第8話

 巨漢ライデンが移動を停止し、沈黙していることはアンナも察していた。教官とアンドロイド戦士は、森の暗やみの中でじっと夜明けを待ち続けている。

「真奈。ライデンの活動停止理由が推測できない。追撃を選択するはずだ」

「自分には判るな……多分。自分のことを気遣ってくれてんだよな。

 さあ、ともかく少しでも寝ておこう、と言っても貴様は必要ないか。通常警戒モードにして各装置を休ませておきな。夜間動哨の交替はいいよね」

「通常警戒モードでは奇襲に対応出来ない」

「大丈夫。夜明けまでは攻撃してこないさ。

 ……菅野部長だきっと。その好意を受けて、こちらかにも手出し無用。いいね」

 真奈は木の幹にもたれて、目をつぶるや否やいびきをかきはじめた。

「真奈。ライデンの索敵集音マイクにキャッチされる。真奈………」

 諦めたアンナは腰をおろし、膝をかかえたままの姿勢でじっと森の奥を見つめるのだった。


 霧の朝、富士の裾野に鈍い足音が響きだした。しめった枯草をふみ散らし、ライデンは夜明けと同時に行動を開始した。小型墳進弾をあいさつがわりに撃ちこむ。

 すでに戦闘モードに各システムを切り替えていたアンナはたちまちそれを察し、真奈とともに回避行動をとっていた。真奈は走りながら圧縮食料を齧る。

 昨日と同様、戦場の端へ追い詰められるのを巧みに避けつつ、敵を深い森の中で引き回すのだ。早足で歩きながら、真奈はアンナの横顔を見上げた。

「一晩眠りながら考えた作戦、てなもんじゃないけど計略があるんだけど……笑うなよ」

「私に笑う機能はついていない。攻勢に出る必要は私も感じていた」

「よろしい。奴は有利な開けた場所、開豁地かいかつちを求めている。だったらご希望通り錯雑地を抜けて、お望みの開濶地で決着をつけてやるよ!」

 森を抜け、溶岩大地の上に雑草の生えた荒地に出た。広いここが、会戦予定地だった。

「ライデンの到達予定は?」

「十時の方向から、時速約五キロで接近中。索敵電探でこちらを捕捉し続けている。約九分後に森から出て、肉眼二千メートルで確認の予定」

 真奈は周囲を見回し、直系二メートルほどの溶岩の固まりを見付けた。しっかりと大地に「根付いた」瘤である。

「トーチカ破壊用爆薬が二筒あったはずだね。

 中の強力特殊火薬を注意して取り出して」

 命じられるままに手早く爆破筒を分解し、「マグナムコンポジション」と呼ばれる化学合成火薬のブロックを取り出した。

「おつぎはあの岩だよ。どこでもいいから一点にミニ・バルカンの高速徹甲弾を集中させて」

「岩を砕くためなら、銃弾を消耗する必要は全くない」

「砕くんじゃない。穴を掘るんだ。命中界を絞り込んで。深さ十センチぐらいでいい。脆い溶岩に穴をあけて。岩を割ったりしないように」

 アンナは右手の電動ガトリング機関砲を構え、無造作に数秒、岩のたった一点数センチメートル四方に着弾が集中するように射撃した。多穴質の黒い溶岩はたちまち火花となって飛び散り、深さ数センチのくぼみが出来あがった。

「これ以上銃撃を続けると、垂直に岩が分裂する可能性が大きい」

「オーケー。こんどはこの炸薬を窪みに押し込んで。多少荒っぽく扱っても大丈夫だ。それからその上に、対戦車ロケット弾を一発差し込んで。慎重に。雷管に注意して……」

「企図を理解した。溶岩を利用した榴弾を作るわけだな。

 敵は兵器に対しては敏感だ」

「地雷や火器なら探知できても、剥出しの爆薬は探知しにくいはずだよ。

 ライデンのコンピューターの中には、ありとあらゆる武器が記憶されている。だけど今までお目にかかったことのない物は、武器とは認識できない。だろ? それが人間とコンピューターの最大の違いだな。あんたは学習出来るらしいけどね。

