第5話

 最後のマタギの孫娘たる五百瀬真奈は、不思議なものを感じていた。

 この彼女にとっては贅沢な個室で、下士官ごときには考えられない、まさに将官なもの扱いを受けている。

 二十一世紀半ばの電脳文明に馴染めず、せっかくたどりついた統合自衛部隊と言う居場所から、自立思考機械に追い出されたのである。

 そんな山の民の子孫が今、世界最高のアンドロイド、自学自習能力を持つ機械兵器を訓練している。そして真奈は確実に、あのアンナを気に入りだしている。

 ある意味産みの親たる南部以上に、あのアンドロイドを人間扱いしていた。

「おかしなもんだね。じいちゃん言ってた。人は環境と時代によって変化するって。変化、適応した生き物だけが、生き続けることが出来るか。

 うちの一族も……」

 彼女の遠い先祖は、朝廷から「まつろわぬ者」として、山へ追い込まれた部族だったと伝わっている。しかしいつの頃からか、その狩猟民としての能力を為政者の為に使うことによって、重宝されるようになった。

 そして権力集団がかわっても、山の管理や密偵として仕え続けた。山伏や山法師、スッパや「しのび」などとして。

 そのかわり古来の「しらひめ神」の信仰を今世紀に伝えている。

「あたしも、変わったのか。新しい環境に適応したんだ。……こんな生活もいいかな」

 しかしふと真奈は考えた。このままなにも起きず、アンナの教練が修了すれば、彼女はお払い箱になるのだろうか。アンナの向上は著しい。このままでは半年を待たずして、真奈の戦闘技能を越えてしまう。教えることはなくなる。

