第10話

 半ロボット化したバイクは、百五十キロの速度で静かに湖畔高速道路を駆ける。アンナはローラースケートに似た高速走行装置で、ならんで走る。

「栗山氏は誘拐されたのか」

「まず間違いないな。にせハイヤー用意するなんて、よっぽどこっちの内情に詳しい奴。ひょっとしたら内部かも。誘拐目的は、多分あなたに関すること。他に考えられない」

「栗山氏はニューラル・チップの素材、高温超電動物質C6O特殊化合結晶の開発者だ。素材としての特性は最高機密扱いであり、私にすら情報はインプットされていない。

 それが誘拐者の目的か」

「多分ね。アンナも彼の顔とか知ってるんだろ?」

「容姿も声紋も記憶している。しかしどうやって彼の行方を推測する?」

「……そこまでは考えずに飛び出しちゃったな。とりあえず宿へ、行っても仕方ないか」

 真奈は高速道脇に設置された交通観測用ポールを見上げた。

「違法だけどこの際しかたないな。次の緊急停車帯でとまるよ」

 バイクを停めると、緊急連絡用テレビ電話のすぐ下にあるハッチを指さした。

「アンナ、これを開けてみて」

「道路管理用の光ファイバーケーブル・チューブだが開けてどうする」

「主要道路のあちこちには、速度監視や交通状況観測用のロボビジョン・ネットワークがはりめぐらされているはずだよ。

 そこから中央コンピューターに侵入して、一時間前の画面を呼び出せない?」

「違法だが、捜査端子を侵入させてみよう」

 アンナは首の右後を指で押し、人工皮膚の一部を器用に剥がした。その下の点検口を開け、ワイヤーを引き出したのである。チューブに首を近付けると、ワイヤーの先の端子をケーブル接合部にある検査用端子に接続した。

「長野の中央監視センターにアクセスした。

 保護プログラムの妨害までに検索する」

「ここ一時間ほど。宿の場所は判るな」

「地図は記憶している。検索項目を四百二十箇所に限定。各箇所のスチル映像を高速検索。………いま開始した」

「ハイヤーは島崎交通だからスーパーリムジン。車種はヤシマ自工のランドスクーナーだと思うけど、形式までは判らないよ」

「発見した。七十二分前、宿舎北方の湖岸道路を西へむかう7428番の車両。

 五十九分前には、誘導自動車道路元諏訪八番出口でとらえられている。

自然公園方面へむかったらしい。これ以上の検索は不可能だ。自動防護プログラムがこちらを探査しはじめた。端子接続を切断する」

「それだけわかれば十分さ。敵は自然公園脇の人気のない散策道へと入って行ったみたいだ。

 そこからどこへ逃げるつもりか。ともかくとっちめてやる」

 真奈はバイクの電子マップで、元諏訪八番の出口周辺を呼出した。


 「縄文の森、諏訪自然公園」の整備がすすむ欝蒼たる林の中の細い道を、バイクとアンナは北へと急ぐ。

「アンナっ! 体温大丈夫?」

「高速走行装置作動状態は良好だ。しかし外部冷却装置がない。現在胸部温度、摂氏マイナス七度に上昇している」

「そう遠くまでは行っていないはずだ」

「栗山氏殺害の可能性は?」

「ないな。脅すか金でつるか知らないけど、敵の目的は極秘情報だから………」

「真奈。三百四十度距離約八百の地点に、エンジン始動音を確認」

「! どっちだって? 何のエンジン?」

「進行方向このまま。接近しつつある。

 航空機のプロペラ、またはヘリコプターのローターの回転音に近い」

「! くっそうっ奴らヘリまで。プロだね!

 聞こえる。この特徴ある音、判ったっ! 大型軍用ダクテッドファン機だ。

 『あまこま』かな? 日本では、ジャストしか持ってないはずよ」

 暗く細い延びた道、行く手ひだり方向の黒い森から胴体の両横と機体後部に大きな円盤状の推進ファンをつけた機体が出現し、上昇して行く。ヤシマ『あまこまⅡ型』に近い。その機種は、かつて真奈を救ってくれた日本製ではなかった。

