第4話

「もういちどおさらいだよ。ともかくどんな手を使ってもいいから、正面攻撃は極力避けること。逃げ回って敵を混乱させるんだ。いいな」

 広大な樹海の途切れる辺りに聳える観測タワー展望部で、真奈はインカムを通じて命令していた。傍らでは社長、温厚な専務以下役員数人と部長連中、そして南部をはじめとする技術班が大型モニターを見つめている。

 真奈はデジタル双眼鏡で、荒野の一角にいるアンナの姿を遥かに眺めていた。

 アンナは特別拵えの迷彩服に特注冷却装置を背負い、左肩には対戦車ロケット砲を担っている。通常はジープなどに搭載して使用するタイプで、全長はゆうに三メートルはある。

 その上、ロケット弾十二発入りの弾倉がつき、重さは大型オートバイを越える。

右手には対空火器である小型電動ガトリングを構え、その重い円形弾倉を小脇に吊っている。なみの人間なら重さで潰れていよう。アンナは強まってきた風にふかれながら、片膝ついて無表情に「その時」を待っていた。

「いいかい、敵チームの核は比較的装甲の弱いロボ・セントリーだよ、きっと。機動力をいかして逃げ回りながら状況を的確に把握、防御も攻撃も得意なロボタンを指揮すると思う。

 いくら貴様でも、戦車と真正面から戦っちゃ命を捨てるようなもの。タンクにとって鬼門である岩場に誘い込んで、ともかくまずロボタンを片付けな。ロボタンの無力化が不可能だと思ったら、判定負けしてもいいから全力で逃げなさい。

 逃げて逃げて、演習場の外までも。玉砕覚悟のバンザイ突撃なんて愚の骨頂。潔く退いて、捲土重来を期する。

 それが人間らしい戦いだよ。いいね、木偶人形っ!」

「でく、とはどう言う意味か」

 スピーカーから、菅野の冷静な声が響いた。

「ただいま午前十時ちょうど。テストを開始いたします」

 居合わせた人々は固唾を飲んでモニター画面を見つめた。

 南部だけは一番うしろの椅子に深々と座り、大きな窓の下に広がる荒野と森を虚ろな眼差しで眺めている。

 真奈は双眼鏡とトレーナー用のモニタースクリーンを交互に見つめ、眼光鋭い勝ち気そうな瞳を忙しなく動かしている。アンナの耳に、正面彼方から轟く地響きが聞こえてきた。

「アンナ、用意はいいな」

 真奈の声が回路にこだまする。楢の森の中、土煙が近付いてくる。やがて森のつきるところから数本の太い幹が踏み倒され砕けて飛び散った。

 続いて吹き出した土煙の中から、暗緑色の鉄の塊が出現したのである。重厚だが軽快なロボ・タンクは砲塔をわずかに左右に降って目標を確認すると、警戒しながらゆっくりと近付いてくる。

 後ろから、四本足のロボ・セントリーがたくみに折れた幹をまたいで現れた。モニターと双眼鏡で現場を注視していた真奈は、若い女性にしては低く迫力ある声でインカムに語った。

「予想通りロボタンを先頭に押し出してくるぜ。遮蔽物のないところでは不利だ。

 自慢の脚力を使って北東に走って!」

 すさまじい砲声が轟いた。ロボ・タンクの百五ミリロケット弾が真っ赤に輝きながら、アンナの右一メートルわきを掠めて飛ぶ。その衝撃でアンナは草原に転がり、無炸薬のロケット弾は後方の森に飛び込んで太い木を数本へしおり、破片を四方に飛び散らせた。