「…ま、その時はその時さ。このまま何も起こらないで、教練が続けばいい名」


 次の晩、事件はおこった。深夜自室で寝ていた真奈は、菅野の電話にたたきおこされた。

「電話では話せない。

 こんな時間にすまんがすぐに中央研究棟機密エリアに来てくれ」

 アンナに異変が? 察した真奈は素肌の上から迷彩ジャケットを羽織っただけで宿舎から走りだした。脚は愛用の特殊編上靴である。

 最高機密接近可能IDカードで社の最重要エリアに入ると、菅野部長と二人の開発技術者が幽鬼の如く青ざめて立ちつくすのを見て、事態の異常さを感じた。

「菅野部長、一体なにが?」

 何か言われる前に、真奈の神経が凍りついた。この部屋の中央に立てて安置してある「棺桶」の主が忽然と消え失せていたのである。

「警備モニターが一部始終を記録している。しかし完全自動警備システムは、ウンともスンともいわなかった。

 たまたま私が残業して、偶然システムの異常に気がついたんだ」

 総ての監察カメラがきられていることに気付き、もしやと思って見にきたのだと言う。

「犯人はあの南部だ。警備システムを無力化した上で、アンナの胸部概念思考回路を切り、ただのロボットにしてから社有ロボ・ワゴンで連れ出した。」

「み、南部博士がっ!!」

「だいたいの理由は判らんでもないが、あのアホウがここまでやるとは」

 菅野は手のひらサイズのカードを見せた。

 この一帯の地図が写しだされている。

「静止気象衛星のセンサーが、常にアンナからの微弱信号波をモニターしている。北にむかっているようだ。

 上層部にはまだ報告していないし、警備関係は押さえてある。南部が馬鹿をしでかす前に、他社やアンナを狙う連中が気付く前に。まず君を呼んだんだ」

「ありがとうございます。自分が責任者です。アンナと南部博士の身を守ることも契約の中に入っていますから、後は自分一人で」

「一人っ? しかし」

「もし連れ戻すのに失敗したり、社の上層部に気付かれたりしたら部長の責任になりますよ。

 一切は自分が単独でやったこと。アンナ失踪を見付けたのも、報告しなかったのも総て自分のしでかしたことです。山岳地帯用の車両を拝借しますっ!」

 鋭く、決意に燃えた真奈の言葉に、冷静な菅野も反論出来なかった。

 真奈は小型六輪車を駆って、カード型追跡装置をたよりに全速で深夜の高速道を北上するのだった。

 夜明けまでまだ時間はある。明かりの乏しい山中では、星がひときわあざやかに輝いている。真奈は一人オフロード・ヴィークルを馳せて、南部の自動ワゴン車を追った。

 その頃南部は、いくら半分ロボット化された乗用車とは言え、やはり運転免許は必要なのだと言うことを思い報されていた。

 安全ビーコンやナビゲーション・サポート・システムの完備した高速自動車道から、人目を避けるために一般地方道へおりたのが失敗だった。

 両側から黒い森の迫る山道へ入って暫らくすると、たちまち路際の大木に衝突してしまい、身動きがとれなくなったのだ。南部は途方にくれ、アンナの概念思考装置を作動させて「意識」を取り戻させた。

「あなたにはすまないことをしたと思っている。

 でも私には耐えられなかったのだ。もう日本には、我々を認めてくれる奴はだれもいない。どいつもこいつも保身と金儲けばかり!

 あなたを徹底的に利用しようと考えるだけなんだ」

「概念思考回路起動を確認。第六第七主メモリー入電開始。

 情報不足で状況把握困難だ。なぜ博士と私は研究所にいないのか」

「く……詳しい説明はあとだ。私を背負って急いで山を越えて欲しい。

あなたの足なら、朝には新潟に着くだろう。

 大金を降ろしてロシアにでも行こう。社が私の口座を封鎖しないうちに」

「行動の企図と理由が理解不能だ。状況概説を願います」

「たのむ! 警報を無力化して来たが朝になれば大騒ぎだ!

 きっと奴らが追って……」

 「奴ら」の追っ手はすでに近付いていた。後ろからヘッドライトがやって来るのに気がついたのだ。南部はアンナにすがりつき胸に顔をうずめ、叫ぶ。

「き、来たっ! 応戦してくれアンナっ!」

「敵性確認不能。社有の六輪オフロード車なので、運転者を確認する」

 やがてジープをとめ、簡易舗装道に降り立った真奈は、一歩一歩ワゴンに近付いた。

 ハンドライトでワゴン車の中を照らすと、後部荷台には窮屈そうに起き上がっているアンナと、その胸にしがみついて震えているみじめな南部の姿があった。

「博士、さあ戻ろうぜ。今ならことを内々に処理出来る。さもないと、あんたはもうアンナに会うことが出来なくなるよ。脱柵は重罪、重営倉もんだよ」

「う……お前に何が判るっ! 私が心血注いだこの女神が、人類の、いや地球の歴史にとっていかなる意味を持つのかをっ!

 それを奴ら愚民どもは愚かな戦いに、下らん見せ物に使おうとしているんだぞっ!

 そしてもしアンナがライデンに負ければ……アンナが吐き気のするロボットプロレスの社代表にならなければ。お前は、お前はこの素晴らしい生きた芸術品がどうなるか、考えてみたことがあるかのかっ!? ん?」

「アンナの運命については、自分の職務外だよ」

「莫大な開発費を注ぎ込んでいるんだ! 少しでも早く回収しようとするさ。

 私はうすうす感付いていた。そして内部にも敵がいることを、あの実験で確信した!

 クライネキーファー社から金をもらっている役員の噂は、本当だった」

「そんな、いったい誰が……」

「アンナがライデンに破れた場合、我が新日本機工は新型ニューロ・コンピューター開発から完全に撤退するぞ。

 社内の反対派がてぐすね引いている。社内スパイも万々歳さ。

 その際には様々なデータと開発技術者、虎の子のサンプルを八洲重工の兵器開発部に売却する話が、内々ですすめられているんだ」

「サンプル? つまり、アンナを?」

「アンナの一部、頭部と胸部の中身だけをだっ!