「アンナっ! 中に栗山さんが?」

「そこまでは判らない。しかしあの機体は武装している。機首下部に六十口径機関銃一座。クライネキーファー重工が欧州総軍にのみ納品しているタイプだ」

 不正入手されたらしいダクテッドファン機は、両脇のナセルを被せたファンの回転数を上げ、北の空へ、山を越えて行こうとしている。

「左方向二百九十度に7428の車両が停車中。赤外線モードでも人間は発見できない」

「! ……仕方ない。一かバチかだ!」

 真奈の指示を聞いてさすがにアンナも問い返した。ダクテッドファン機はしだいに速度と高度を上げて行く。

「失速墜落した場合、栗山氏が危険だ」

「この高度で落ちても死にゃしないさ。急いでアンナ! 逃げちゃうっ!」

 真奈の命令に従い、アンナは足元に半ば埋もれていた人間の頭よりも大きい石を軽々と引抜き、右手で持ち上げた。だがアンナの良心回路が作動している。

「人間へのダメージは比較的少ない。許可を」

「いてこませっ!」

 次の瞬間、砲丸投げの要領で大きな石が、軍用特殊機めがけて投げつけられた。 石は左翼推進ファンにあたり、防弾板でおおわれていたそれを粉々に砕き散らせた。左の推進力を完全に失った機体は、左下方に大きく傾き黒い森に頭からつっこんで行く。

 かろうじて木々にささえられ、地表への激突こそ免れたが、墜落のショックで小爆発を起こし火を吹きだしている。

 その真下にやって来たアンナは、機体のひっかかっている大木に登りはじめた。機体の中は煙と火花でほとんどパニック状態だった。

 気絶したパイロットを残し、二人の北欧系外国人と二人の日本人が、なんとか機から脱出しようとしている。

 外国人の片方が、薬物でグッタリしている栗山を連れ出そうとすると、助手席から脱出しようとしているリーダーらしき初老の日本人が言った。

「無理だ。抹殺してしまえ。あらためて別の奴を!」

 次の瞬間、その年配の男の呼吸がとまった。後部座席の窓から、アンナの端正な顔が冷ややかにのぞいているのだ。

 男たちが驚く間もなく、アンナは右腕で窓をやぶり、機体の一部を力まかせにひきはがした。座席でグッタリしている栗山の安全ベルトを紙かなにかのように引き千切ると、こんどはその研究者の右脇の下に手を回して軽々と持ち上げ、機外へとひっぱりだした。

 そのまま木を降りはじめたのである。

「う……撃てっ! 奴を消せっ! Feuer! Feuer!」

 長田専務の声に我にかえった三人は、拳銃や自動小銃を取出し、機体から身を乗り出して射ちだした。

 右腕に栗山を抱え左手で弾をよけ、木から飛び降りるアンナを容赦なく銃弾が襲う。左腕の人工皮膚に拳銃弾がめりこみ、頭部にあたって火花を散らす。地上に降り立ったアンナは、ぐったりした栗山の体を包み込むようにして庇った。

「アンナっ! 蹴り飛ばせっ! 一発食らわしてやれっ!」

 木の幹にかくれて叫んだ真奈をも、弾幕が襲った。太い幹がぼろぼろになって行く。その隙を逃さず、アンナは右足で巨木の根元付近を力まかせに蹴った。

 丈夫な高速走行ローラーが砕けるほどの勢いだった。

 鋭い音とともに太く歳とった幹は立てに裂け、戦き震えた。太い枝にかろうじてひっかかっていた機体が、鈍く不吉な音をたてて、枝をへしおって落下しだしたのである。アンナが素早く飛びのいた辺りに、男たちの悲鳴と金属の摩擦音が上から迫って来た。大音響が森を震わせたあとには、火花と煙を吹き出したダクテッドファン機の残骸が残っていた。