 どう? ほんの一瞬の差が命取りになる」

「敵が頻繁にレーザーを使用しない限り、成功の確立は五十%以上だ。概算だが」

「結構、虎穴にいらずんば虎児をえずさ!」


 西の森から地響きが近付いて来た。巨人ライデンは、木々の枝をおり、幹を倒しその重々しい金属の体を朝日にさらした。

 すでに真奈は退避をはじめている。アンナは射撃準備姿勢のまま、「罠」をしかけた岩を絶えず相手との間におくようにして後退りする。

 女性教官がライデンの直接攻撃を受けないように、おびきだしているのだ。とくにこの距離で正面から御自慢の対空レーザーを受ければ、かなり危険だった。

「アンナより真奈。敵はこちらの行動企図が理解できずとまどっているが、確実に岩に近付いている。ほどなく肉眼で視認できる」

 遠く離れたトーチカ式戦闘指揮所でモニターを見つめている菅野部長たちも、ライデン以上にアンナたちの意図をはかりかねていた。菅野は命じた。

「ライデン。ロケット弾でアンナの動きをさぐってみよう。

 射線上に五百瀬くんがいないことを十分確認して威嚇してみろ」

 溶岩塊越しに、ロケット弾が八百メートル離れたアンナ正面に迫る。

バルカン砲で迎撃する暇もなく、とっさにしゃがんだその頭上を掠めて、オレンジ色の炎は空中で火花となって散った。

「アンナ! 被害は?」

「防護服に微量の破片が付着。索敵システムの電磁波を観測中」

 突如レーザーのまばゆい光が朝霧を切り裂いた。溶岩塊の上部をわずかに削り、アンナの左肩をさらにえぐり、遥か後方に繁っていた木を二本、瞬時に幹から切り倒した。さらに動きを封じようと言うのか、数発のロケット弾がアンナの周囲で炸裂した。

「だめだアンナ! 距離が近すぎる! 奴から、溶岩から逃げて!」

「いや。すでに敵の射程に入っている。火器管制レーダーにロックされた。

 強化装甲服に破損十数箇所。高速走行装置の右副連動ベアリング部が破片で損傷を受けた。

 現時点での脱出はすでに困難だ。真奈は遮蔽物で身を防御していて欲しい」

 真奈は隠れていた倒れた古木から、身を乗り出して叫んだ。

「に、逃げろっ! もうだめだ!」

「敵との距離五百四十。敵と溶岩塊は五十。攻撃にうつる」

「! だ、だめだよ、近すぎる!」

 アンナは重く長い銃身の取り付けられた右手をまっすぐのばすと、立てひざでの姿勢で電動ガトリング砲の照準を岩の一点につけた。埋め込まれたロケット砲弾の底部にである。

 そして敵の砲弾が至近距離で炸裂する中、慎重にトリガーをしぼった。

 次の瞬間、黒く脆そうな溶岩塊は大音響とともに赤みがかったオレンジの炎の玉に化けた。

 と同時に、砕けた無数の石飛礫を大量の埃や硝煙とともに四方に飛び散らせた。

 すぐ近くにまで迫っていた鋼鉄の戦士は、身を伏せることも出来ずに大きな破片をいくつも受け、爆風に吹かれてひっくり返ってしまった。

 離れた真奈のところまで小さな溶岩片が飛んできた。

 ようやく頭をあげることの出来た小柄な戦闘教官は、硝煙と土煙の中でゆっくりと立ち上がるのっぽの影を確かに認めた。

「アンナ? アンナ! 無事かよっ?」

 と走りだそうとする。

「強化装甲服の前面かなりの部分に損傷、機能異常。右腹部の人工皮膚に破片。右走行装置機能停止。真奈、まだ接近するな。敵の被害状況確認を行なう」

 思わずかけだした真奈も、戦いのイロハを思い出して立ち止まる。

「気をつけてアンナ。相手は怪物だよ、まったく」

「……機械音かすか。敵は作動している」

 突如煙と埃の渦巻くなかから、一条の眩い光線が放たれ、アンナの腹の中央を貫いたのである。アンナは膝をおって前に倒れた。

「! ア、アンナッ!」

 再びかけよろうとした真奈を、インカムの声が制した。

「主動力に異常はない。接近するな」

 よろめきながら立ち上がり、無表情なまま振り向いてみせた。

「腹部の制御装置と冷却システム破損。外部冷却システム完全停止。攻撃力に低下はない。しかし相手の追撃を回避するために、決着をつけねばならない」

 漸くおさまりかけた硝煙の中から、不気味に軋む機械的な音が響いてくる。

左脚部にかなりのダメージを受けながらも、怪物ライデンはしっかりとその重い体で立ち上がったのである。鈍い機械音がいくつも重なる。

「な、なんて奴! クソッタレが。ともかく今は逃げるんだ!」

「だめだ、内部冷却装置が機能異常を起こし、外部システムは作動しない。

 このまま高速走行装置を使わずに急速退避すれば、わたしの躯体内の温度が上昇し、胸郭内のニューラルチップが作動しなくなる」

 アンナ唯一とも言うべき弱点が、熱だった。だったらどうすればいいのか。真奈はいざとなった自分がライデンに身をさらすしかない、と考えていた。相手も人間は攻撃出来ない。