「アンナ! 逃げなっ! あんなの直撃受ければ貴様でももたないよっ!」

 起き上がる動作と走りだす動作をほぼ同時におこない、長身のヒューマノイド戦士は大きな無反動砲を担いだまま駆け出した。

 長い足を規則的に動かし、あわてることなく乱れることなく優雅に風を切る。

「アンナ! 照準が狙っている、伏せろ!」

 耳に真奈の声が響くと、アンナは顔色一つかえず五体を大地に投げ出した。

その刹那、オレンジの炎を吹き出しながらロケット弾が頭上を掠めて飛び、彼方の斜面にくらいついて土片と埃を撒き散らした。

 何事もなかったかのように立ち上がった機械兵士は、左肩に担いだ対戦車ロケットの砲口を素早くロボ・タンクに向けると、照準を合わせることもなくすぐに発射した。

 威力こそ落ちるが炸薬のつまった弾丸は、タンクの手前の地面を吹き飛ばし、視界を土埃で遮断してしまった。踵を返したアンナは、ややジクザグにコースをとりながら森へかけこもうとする。土煙の中からキャタピラの音が響く。

「アンナ! また来るよっ!」

 アンナは走る速度を落とさず、咄嗟に右足を軸に一回転した。ちょうど砲口が後にむいた時、第二弾を発射したのである。もちろん命中などしない。しかし再びあたりは土煙と硝煙に覆われ、そのあいだに森に飛び込むことが出来たのだった。

「よくやった! その先の岩場なら奴は追ってこられない。上からの攻撃は断然有利だよ」

 ロボ・タンクも森に突入した。木々をへしおり下草を踏み躙りアンナを追う。

 時折木立の間にちらつく敵の背中に、無炸薬のロケット弾を撃ち込むが、アンナは砲声がする都度たくみに伏せ、あるいは避けてひたすら走る。ロボ・タンクが無理に作った森の小道を、四本足のロボ・セントリーが追って来る。

 やがてアンナは、溶岩大地が露出している岩場へとついにたどりついた。道もないこの一帯は戦車には無理だ。

「セントリーがのこのこ昇ってきたらチャンスだ。

 反斜面陣地で逐次撃破しちまえ!」

 監視塔の上で、真奈は極力冷静さを保とうとしていた。モニターを見つめていた室田社長は険しい表情で、かたわらの立川常務に耳打ちした。

「どうも、戦闘難易度が違うようだな。どうなっとるんだ。

 これじゃまるで実戦じゃないか。アンナを破壊しようとしているかのような」

「し、しかし菅野くんに限って間違いはないと思いますが……」

 アンナが岩場を登りはじめると、森の中からロケット弾が続け様に飛んで来た。

堆く盛り上がった溶岩丘の上部に次々と着弾する。炸薬のない弾とは言え、脆い溶岩はたちまちくずれ、大きな塊がアンナの頭上に降り注ぐのである。

「アンナ! そっちはどうなってる?」

「タンクが溶岩を崩している。このままでは登ることが出来ないし、やがて森からタンクが現れるだろう」

「敵もバカじゃないぜ。決心変更、森へ戻って! 大きな木のある中心部へ」

 タンクとセントリーがアンナの姿をとらえ、さかんに砲撃して来る。直撃弾こそかろうじて避けたが、砕けた溶岩が飛礫となってアンナを襲う。

 アンナも右手に掴んだガトリング砲で反撃しつつ、さらに南の森へと逃げ込もうとする。

「アンナ! セントリーは目視できる? 火線を集中しな!」

 対戦車ロケット弾とバルカン砲の完全被甲銃弾が、奇妙な姿のロボ・セントリーに集中した。たちまちロボットの「番兵」は戦車の後方に回りこもうとする。

 堅牢なロボ・タンクも、比較的ひ弱な「戦友」を庇うべく機動しはじめる。

 その隙を逃さずアンナは森へ駆け込み、なんとか死地を脱したのだった。

 しだいに深く暗くなる原生林の中を駆け抜けるアンナは、迷彩服がかなり破れ、冷却装置に穴があいている。そこから白い煙がのぼって行く。

「冷却装置被弾。冷却液循環システムの出力が十パーセントダウン。

 徐々に低下する」

「!セントリーもロボタンも、演習用の硬化プラスティック弾丸だろ?」

「いや、高速完全被甲弾だ。確認した」

 教官真奈は振り返り、大型モニターを食い入るように見つめる「お歴々」を鋭い視線で捕らえた。方針が変わったのか、上層部でなにかのトラブルがあったかもしれない。ともかくここまで来たのだから、続けるしかない。

「……ならこっちも遠慮することないな。状況ではなく、実戦だ」

 タンクとセントリーは、華麗な目標を追い続ける。

「アンナ! 敵の速力はどうだい?」

「高速戦車も森の中では手間取っている。履帯が木本植物を破砕する音を観測、後方約六百メートルを時速五十キロ程度でついてくる。セントリーはそのすぐ後だ」

「冷却装置は持ちそうか。温度が危険域に近づいたら報告!