「アンナ。よくやったよ。栗山さんは?」

「脈拍は早いが呼吸、体温とも正常。薬物によって眠らされていると推測される」

「そっちのガラクタの中は?」

「命に別条はないだろうが救急隊を呼ぶべきだ。高齢の専務の損傷が大きいと推測される」

「!専務? 専務って誰のことだよ」

 北の暗い夜空から、大気を切り裂く音が近付いてきた。

「高速ロケット推進音。二十度の方向。推定着弾三秒。待避する」

 静かにそう告げると同時にアンナは栗山と真奈を抱きかかえ、機体を背にして蹲った。

 その刹那、飛んできたミサイルは正確にダクテッドファン機に命中し、中にいた五人の男たちとともに完全に吹き飛ばしてしまったのである。

 背中に破片と爆風を受けたもののアンナに別状はなかった。重いアンナに抱き締められて、真奈と栗山が体のあちこちにあざをつくったぐらいだった。

 しかし「敵」の証拠は総てが失われた。


 新日本機工のメインバンク、岸田銀行から出向し、やがて社内の纏め役として皆から親しまれた専務の死は、輸送機の墜落事故として処理された。

 大事な大会を控え警察沙汰にしたくない、と言うわけではなさそうだった。事実、国家中央警察が密かな捜査を行った。しかし事件としては扱われなかった。

 真奈には窺い知ることの出来ない、奇怪な政治的決着がとられたのである。

「専務は、どこの回し者だったのですか」

 アンナの教官はとうぜんのことを尋ねた。常務も社長も口を濁すばかりである。

「クライネキーファーか国内企業か政治家か。知ろうとするとまた犠牲者が出る」

 菅野は怒りを抑えてそう答えた。

「専務だけじゃない。専務の受け入れをお膳立てした人事担当。送り込んだ岸田銀行の関係者。誰が敵で誰が味方なのかは判らない。

 味方のつもりでいる敵、敵だけど我々に協力してくれる人も多いさ」

 この事件以来、また少し真奈の無口、人嫌いがぶりかえしたことに気付いたのは、菅野室長だけだった。


 日本代表を決めるための内国自動戦闘機械格闘大会の日が近付いていた。

 今回は日本のロボット産業を代表する三社が、それぞれの技術の粋を凝らした最高傑作を戦わせるのである。

 三体の人間型戦闘ロボットが三つ巴で文字通り死闘を尽くすにあたり、それぞれにトレーナーが一名までつくことが出来る。当然命の保障は全くなく、今までに人間が参加した例は一回しかない。その男は巻き込まれて死亡していた。

 日本全国で政府主催の優勝ロボ投票券「ロボ券」が売りにだされ、特に各地で例年以上の爆発的人気を誇った。新世紀最高の娯楽で、公営ギャンブルの主旨を見事に充たし、国庫を潤わせてくれる。

 そして投票券は国内や海外の「大口投資家」にも大評判なのである。もちろん大量のアングラマネーも流れこみ、表世界裏世界を問わず様々な思惑、陰謀、圧力、妨害が錯綜する。

 そんな社会の動きとは全く無縁の真奈は、「回復」したアンナの訓練に日夜励んでいた。

 基本的な戦闘技術は、すでに完成の域に達している。最新式の特殊強化防護服は、最新式戦車の装甲板なみの強靭さを持つ。

 より機能性の高いものに新調された高速走行ローラーブーツを使えば、路面なら時速二百キロは出せる。より小型化し、防弾加工された外部冷却装置の性能もよい。しかしそれでも、不必要に「人間らしさ」を追求したアンナは、戦闘用ロボットとしてはまだまだ脆弱だ。

 他の二体のごとく戦闘や防御に特化した文字どおりの戦闘兵器に、正面からぶつかったのではとても勝ち目がない。

 陽気のせいか、このところやや正気を取り戻したかに見える南部も、そのことを気にしているらしく、何かにつけては五百瀬真奈の近くをうろつく。

 食事をしたり、ロビーでくつろいでいる彼女のまわりをなんとなく行き来して、顔色を伺っているのだ。古い言葉では「ストーカー」に近い。

 ある時、最上階大浴場のサウナで汗を流しバスローブ姿で出てくると、またしても南部がぼんやりと立っていた。

 真奈はビタミン飲料をのみながら、南部に声をかけた。

「なにかご心配でも? 博士」

「……きみがこの重大時にのんびりとしていることがだよ」

「のんびり? 自分が顔面蒼白で怯えていればご安心かい」

 真奈は窓際のいすに腰を降ろし、頭をタオルで拭きはじめた。窓の下には広大な演習林がひろがる。

「走ったり射撃したりせず、ひたすら林の中でじっとしていたり木につかまったり泥水の中に潜むとか、そう言うことばかりやってるそうだな。

それであの化物どもに勝てると、おまえは本気で………」

「自分の教育方法にご不満でしたら、部長権限で解任を申請しなよ。技術的なことは、南部部長や菅野室長の作戦展開領域だよ。

 会社の方針や予算に関しては、自分のごとき下士官上がりが口出しすることではないよ。でもこと練兵に関しては社長から自分に一任されておりましてね。予定広域での会戦とはわけが違う。凍てついた北の荒野、山地でのゲリラ戦だよ。

自分が受け継いだ山の猟技を、徹底的にアンナにたたきこむつもり。

 自分は自分の方針で行きますから、よろしく」

「山人かマタギか何か知らんが、アンナは科学と言う史上最高の秘教が作り出した芸術品、科学の女神だぞ! 樹にぶらさがったり沼に沈んだりし、そんなみじめな状態であのバケモンに、デカブツにふみにじられたりしたら、い、いったい私はどうすればいいんだ」

「アンナに何をさせろって言うんですか。

 まともにぶつかって勝てる相手じゃない。

 なら詭計を用いるか逃げるか、自殺攻撃をかけるかしかないよ」

「逃げる? そ、そうだ、予定戦場から逃げ出せば失格する。ア、アンナにひたすら逃げることだけを教えればいい。そうだっ!