 そして完璧なまでに人間に近い空気圧可動システムと人工皮膚は、社が密かにバックアップしている医療関係会社へ払い下げられる。

 高性能ダッチワイフのサイプルとしてな」

「ダッチワイフ? アンナを?」

「今はセクシャル・ロボとか言うんだったな。つまり、ナニ専門の機械人形さ」

「馬鹿な、新日機ほどの大企業が、そんな物の製造に関っているなんて」

「……私ははじめ、その会社の主任技師だった。会社が潰れかけた時、新日本の資金が入った。そして転籍、ロボ・ナースの開発をまかされたよ。商品名は『小夜』、知っているな。そこは主として医療用ロボットを作っている会社だが、政府のあと押しもあって完全女性型ロボット、ロボット・ダッチワイフ『ロボダッチ』を作り出したんだ。

 商品名は『今い~の』だとよ、吐き気がする! 頭はいらない。完璧な肉体さえあればいいって奴さ。ただひたすら艶かしさが求められるがね」

「日本国政府が、なぜそんなものに支援を?」

「ここ十年ほどの社会を見てみたまえ。女性の非結婚傾向が加速され、独立して自由に生きるのが増えた。少子化なんて言われたのは、昔のことだ。今では話題にもならん。

 一方で性欲しか脳にインプットされていないのに、結婚できない男性が増えている。最近の犯罪増加の最大原因は、欲求不満なんだ、様々な形でのね。性犯罪も多発し、いらいらからの粗暴犯罪も多い。

 いよいよ政府も馬鹿な若者の原始的欲望を満たすべく、重い腰をあげたんだ。 売春防止法に違反しない合法的ロボット売春を正式に許可すべく、下準備をすすめている」

「………つまり、機械売春と言うわけだね」

「そう。ロボダッチ『今い~の』は、今や我が社の主力商品化しつつあるさ」

 世俗のことに疎い真奈とて、このごろはニュースぐらい見るし、極力電子新聞も読むようにしている。

 衛戍地だけが「世界」だった頃とは違うことは、自覚していた。日本人口一億二千万人。うち高齢者とされる七十歳以上が、国民の四割を越えつつある。

 一方で二十代男女の約半分は結婚せず、既婚者の半数は経済的、その他の理由で子供を作ろうとしない。

 一世帯の平均は子供コンマ九人、と言うのが実情だった。にも関わらず政府はここ数年、育児手当教育手当てなどを次々に縮小している。

 「自助努力」をお題目に、全体的な福祉政策の低下が言われだして久しい。この頃では、国会などで問題にされることも少なくなった。

 そして子供を育て高等教育を受けられる階層には、税的その他のさまざまな優遇措置がとられている。つまり低所得階層の人口増加を、計画的に抑制しているらしい。

「このアンナには、私が培った忌まわしいノウ・ハウが流用されている。

 内藤は言ったよ。アンナの素晴らしい頭脳を組み込んだ殺人兵器を早く作りたいと。頭脳は殺人マシーンに、体は自動淫売マシーンのサンプルになるんだっ!