 そこから大きく左に円弧描いて機動してみな。

 ちょうど敵の左側へ逃げるみたいに」

「セントリーが左方向へ進路を変えた場合、前後から挟まれる場合もある。

 企図の完遂はセントリーの速力に左右されるが」

「それが手だよ。このままじゃ逃げ回るだけ。セントリーとタンクを切り離してイチかバチか、各個撃破に持ち込もう。セントリーが単独で挑みかかってくることはありえない。

 前へ回りこみつつ巧みに衝突をさけ、牽制射撃をあなたの左方向から行なうはずだ。その間にロボタンが追いついて、背中から襲おうとするはずだ、きっと。

 アンナはむこうの作戦に乗るふりして、大木の生い茂る原生林へ誘いこむんだ、いいね」

 アンナは左へ左へと走りながら、後を振り向いた。木立の彼方に土煙と薙ぎ倒される木々が見える。そしてそのあたりから右へ、アンナの進行方向に対して左へ走る金属の戦士が僅かに見えた。突如砲声が深い森に響きわたると、木々を倒し微塵に砕きつつ噴進砲弾が飛んできた。しかし幹にぶつかり進路を狂わされ、アンナにとどかずむなしく下草と苔むした石を抜き飛ばした。

「真奈よりアンナ。セントリーの動きを単簡に報告!」

「左へ回りこみつつある。進行方向左四十度、距離約五百。速力凡そ七十五毎時」

「そろそろ原生林だね。ここらの大木は硬いのよ……。作戦第二段階開始!

 前方のセントリーを威嚇して。タンク救援に駆け付けられないように!」

「アンナ了解。無測量無照準で連射開始」

 走りながら、無反動砲と電動ガトリング機関砲を前へ突き出すように構えた。そして進行方向やや左手、セントリーが四本の足で器用に走行しているであろう辺りめがけて数秒間攻撃を加えた。

 三発の少量炸薬自噴砲弾と、数百発の完全被甲小銃弾が木々をかすめて飛び、小枝と木の葉を砕き散らし、ロボ・セントリーの至近で炸裂した。

 セントリーはたちまち進路をさらに左にとり、アンナから離れるように動く。

「真奈。セントリーは退避行動を開始した。音源遠ざかる」

「チャンスだいっ! うしろのタンクを片付けよう! 十分注意してっ!」

 アンナは突然回り右をして、後方から迫るロボ・タンの右側面へ出ようとする。

察したタンクも右へ進路を転じ、正面攻撃をかけようとする。

 しかし楢やブナなどの古木の繁る原生林ではそう簡単には動けない。特に長い砲身が木々にひっかかる。この辺りは一層木が密集しており、通常の演習でもめったに立ち入らない樹海なのだ。