 何故気がつかなかったんだ! 簡単なことだ。

 もう解体して売り飛ばされることもないからな、わたしが責任者でいる限りは」

 南部は薄気味悪い微笑を浮かべ、小躍りしはじめた。

「断るっ!」

 突然立ち上がりタオルを床に投げ捨てた。

 南部は真っ青になって凍りついてしまう。

「そんな卑怯な真似、可愛い弟子にさせられるものか。せっかくここまで…なんのために! 

 そんなつもりなら二度とアンナに近づかないで。貴様が言ったんでしょう。アンナはロボットじゃない、新時代の女神だって。そうだよ……アンナには、確かに心がある。きちんと自分で考え、判断できるんだよ。

 ライデンとの戦いで、何度かアンナに救われた。もうアンナは戦友だよ。貴様の奇怪な欲望を満たすおもちゃじゃない。

 卑怯な真似はぜったいにさせない、いいねっ!」

 博士はみるもあわれなほど肩をおとし、膝を震わせてかろうじて立っている。真奈は南部に近寄り、両手を骨張った彼の肩に乗せた。

「心配しないで。自分が必ずアンナを勝たせてみせる。

 そのために毎日苦労してるんだ」

 そう言うと床のタオルを拾って、エレベーターホールへと歩いて行ってしまった。そのままの姿勢で幽鬼の如く立ち尽くし窓の外に広がる森を眺めながら、南部はこう呟いた。

「勝てば、さらに次の戦いが。まるで無限地獄だよ」

 腐ったように虚ろな目から、涙が一筋、土気色に乾燥した頬を流れ落ちた。


 大会五日前になった。

 出場ロボットの最終チェック日である。大きさ、重さ、二本足歩行、独立電源による戦闘行為など、大会出場条件を満たしているかを調べる「儀式」である。

 夕方には各種チェックと性能テスト、と言うよりも政府役人とマスコミ相手のデモ・ショーが終わった。あとは社主催の戦勝祈願懇親会である。

 明日午前にはさらに厳重な警戒のもと、アンナは一先ず東京へ運ばれ、菅野ら主要スタッフの最終微調整を受ける。

 翌日には恒例の「選手入場パレード」に参加しなくてはならない。

 テレビ局とどこかの広告代理店が仕組んだ派手なパフォーマンスのあとは、そのまま決戦場へ直行、翌夜明けとともに戦闘開始だった。

 今夜のパーティーは、上層部の高級官僚に対する豪華な接待である。主役であるはずのアンナも、はじめはステージ上で紹介させられた。無名の真奈にはお声すらかからなかった。