 そんなことが、そんな醜悪で残酷なことが耐えられるかっ!?」

「そんなことはまずない。自分が許さないよ」

「に、肉弾戦だけが取り柄の殺人マシーンのお前に、一体なにが出来るんだっ!」

「アンナは絶対にライデンには負けない。奴を破って社の主力開発事業に昇格する。でも勝つには、南部博士。あんたの協力が不可欠だよ」

 声を荒げず博士の眼を見据えたまま言った。

「このまま駈け落ちしてどうする。アンナが故障したらどうやって直すの?」

 不精ヒゲにカムフラージュされた貧弱な八の字髭がいっそうなさけなく垂れ下っている。

「わ、私は、私は……」

 突如北の方で爆発がおき、黒く深い森から鳥が一斉に飛び立った。

 オレンジの炎が遥かに見える。

「アンナっ! 暗視モードで精査して!」

「北北東九百五十メートルに黒煙。切り通し部が崩れ、走行不能。……前方約八百に接近する車両を確認。時速約六十。減速中」

「車種または形態を確認出来るか」

「八洲重工製の自動制御汎用小型装甲車に酷似しているが、仕様が異なる」」

 真奈も道路に出て、やって来る車両のシルエットを見つめた。

「あれは、二式軽装甲偵察車?」

 統合自衛部隊で最近導入された快速偵察車両らしい。青ざめていた南部が気付いた。

「内藤二式自動戦闘装置かっ? 内藤雷太だっ! 前からアンナを敵視していた馬鹿だ」

 小柄で不潔そうな内藤頼太は、濁った瞳を鈍く輝かせながらモニターに映った獲物を見つめ、けたたましく笑った。口から唾が飛び散る。

「けけけけ。南部先生、ここまでバカやるとはな! ずっと見張っていた甲斐があったぜ。

 金も相当使わせてもらったから、楽しませてもらう。

 内藤二戦! 周辺索敵警戒のまま攻撃モード切り替え。第三戦闘走行形態で接近。目標を徹底粉砕せよ!

 妨害する生命体は、無制限攻撃により排除する!」

 楔形の戦闘装甲車が臨戦態勢で接近して来ることを、アンナが報告した。

「誰だっていいわ。相手が本気ならこっちも思う存分……」

「い、いかん! だめだだめだ」

「? しかし博士、このままでは」

「な、内藤二式自動戦闘装置は、ロボットと言うよりは彼自身が乗り込む小型装甲車だ! つまり正式には良心回路搭載のロボットではない、自動兵器だ」

「二式偵察車に、そんなに強力な火器が?」

「いや、人間なんだ相手は! アンナは当然、ロボット工学の三原則に基づく良心回路が組み込まれている。人間を攻撃するようには出来ていない!」

「総ては仕組まれていたのかもな。アンナの性能を探ろうとする、八洲やしま電子制御開発部と内藤あたりの陰謀かも知れないね。だとしたら、奴はあくまでもやる気だよ」

「いや、このまま逃げ回っていよう。やがて警察か何かがやってくれば」

「アンナを官憲に渡すつもりかい? 自分たちは事情聴取、アンナはヘタすりゃ危険物として没収だよ。こうなりゃ戦うしかないよ! 見敵必戦! 

 雷太を傷つけずに、二式偵察車を無力化すればいいさ」

「バカなッ! 今野アンナは丸腰だぞっ! 君もだろう? しかもあれは偵察車輌じゃない。内藤自らが改造強化した、ロボット兵器だ!」

「どうせエモノを持っていても、人間にはむけられないなら同じこと。

 アンナっ! それが頭を使うってことだよ」

「機に臨みて変に応ずるのだな」

「判ってるな、敵のベースはたかが偵察車。いくら改造して強化していても、岩場や森のなかは弱いはずだよ。川に沈めるか、砂地に誘いこむとかして動けなくすることだって考えられる。今まで教えたことを応用しな!