 脚力を生かして円弧を描きつつ、アンナは巧みにロボ・タンクに接近する。タンクはしばし木々に進路を阻まれながら、なんとか砲の照準をつけようとする。

 だが長い砲身が幹や太い枝にひっかかり思うように回らない。砲塔上の重機関銃だけは自由に動ける。しかし太い幹を貫通するだけの威力はとてもない。

 重機関銃の弾丸も特殊硬化プラスティックではなく、れっきとした実弾である。

 何発かはアンナの人工皮膚にめり込み砕け散った。無論皮膚の下の特殊合金製ボディーはびくともしない。生身の人間なら半身が吹き飛んでいたろう。

 アンナは木々に身を隠し、タンクの後方に回りこもうと近付く。そうはさせじと身を捩り、砲身で木を根元から押し倒し、ロケット弾を発射するロボ・タンク。

 漸くタンクから数十メートルの距離に近付いた。左手遥か前方から音が近付く。

「戦友」を救おうとやって来るロボ・セントリーにちがいない。アンナは身を低くして走りながら、ロケット砲と機関砲を交互に発射して、セントリーを牽制する。

 一方折れた巨木に進路をふさがれたタンクは、ひとまず後進しはじめていた。

 アンナはその機を逃さずタンクの弱点である後部に取りつこうとする。砲塔上の重機関銃が盛んに火を吹く。迷彩服をボロボロにしながらもアンナはタンクに肉薄して行く。

 突如その足を左手からの銃撃が襲った。

 健気にもロボ・セントリーが木々の彼方から攻撃している。一瞬よろめいたアンナだが、なんとか体勢を崩さず、まさにタンクの後部に飛び付こうとしていた。

 その時、タンクはゆっくりと後進しつつ後部を左へと回すことに成功したのである。すでにアンナの十メートルばかり正面には、対戦車砲にすらびくともしないヤシマ三十九式戦車の重装甲右車側が立ちはだかっていた。

 さらに砲塔も太い枝を押し砕いて、目標に照準をあわせようとしている。

「近接は失敗した。約五秒後には正面から砲弾の直撃を受ける!」

「五秒で十分! なんとかしろっ! 擲線を避けて!」

 アンナは足元に転がる踏み折られた枯れ木の幹を見つめた。太さ約一メートル、長さは葉のない枝の先も含めて八メートル弱程度だ。

 無表情のまま、その木の幹を抱えあげた。そして、まさに砲弾を発射しようと照準をつけていたタンクへむかって突進した。

 予想外の行動にまどったのか、あわてて発射された無炸薬ロケット弾はアンナの右肩を僅かにそれて飛んで行く。

 次の瞬間、アンナは一抱えある木の幹をタンクの後部動輪とキャタピラの間に差し込んでいた。さらにすぐさまタンクの後方に回りこんだ。

 木の幹を巻き込こまれ右側のキャタピラがどうにも動かなくなってしまったロボ・タンクは、ただ後向きにその場でぐるぐると旋回するばかりである。

 アンナもそれにあわせて時計回りに走りつつ、電動ガトリングの銃口をロボ・タンク後部の燃料タンク・バルブに突き付ける。秒あたり数十発の弾丸を受け、バルブはたちまち火花を散らして砕ける。鋼鉄の女戦士は円弧を描いて走りつつ、タンクから離れはじめた。

 二十メートルばかり距離をおいて、左手の無反動対戦車砲のトリガーを引く。

 ロボ・タンクの後部燃料槽に満ちあふれていたハイオクタン価ガソリンはたちまち引火し、眩く輝く火の柱をを吹き上げだす。無表情のアンナはロケット弾発射と同時に走行方向を転じ、ロボ・タンクから全速力で遠ざかりつつある。

 完全自動戦車がようやく無駄な旋回を停止し、自慢のロケット砲の照準を逃げる敵の後頭部に合わせたとたん、火を吹いていた燃料槽が爆発した。

 暗い森の中が瞬時に朱に染まり、明るいオレンジ色の火の玉がゆっくりと曇りがちな空へと昇っていく。

 その有様はやや離れた観測タワーからも肉眼ではっきりと見え、居合わせた新日本機工幹部はあるいはどよめき、あるいは息をのんでいた。

 火に包まれたロボ・タンクは、最後の電力を振り絞ってアンナの後ろ姿に一撃を食らわせようとする。しかしロケット弾の推進燃料が次々と発火誘爆し、ついに砲塔がふきとんでしまう。

 あとは残敵掃討だが、手負いの獣が一番やっかいだ、と真奈は喜びを堪えつつ指示する。

 四本ある足の一本に損傷を受けたロボ・セントリーは、巧みな走行能力を生かして岩がちな荒地へと逃れようとしていた。後向きに機関砲を正確に撃ってくる。

 弾丸も一点に集中すればかなりのダメージだ。

 アンナは迷彩服をぼろぼろにしながら、平然とセントリーとの距離をちぢめる。 セントリーは小高い岩山になんとかたどりつき、登ろうとしていた。岩場の上から攻撃しようとして。