「アンナ。今そっちへ行く。歩いてでもいいから出来るだけ逃げろ。

 奴が動きだしたよ。ライデンは人間を攻撃出来ないよう各種安全装置がついているから、自分が前に立ちはだかれば……」

「危険度が高い。ロボ・セントリーとの演習の時も、規定に反して実弾が使用された。何者かが密かに『人間攻撃可能』にセットしている可能性を、確実に否定は出来ない」

「もうっ! つべこべぬかすなっ。こっちが教官だよっ!」

 とかけよろうとする真奈、戦闘服の下で胸が揺れる。下着をつけていない。

 突如アンナは上半身だけで振り向き、右手の電動ガトリングを発砲した。

真奈は目の前に着弾するのに仰天して、咄嗟に伏せた。土煙と硝煙が彼女を包む。

「! ……な、なに?」

「だめだ。命を捨てるのは愚か者のヒステリーだ、と教えてくれたのではなかった。真奈が危険な行動をとる必要はない。これは私の戦闘だ」

 我にかえった真奈は、伏せたままインカムに叫ぶ。

「やりやがったなっ! まったく大した弟子だよっ!

 こうなったら、イチかバチか敵の攻撃力を奪ってから決着つけなっ!」

 ライデンは重い足を地面にめりこませながら、ゆっくりとアンナに接近した。左足を痛めており、バランスをとって歩くことが出来ない。

 歩くたびに体が左傾する。

 左腕部に取り付けられたロケット速射砲の銃口をアンナにむけてはいるが、歩行しながらでは狙いが定まらないようだ。誘導式ではない、通常墳進弾だった。

 アンナは動かず、電動ガトリング砲を構えて仁王立ちになっていた。そのかなり後方では、地に伏せた真奈が息をするのも忘れてことの成り行きを見守っている。

「アンナ。何してるんだい? 早く、早く」

 いよいよライデンは四百メートルばかりに接近した。攻撃には近すぎるほどだ。

 ロケット砲の照準をつけて立ちはだかる敵を撃破するために、鋼鉄の巨人はおもむろに立ち止まった。その刹那、わずかな瞬間を待ち構えていたバルカン機関砲が火を吹いた。

 たった一点、八洲重工製対空レーザーの砲口付近が防護筒から露出している部分だけを、高速完全被甲弾が毎秒数十発の発射速度で襲いかかりすさまじい火花を散らしたのである。