 ともかく直接射撃されないように距離をつめて、正面攻撃は絶対に避けるんだっ!」

「認識している。間接的アプローチだな」

 アンナは、粗末な道路を威嚇するように繁る夜明け前の黒々とした森に走り込んだ。待ってましたとばかりに興奮した内藤は、汎用軽装甲車をロボット化した「愛車」に命じた。

「行けっ! 内藤二戦っ! くそダッチワイフを踏み潰してやれっ!」

 内藤二戦は排気ガスを爆発的に吹き出し木々を薙ぎ倒しながら森へ突入する。

「ア、アンナァァァ」

 狼狽えた南部は追い掛けようとする。

「まかせてっ! 地形を調べて敵を誘い込む場所を探している。この先の錯雑地辺りが」

 とカード型電子マップの倍率を上げ、光点で示されるアンナの行方を追った。

 そのあいだにも甲高い声で笑いながら、内藤はアンナに接近して行く。高速走行の得意なアンナとは言え、快速装甲車にはとてもかなわない。

 巧みに巨木の間をすりぬけ、内藤二戦には走れない場所を探す。

「フン。二本の足が自慢か。内藤二戦。走りにくくなってきたら適当に奴の進路を塞げ」

 と座席に深々と座って楽しそうにモニターを眺めている。ロボ装甲車の車体上面に装備された速射ロケットが火を吹き、アンナの背中に迫った。

 空を切る音に反射的に伏せたアンドロイド戦士の頭上をオレンジ色の炎がいくつも過ぎり、十数メートルむこうに弾幕を作る。一瞬森の中が明るくなり、爆風に木々が震え戦いた。

 あくまでも無表情に立ち上がったアンナは迫るロボ装甲車を一瞬見据えてから、方向をかえて走り出した。

「無駄だ無駄無駄。足場の悪いところ探そうとしてんだろ。地形は十センチ単位で総てスキャンしてある。お前はこの森から出られんよっ!

 ひっひひひひ! 内藤二戦、あの馬鹿人形の動きを止めていたぶってやれ!」

 アンナの行く手に次々とロケット弾が落ちる。破裂音が闇を震撼させる。木々を遮蔽にして逃げ回るアンナの動きを「読み」、ロケット弾は密集する樹木を越えてやや藍色がかってきた空から襲う。オレンジ色の炎があちこちに上がる。

 カードマップを見つめていた真奈は、しばしば変わるアンナの進行方向と轟く爆音から凡その事態をつかんでいた。

「まずいな、敵の術中にはまりつつある。手を読まれて進退極まった時は、敵の意表をつくしかない。関ケ原の島津家正面撤退だね」

 しかしそのことをアンナに伝える手段はなかった。しだいに険しくなる真奈の表情を察した南部は、隙を見て突如硝煙漂う森へととびこんでいった。

「な……何をっ!?」と、驚いた真奈も追う。南部はよたよたした足で爆音のする方向へ走るが、すぐに真奈に追い付かれてしまう。

 後から飛び付いて南部ごと伏せる真奈。その直後、二人の三~四十メートルばかり目の前に、故意か流れ弾かロケット弾が落下し、紅蓮の火柱とともに土砂を吹き飛ばした。

 真奈の体に小石が降り注ぐ。

「アンナ! もうイチかバチか特攻かけるしかない。作戦の外道だ!」

 叫ぶが、その声は聞こえない。ユニ・コムも持たずに飛び出していた。しかしアンナは突然か逃げ回るのをやめ、手近にあった木をいったん見上げてから、それに登りはじめた。

 暗視モニターでそれを知った内藤雷太は、椅子から飛び上がって喜んだ。

「ヒャヒャヒャッ! 猿かお前はっ! それとも飛んで逃げるか!

 内藤二戦! 砲撃中止! 木をへしおってバカ人形を落とせっ! そして奴を踏み躙ってやれいっ!」

 スピードをあげつつロボ装甲車が迫る。アンナは木の中程の枝にぶらさがり、太い幹に長い足をかけて身構える。

 かなりのスピードで内藤二式自動戦闘装置がまさにその木の幹に激突粉砕しようとする直前、アンナは身を踊らせその装甲車の真上に飛び乗ってしがみついた。鋭い音とともに木は折れて、弾けるように倒れた。

「な………くそっ!」

 頼太は、コックピットの風防がアンナの胴体で塞がれてしまったことに驚き、激怒した。

「バカがっ! それでどうするつもりだっ! 強力装甲車内藤二戦はびくともしないぞ!