 討手は残った対戦車ロケット弾を、ロボ・セントリーの真上の岩肌へ集中させた。崩れ落ちる岩石に巻き込まれ、岩にたたきつけられたセントリーは三本の足でもがく。

速度を落としながらやって来たアンナ。セントリーはなおもファランクスで攻撃しようとする。女戦士のバルカン砲が火を吹き、セントリー頭部の銃座機関部を破壊してしまった。

 すでに機械番兵の攻撃能力は完全に失われている。

「とどめだっ!」と教官は遠方から喚く。しかしアンナは土砂の中で弱々しく藻掻くロボ・セントリーを、無表情で眺めるだけである。

「アンナ、どうした? 弾はまだあるだろう? とどめを刺しな」

「すでに無力化した。戦闘は完全に終了した。破壊の必要はない」

「ア………アンナ?」

 勝者は踵を返してゆっくりと歩き出した。

「三十七分後にG地点へ帰還予定。帰還地点の変更あれば指示せよ」

 タワーの最上部で、真奈はやや唖然としながらモニターを見つめていた。超望遠カメラには、荒野を横切る長身の影が写っている。

「あのロボット……自分で、判断した!?」

「アンナは機械人形じゃない。言ったろう。女神だって。女神は猛く、慈悲深い」

 振り向くと無気味な南部の青白い顔がある。真奈は双眼鏡で、ゆっくりと歩いて来る弟子の姿を見つめた。そんなはずはないのに、勝者のゆとりが感じられる。妙におかしかった。

「ロボットだよアンナは、自分で考えて判断するなんて。でも、心が……………」


 この「戦闘訓練」の様子は、当然会社によって多角的に記録されていた。すぐさま開発班が詳細に分析することになる。一切は秘密裏に行われたはずだった。

 しかこの時間、まさに演習地の直上に、気象衛星がいたことを、気づいたものはいない。それは気象衛星に偽装した、日本国統合自衛部隊の偵察衛星「おおとり四号」だった。

 衛星はアンナの戦いぶりを詳細にとらえ分析していた。そしてその画像は、東京は市ヶ谷にある統合軍令本部の地下、情報統監部に送られていたのである。

 新古典帝冠たいかん様式の豪壮な建物の下、地下四階の解析室。巨大なモニター画面を見つめていた中年男は、いまどき視力矯正もせず、度の強そうな眼鏡をかけている。

 大きな鼻を膨らませ、陰険そうな細い目をさらに細めた。

「えらいべっぴんやけど、なかなかあなどれんな」

男は、青みがかったグレーの詰襟軍服を着ていた。軍令本部勤務要員色である。

「新日本機工か。こりゃ大穴やったな。さて、どないして料理したろ」

田巻先任二等佐官は、濃いコーヒーをゆっくりとすすった。


 苛酷で有名な「新製品」テストを見事クリアしたことで、アンナの存在は社内ははおろか、全国ロボット産業界を震撼させた。海外の諸企業、特にライバル社も情報収集に奔走していると言う。社長の面目も立ち、役員会でも主要株主との予備会議でもアンナ計画は大喝采のうちに正式承認を得た。しかし真奈はテストでの「ルール違反」に不吉なものを感じていた。

 ロボ・タンクはあきらかにアンナを破壊しようとして実戦モードで迫って来た。しかも訓練用の硬化プラスティック弾のはずが、いつの間にか強力な高速完全被甲弾にすりかえていたのである。単なる手違いとは思えない。

 社長もそのことを問題にしようとしたが、例によって温厚な調整役の専務が止めた。

「菅野くんがそんな真似をするはずないことはご、存じでしょう? 