 動きの鈍いライデンが右手をあげて、弾丸をよけようとした時には、すでにアンナが背負った大型ドラム弾倉はからになっていた。

 アンナは敵の動きを気にもとめず、わずか数秒で撃ちきった重い弾倉を背中から降ろし、役目を終えたバルカン砲を右腕からとりはずしだした。

 すでに弾丸は、ライデンのレーザー砲口部分を見事に破壊していた。それでもライデンは事態がのみこめず、レーザー砲を発射しようとなんども試みた。

 そのたびに逃げ場を失った電気が、バッテリーから鋼鉄の体に放電される。

 左肩に乗せたロケット砲だけとなった身軽なアンナは、伏せたままちょっと唖然としている真奈にふりむいて言った。

「いよいよ互角で、勝負をつける時が来たようだ。異存はないか」

「異存? ほかに手はないさ。貴様がそう言うなら。貴様の真面目を見せてやりな」

 各冷却装置の異常によって、逃げ回ることをあきらめたアンナは、それでも遠ざかりながらすさまじい砲激戦を開始した。

 ライデンも傷ついた足をなんとか動かしながら、追撃をはじめる。重く鈍い鋼鉄の巨人には、対戦車ロケット速射砲もそれほど効果がない。

 アンナは荒地の起伏を利用して巧みに身を伏せ弾を避け、敵の攻撃をかわして走る。強化装甲服は既にぼろぼろになっており、至近弾が炸裂するごとに各パーツがはずれていく。

 アンナはよく耐え、逃げては反撃し攻撃されては逃げることをくりかえした。

 あらぬ方へ急速に去っていく二体の戦闘マシンを、なんとか真奈は遠巻きに追い掛ける。「アンナ、どこへ行くつもりだよっ?」

 突如ライデンは停止し、左腕に取り付けられていた速射砲をひきちぎるように外した。遥か斜め後方でその有様を目撃した真奈は、インカムに叫んだ。

「! やったわ! 奴は弾が尽きたんだ。これで丸腰だ!」

 遠くから落着いた声が返ってくる。

「こちらの残弾も二発だ。肉弾戦になればあちらがかなり有利だ」

「! じゃあどうするつもりなんだよ?」

 答えず、残ったロケット弾を続けて敵の頭部に撃ちこむと、長く重い砲身を投げすて、さらにはもはや残骸と化していた装甲服をむしり捨てながら、早足で逃げだしたのである。

 しかし完全に機能停止した外部冷却装置を、背中から降ろそうとはしない。

 荒地を過り、雑木林を抜けて行くアンナ。重そうにしつこく追うライデン。

「何をするんだい。そっちは小川だよ?

 奴を沈めるには浅すぎるぜっ!」


 一方監視タワー最上階では、新日本機工の上層部が議論を繰り広げていた。

 このまま格闘戦になればアンナに勝ち目はない。もうアンナに戦う意志がない以上は、もうライデンの判定勝ちにすべきだ、などと。アンナが破壊されれば被害は大きい。

 特に戦闘指揮所から、菅野は強く訴えた。

「すでに勝負は見えています。アンナの体内温度はかなり上昇している。それに五百瀬くんの体力も限界のはずだ。結果はもう明らかでしょう。

 このまま格闘戦になれば高価なアンドロイドが失われ、ライデンも相当の被害を受けますよ。修繕費も大変なものになります。全く無駄じゃないですか!」

 他の役員、技術者もその意見に賛成した。しかし温厚で「ミスター調整」の異名をとる調停役、長田義雄専務がいつになくはっきりと社長に言った。

「まだ勝負はついていません。中途半端なままで終われば、五百瀬くんがあとでどんなに怒るか。彼女、きっと辞表を出しますよ。それでいいと言うなら、お任せします。

 どちらかの機能が完全に停止するまで、まだまだ勝ち負けの判断はできません。

 ちがいますかな社長」

 室田は専務の真意がはかりかね、黙ってモニターを見つめていた。真奈にどうするか聞いても、答えは明らかに決まっている。


 森が少しひらけたところに、小川のせせらぎがあった。どんなに深いところでも一メートルもない。

 底には、上流から古い火山灰が流れてきてドロ状に堆積している。

 真奈は、鈍いライデンの百メートルばかり後を慎重について来ていた。この戦闘機械が自分を攻撃して来る可能性はほとんどない。

 だがアンナの攻撃の邪魔になっては一大事だ。

 鋼鉄の巨人は小川の端で立ち止まり、疎らに木の生えている周囲を見回した。アンナの姿がないのだ。あの長身の影を見失うはずもない。レーダー内蔵の不釣り合いに小さな頭部が、ぎこちなくゆっくりと回転している。

 突如、ライデンの傍らにあった大きな木の上からアンナのしなやかな体が飛び降り、鋼鉄の上半身に後からしがみついた。

 アンナはその「目」である頭部探査システムをもぎ取ろうと両手でつかむ。

しかしライデンはゆっくりといとも簡単に右手を背中に回し、アンナの右足首をつかんで地面にひきずり落としたのである。

 直ぐ様たちあがった彼女に、ライデンの巨体がのしかかった。すでに強化装甲服を捨て、ショートパンツと破れた迷彩Tシャツだけとなった長身のアンドロイドは、かろうじて押倒されないように足を踏張るのが精一杯だ。

 アンナとライデンでは大人と子供である。鋼鉄の太い腕がふりおろされるたびに、アンナが身にまとっていた申し訳程度の衣服が剥がされていく。

 その様子を監視タワー一階の「特別室」モニターで見つめていた南部は、口から泡をふきながらドアをたたいた。

「だせっ! 出してくれっ! も、もうやめろぉ! アンナっ! 私のアンナぁっ!」

 菅野もテレビ電話で社長にどなりだした。

「もういいでしょう! 『彼女』が可哀相そうだ! 殺す気ですかっ!!」

 菅野ははじめてアンナのことを「彼女」と呼んだのだ。

 本人は気が付かなかったが。しかし、室田秀和はまだ決めかねていた。専務の言うことがもっともな上、社長自身も最後の最後での逆転を期待していたのだ。


 アンナはなすがままにされながら、なんとか小川へ逃げ込もうともがく。反撃すらせず、ただひたすら小川を目指すのである。

「も…もういい! ギブアップしなっ!