 室田は「準主役」として出席させたかったようだが、菅野が気をきかせてとどめたのだ。

「君が芸者の真似をする必要はない。タイコモチぐらい私だけで十分だ」

 おかげで真奈は、保養所の屋上で、一人月を見上げることが出来た。

 暫く夜風を楽しんでいると、屋上のエレベーターが開いた。

 せっかくの優雅な孤独を邪魔されるのか。そう思ってふりむくと、にこやかに微笑む菅野が立っていた。

 すぐ後には、ワインクーラーを持ったアンナがいる。

「! し、室長? 下のパーティーは?」

「出入り商人のお役人様ヨイショ大会さ。

 アンナの冷却装置をチェックすると言って抜け出してきた。エラそうに言ったが、私もああいうのが大の苦手でね」

 アンナはワインクーラーを置き、氷の中で冷やしていたグラスを一つづつ取り出して、思い切りふった。

 その一振りでついていた水滴は見事に全部とんでいってしまう。

「上物のシャンパーニュをかっぱらってきた。君はけっこういけるって話だから」

「ありがとうございます。自分なんか、薬用アルコールで十分なんですが」

 静かにほほえみながら、菅野はシャンパンの栓を月にむかって威勢よく飛ばした。屋上てすりの上にならべられた三つの冷えたグラスに、白くクリーミーな泡が注がれて行く。

「さ。今からが本番の壮行会だ」

「…………ありがとうございます本当に。なんと言って、その、いいか。こんなときに言葉も浮かんでこない無骨な自分が情けないよ」

「礼はこっちが言うべきだな。

 アンナ、飲む真似ぐらいできるんだろう? 乾杯しよう」

 三つのグラスがすずしげになった。

 菅野は一気に飲み干して、ふー と息を吐く。アンナは半口ぶんをくちに含んだままであるのに、真奈は気づいた。

「飲むと、どこかショートでもするのかい?」

 と言ったときにはもう、その可愛らしい口から高価なシャンパンが零れおちていた。

「ははは。どうやら私もいよいよ南部病が悪化したな。

 アンナの機能について、一番くわしくなくちゃいけないのに」

「そう言えば南部大先生は?」

「風呂にはいって頭あらって髭そって、きちんと正装して舞台であいさつしろ、て厳命したら地下研究室入って鍵しめやがった。

 作戦成功さ。深夜までは出てこないよ」

 真奈は大笑いした。菅野は、はじめて見るくったくのない、それでいてどこかコケティッシュなその笑顔に多少驚きながら、二人のグラスにシャンパンを注いだ。

 真奈は菅野とこうしてすごす自分が、驚くほどリラックスしていることに気づき、やや赤面した。菅野はそれを、酒のせいだと判断した。

 今夜はぐっすりと眠らせてやろう。そう考え、極上のシャンパーニュをまた注いでやった。

「君は何故バトル・ステーションなんて物がはじまったか、聞いたことがあるか」

 唐突に聞かれて、真奈はややとまどった。

「高度技術先進国同志のデモンストレーション、そして戦争代償行為、かな」

「それもある。そしてもう一つはパンとサーカス。世界の人々の不満を逸らす、ていのいい見世物と言った意味がある。

 混沌の世界、各地で不満と不安は高くなるばかりだからな。

 二年に一度のバトル・ステーション以外に、アメリカでも欧州でもロシアでも、国内予選がある。その期間は全世界が沸き返る。過酷で悲惨な現実を忘れてね。

 特に貧しい人々が興奮する。彼らは食べるものも食べず、ロボ券を買うんだ」

「ロボット開発大国以外でも? そうか、非合法なものも多いとか聞きました」

「政情不安定なところほどそうさ。中華連邦だと沿岸部よりも内陸部で熱が酷い」

「ロボット・バトルにかかるお金を、貧困地域に回すことは出来ないのかな」

 言った本人も、その幼稚さに気づいていた。菅野は手すりに胸を乗せ、寂しげに微笑みつつグラスを飲み干した。


 深夜に近い時間、真奈の部屋のドアをノックする音がする。下着一枚で寝ていた彼女は、相手を確認することもなく、ドアをあけた。

「な、なんだ!」

 立っていた南部が驚いた。

「ああ、ごめん」

 真奈は左手で一応、豊かな胸をかくした。

「なんです。珍しく夜這いですか」

「ば、馬鹿な。わたしたいものがあって……入っていいか」

 南部は、小さな布製の袋をもっている。そのなかから、手のひらにのる透明な球体を取り出して、真奈の目の前につきだした。

「水晶の、玉だ」

「水晶の玉?」

「わたしの母の形見だ。そしてわたし唯一のお守り。ずっとわたしを守っていてくれた」

「形見を、この自分に?」

「そうだ。預ける、君が持っていてくれ。きっとアンナを守ってくれる。

 わたしの母は、有名な美人占い師だった。南部みなべ梅花ばいかと言ってな。町で評判の。

 この水晶で未来を占い、そのお金でわたしを留学までさせてくれたんだ」

真奈は右手で、水晶の玉を受け取った。重みがあり、ひんやりとしている。

「……そのお母さん、亡くなられたのですか」

「ああ。買い物帰り、たまたま間違えて乗ったバスが車と衝突してな。一番前にのっていたわたしの母は、フロントグラスを突き破って……母一人だけが」

「な、なんか不運だね」

と言うか、自分の運命すら占えなかったのか、と考えた。

「まあ、一応もらっとくよ。それで先生が安心するなら」

「頼む。かならず母の霊が、アンナを守ってくれるはずだ」

「霊ね。自分も迷信深いけど、アンドロイド女神を産んだ先生もねえ」

「では、おやすみ………」



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