。見かけよりは重みがある。
「左腕につけたまえ。小さいが蓋があく。中の小さなボタンを押し込むと、総てが終わる」
「な、なんです、これ」
「緊急スイッチだ。いざとなったら、アンナの全機能を停止させられる。
聖なるアンナに、仮の『死』を与えることが出来るんだ」
「………大先生が作ったあの芸術品を?」
「敵はアンナの抹殺、特に胸に秘められた人工神経脳の徹底破壊を狙っている。その奪取に失敗したからには、わたしと栗山君で開発した技術は、奴らにとっての『死』だ。
敵はつまり、彼女の人格自体を否定しようとしているんだ。徹底破壊をね。
しかしアンナは女神だ。人工脳さえ無事なら、何度でも甦る」
「………オオワダも八洲も、そこまで非道じゃないよ。技術屋魂がそんなことを許すわけないのは、あなたも判っているでしょう。
会社から出りゃ、苛烈な技術戦線の戦友だろ?」
「き、君は何も判っていない、君の弟子が何なのかを。
わたしが、何を作ったのかを。確かにヤシマの技師には知人もいる。大学の後輩もな。彼らを尊敬もしている。しかし我々技術バカは、所詮資本家に使われる存在、金を稼ぐ道具でしかないんだ」
南部はやつれきった顔に悲しみを湛え、鏡の前にある椅子に座り込んだ。
「君はわたしを、気色の悪い変態マッド・サイエンティストだと思っているな」
「そりゃまあ……い、いえ、そんなことは!」
「いやそれはそうだ、それでいい。物心ついた頃からそう言う風に見られて来た。
しかしわたしは個人的な理由でアンナを作っているうちに、自分がやっていることの恐ろしさ、何故一部の連中が執拗にテロをしかけるのか、に気づいたよ。
世界的財閥が、アンナを狙っている。単なる賭け事、金やビジネスのためじゃないんだ」
真奈の左腕にはめたユニ・コムが鳴った。迎えのヘリに荷物を積み終えたのだ。
「あと五分ほど待って」
そう言うと、南部の隣に腰を下ろした。南部はやや項垂れたまま、話す。
「命ってなんだと思う」
「……ずいぶん唐突な質問だね」
「生命と非生命の差は極めて明瞭だ。自らの遺伝情報を子孫に残せるか否か。それが根本的な生命の定義さ。
もっとも原始的な微生物から我々人類まで。生命の使命は、遺伝情報の存続だ」
「アンドロイドは、どんなに精緻に作られても生命じゃないわけだね」
「いや………。遺伝情報は、別に遺伝子と言う形でなくてもかまわん。
自分の肉体の設計図に多少のヴァリエーションをつけて、子孫にプログラムしてやればいいんだから」
「プログラム?」
「そうだ。DNAはプログラムの媒体だ。肝腎なのはその遺伝情報だよ。
プログラム自体が、例えば電子で書かれていても問題はない」
「つまり、その………もしもアンナが、自分の設計に関する情報を後世に伝えられたら」
「そうだ、物分りが早いな。単なる……いや。
出産と言う現象をともなわなくてもいい。アンナのような精巧なヒューマノイドが、自らの複製を作り得たら、それは生命じゃないのか」
「まさか。機械は機械だよ。アンナは成長しないし、老化もしない」
「成長、老化は手段または現象であって、それ自体が目的じゃない。遺伝子の存続に有利ではあっても、絶対的な条件ではないんだ。
死もまたしかり。死は、遺伝情報のヴァリエーションを守るための手段だ。
古い遺伝情報によって作られた個体がいつまでも現存していたのでは、新しい環境に適応し得る新しいタイプの個体が、繁栄できない。資源も空間も限りがあるからな。
進化と死は巧妙なシステムだ。そのシステムから取り残されたゾウリムシを見たまえ。遺伝子の変化しない、言わば不死とも言える生物だが、進化は出来ない」
「………アンナは、新しいタイプの生命体だとでも言うの」
「その可能性を含んだ一歩、まさに新生命を産み出す女神さ。
生命そのものの定義がかわって行くかもな。別に自分で新陳代謝しなくても、工具で自分を修理、保守、改良出来る。改良即ち新しい環境への変化だ。そして決して不老不死ではない。消耗し疲弊し、いつかは全機能が停止するだろう。
その前に自分の子孫を自ら作り上げ、自分の設計情報、いや経験情報すらインプットしたら、それは立派な進化と言えないか」
「で、でもアンナには感情も心も」
「今はな。だがな、君も実感しているだろう。感情の萌芽を。そのための概念思考新型ハイパーニューロ・コンピューターだ。新しい概念の人造神経細胞だ。
アンナはやがて君の命令がなくても、自分の意思で行動するようになるさ」
「自分の…意志で」
真奈には思い当たることがあった。単に優秀な「生徒」ではない。確かにアンナは進歩、いや進化しているように思える。
「………そんなことまで、考えてらしたのですか」
「作っているうちに、考えがかわってきた。わたしはその、モテない男だったけど、それを気にしたことはない。
むしろそれでよかった。人付き合いは大の苦手だ。私の理想とする女性にはついにめぐり合えなかったし、生身の女性ってのはなんと言うか、苦手でね。面倒くさいし判らない。それに手ひどい目にもあったし…………。
いやともかく、わたしは理想の女性を作りたかった。前の会社で、依頼主の希望で色んなタイプの人造愛人を作ってたんでね。
わたしはアンナを、自分一人の為に作りつづけた。それでそのうち、自分が女神を作っていることに気づいた。
もしも人類が、いや総ての地球生命が核か病原菌で滅んだとしても、アンナの後継タイプは生き残るだろう。過酷な環境に適応した、自分の子孫達を作りながら。
そして他の生命には絶対に生きられない環境でも工夫し、自らを進化させ繁栄する。遂には社会と文化、いや文明をもつくるだろう。
それこそ究極の生命なのかも知れない。
環境の予測不可能な変化に適応すべく、偶然によって多種多様なヴァリエーションを準備しておく。そんな進化のシステムじゃない。
もっと能動的で計画的な適応、進化を繰り広げる全く新しい生命、かな」
また真奈のコミュニケーターが鳴った。出発の時間だった。
「自分にはよく判らない。でもなんとしてもアンナを勝たせる。
それが自分の使命だよ」
真奈は踵をかえすと、タオルをとって戦闘服を着始めた。南部は深くため息をつくと、脱衣室から項垂れて出て行った。
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