 内藤二戦! 木偶を振り落とせっ!」

 どんなに急に曲がり、速度を高下させてもアンナはしっかりと防護風防にしがみついている。

 元々興奮症の内藤雷太は、煮えたぎった血が頭頂へと登りつめてしまった。

「内藤二戦っ! デカい木にぶつかってこのクソを弾きとばしてしまえ。

 速力最大っ!」

 猛スピードで森の中を走り回り、次々と木々を薙ぎ倒すロボ装甲車。真奈は遠目に狂ったその様を見つめ、息を飲んでいた。

「アンナ……逃げて、まともに相手しちゃだめだ!」

 アンナの上に次々と太い幹が倒れて来る。冷却装置が破損し、衣服がボロボロになっても手を離そうとはしない。

「ク、クソたれめ! 内藤二戦っ! どれでも一番堅くて太い幹を選んで正面衝突しろ! ショックで落としてから踏み殺せっ!!」

 命令された通り忠実に行動する戦闘マシンは、すぐさま車体前部のセンサーで周囲の木々を調べ、直径二メートルばかりの堅そうな木の幹を見付けた。

「行けっ! 木偶の最後だっ!」

 百数十キロの速度で内藤二戦はつっこんで行く。

しがみついていたアンナは頭をあげ、振り向いて迫る巨木を見つめた。そして衝突の一瞬前に、両手両足を思い切りつき放し、装甲車から飛び降りた。

 アンナの体が宙に浮くのと同時に、あさぼらけの黒い森を震撼させる轟音が響いた。

 真奈がことの異常さに反射的に飛び起きた時、頑丈なロボ装甲車は巨木を根元あたりで見事にへしおり、後にあったやはり太めの幹にめりこんで行くところだった。真奈は悲鳴に似た鋭い音に向って走る。

 さすがに二本目の幹を破壊できない内藤二戦の上に、その木の折れ目から上が、すさまじい音とともに倒れてきた。真奈はまだ暗い森の中を全速で走ると、やがてかなり傷つきながらも上体を起こしているアンナの後ろ姿を見付けた。

「! アッ…アンナっ!」

 アンナは前方を見つめたままである。かすかに空が青みをおび、木々が黒いシルエットとなって浮かび上がっている。真奈はゆっくりと近付き、アンナの視線を追った。

 二十メートルほど先に、まだエンジン音を響かせて停止している内藤二戦があった。前部はややひしゃげているが、他に目立った損傷はない。太い木が二本倒れてきている。

「あんな木ぐらい跳ねとばせるのに。アンナ、慎重に接近してコックピットを調べてみな」

 何事もなかったかのように立ち上がり、散歩するかのように平然と近付いた長身の機械兵士は、風防の皹から覗きこんだ。右手でその強化防弾ガラスをたたき割り、開けた口から泡を吹き舌をだらりとだし、白目をむいて操縦席に沈みこんでいる内藤雷太の頚動脈あたりに触れてみた。

 アンナはゆっくりと振り向いて、ごく普通に報告した。

「脳震盪で気絶している。機能異常は認められないが、早期の治療が必要だ」

 真奈はアンナと内藤二戦を見比べ、そしてごく静かに言った。

「よくやったぜアンナ。人間を攻撃することなく、見事に敵を無力化したね」

 真奈は軽くほほ笑みながら、小さな溜息を漏らした。


 ようやく世間が明るくなりかけた頃、菅野と数名の技術者は、ツイン・ダクテッドファン機で松代方面へむかう山道の上を北上していた。

 やがてパイロットが遠くを指差した。そこには右肩に真奈、左には疲れきった南部博士を乗せ、しっかりとした足取りで南へと歩くアンナの姿があった。

 真奈は近付くダクテッドファン機を見上げ、嬉しさを押し殺しながら小さく歌いだした。

「♪道は~六百八十里、長門の浦を~船出ぇして~……」

「真奈。唄の理由とその意味は」

「意味なんてないよ。これも教練の一貫さ。昔ながらの。

 初めて先輩から教わった歌だ」

 真奈はしだいに降下するダクテッドファン機の爆音をものともせず、歌い続けた。

「♪はやふたとせを~ふぅるさとのぉ~」

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