 抵抗をやめれば自動的に戦闘中止だよ!」

 真奈は冷静さもプライドも捨て去って、絶叫し続ける。今にも飛び出しそうなこの教官に、かろうじてアンナは答えることが出来た。

「川から遠ざかっていなさい」

 半死半生状態の機械兵士はそれでも反撃の意志を示し、敵の巨体を川に引き込もうとする。ライデンは右手を大きく振り上げ、それをアンナの左頬に力任せに降りおろした。

 そのまま数メートル後方に飛んだ彼女は、浅い川に転がりこんだ。

 続いてライデンもとどめを指そうと飛び込んだものの、川底の泥に足をとられてしまいほとんど動けなくなった。

 アンナは水の中からよろめきつつ立ち上がった。攻撃により露出した機関、配線が火花を散らしている。人工頭髪の髪は、不思議なほど水をはじいている。

 やがていかついライデンの両手をふりほどき、右足をドロに潜り込ませて足掻いている敵を見つめながら、なんとか川岸へ上がることが出来た。

 ライデンは、それを追おうとして右足がさらに深くめりこみ、そのまま川底に跪いた格好になってしまった。

 ふらつきながら川岸に立った特殊精密鋼の戦士は、敵ロボットの状況を確認してから、背負っていた外部冷却装置を背中から降ろした。対岸で立ち尽くしている真奈は、アンナが外部冷却装置の予備高圧バッテリーパックを取出し保護キャップを壊してはがすのを見て、はじめてその意図がよめた。

「アンナ。あんた、それ自分で考えて?」

 アンナは壊れたインカムを頭から外しながら肉声で答えた。

「少し川から離れていてくれ。危険だ」

 教官殿ははじめて「飛び上がって」感情を爆発させた。

「やっちゃえっ! アンナっ!!」

 アンナは無表情になんの衒いも優越もなく、川中で藻掻くライデンを見つめる。そして、コイに餌でもやるかのように、高圧バッテリーパックを水の中へ投げ込んだのである。

 たちまち特殊合金製のライデンの体を、輝く紫の小さな雷群が襲った。

 戦闘であいた穴、傷、皹から電流が体内へ流れこんで組織を破壊して行く。川の表面が輝く。

 数秒後、全身を眩い光につつまれた巨体はほとんど動かなくなってしまった。

 バッテリーパックが総ての電子を放出し終えると、おのずから川面は元の静けさをとりもどした。ライデンは右足を泥に埋めたまま全く動かない。

 それを見定めると、アンナは自ら水の中に下り、重く武骨な鋼鉄の体をなんとか川岸にひっぱりあげたのである。

「全機能停止。損害は軽微。電子脳等の一部部品の交換を主とした修理が必要だ」

 瞬きもせずに見つめていた真奈は、父が死んで以来自らに禁じていた感情のたかぶりをどうしても押さえられなかった。

 彼女は、大きく勝ち気そうな目から大粒の涙を流しはじめたのである。

 「二人」は、川をはさんで暫らくそのまま立ち尽くし、見つめあっていた。


 トーチカ状の戦闘指揮所では、内外の錚々たる大学院を「飛び級」で卒業した若い技術者たちと、事業本部長取締役が阿呆のようにモニターを眺めている。

 しかしライデン開発プロジェクト最高責任者の菅野部長だけは、一人指揮所から出て晴れ渡った空を見上げ、満足そうに大きなあくびをするのだった。

 ようやく「特別室」から解放された工学博士にして理学博士、狂気の天才南部孝四郎は室田社長やなぜか渋面の専務以下、社や国会の「おエラ方」とともにタワーの下で待ち続けていた。南部の顔は涙と鼻水で見苦しい。

 すっかり霧のはれた明るい富士山麓演習場の視界いっぱいに広がる森の中から、こちらへ近付く背の高すぎる影を認めた時、南部はもちろん他の人々も思わず駆け出してしまった。その影は、真奈を肩車したアンナに間違いなかった。

 ほとんど衣服を焼かれ破かれたアンナは、照れるでもなく誇るでもなくいつもの端正すぎる無表情のまま歩いている。

 そのアンドロイド戦士に肩車された教官、元統合自衛部隊東部方面総軍所属の三等曹長、統合幼年学校始まって以来の密林戦の専門家、五百瀬真奈はまるで父の肩に乗る幼女のようにはしゃぎながら、雲が撤退しつつある濃い青空を見上げ高らかに歌っていた。


 ♪~空の~曇りも今日晴れて~

 ひぃときーわ高き~富士の山~

 峰の白雪消ゆる~とも~……


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