 いろいろ手違いもあったろうし、優遇されているプロジェクトには中傷と掣肘がつきものなんですよ。

 社長もよくお判りのはずです。アンナの優秀さがかえって証明されたようなものです。この件については、私が頃合を見計らって密かに波風たてないよう調査いたします」

 一方、南部孝四郎博士はテスト以後ほとんど人前に姿を現さなかった。スタッフの手伝いを一切拒否し、たった一人で夜更けまでアンナを修理していたのだ。 人工皮膚があちこち破れ、システムにも異常が見られる。外部冷却装置のダメージは大きかった。

 昼間は「リハビリテーション」を兼た真奈の訓練が続き、夕方以降はその性能データとアンナ本体を南部が受け取る。それ以降、朝まで研究所内の最重要エリアから出てこない、と言う日が一週間ばかり続くことになる。

 南部以上にショックを受けていたのは、社内でも優秀なスタッフが集まり、「エリートへの王道」と呼ばれていたライデン開発チームだった。高価な訓練用ロボをメチャメチャにされたことよりも、ひょっとしたらライデンですらあそこまでは戦えないのでは? と言う不吉な想像がスタッフを憂欝にした。

 しかし菅野総合企画室開発部長だけは、とくに腐った様子もなく、むしろすがすがしい態度で自分の部下を激励していた。

「相手にとって不足なし。アンナを破ってこそライデンの実力が認められる」

 そんな彼を、見上げた上司だ、と感心する者ばかりではなかった。


 よく朝、めずらしく霧が出ていた。ヘッドライトをつけたままゲートをくぐった菅野は、いつもの位置に車を止めた。

 降りてドアをしめ「ロック」と言うと、自動的に鍵がかかった。

 振り向くと、霧の漂う中すぐ近くに小柄な影が立っている。

 いつのまにか気配すらなく近付いた影に、端正な顔立ちの菅野は身構えた。影は数歩前へ踏み出し、霧の中から姿を現した。

 肩をいからせているのではない。体格に比して大きめの胸を支える為か、肩巾が広い。二等辺逆三角形のような、均整のとれた野性的な姿態だった。

「い、いお……せ君?」

「壊れたロボ・セントリーとタンクの購入費用を、拒否されたそうですね」

「もうライデンはそのレベルじゃない。今は実戦にむけての微調整の最中だ」

「その金で、アンナに装甲服を買え、と意見具申されたそうですね」

「アホウの南部が不必要に人工皮膚なんかくっつけたもんだから、あのザマだ。

 ロボットには鋼鉄の肉体が一番さ。おたくら統合自衛部隊ジャストが開発しているアーマーでもとりつけて、防御ぐらいはライデンと互角にしたまえ。

 そしてライデンと、君がみっちりしこんだアンナを正々堂々と戦わせる。なにか不満か」

「……いえ」

「君はどうやら南部とは全く別の人種らしいから、正直言ってほっとしたよ。しかしまだ、ミナベの奇怪なプロジェクトを認めたわけでは決してないからな。

 絵画がいくら写真なみにリアルになっても、かえってその存在理由を失う。ロボットが人間に近付く必要性は、極めて特殊なケースをのぞけばない。戦闘用ロボは特にだ。

 君はもともと戦力のロボット化電脳支配がいやで、統合自衛部隊ジャストを飛び出したと聞いたが、あのアンナはどうだ。どう思っているんだ君は」

「進歩してる。確かに動作を覚えると言う単純なことこそ人間よりもやや時間がかかります。

 でも一度覚えたことは絶対に忘れない」

「ニューラルチップの特徴さ。学習して得たことは、そのままメモリーチップに長期保存してしまう。

 それに帰納的推論と応用から、自分で学んでいくことも出来る。

 しかし、そんなことが本当にロボットに必要なのか考えてみたことがあるのかな、君は」

「アンナは忠実で寡黙、そして認めたくはありませんが優秀です。いつか自分が、いや人間が教えることはなくなるよ。そう遠くない」

「その時、人間を必要としなくなったときにロボットはどうすると思う?」

「判りません。知りたくもないや。今は自分の任務を遂行するだけです。

 ともかく、アンナを支援していただいたことに感謝しています」

「君自身、なにか欲しいもの不足しているものがあったら、なんでも遠慮なく言ってくれ」

 少し驚いた真奈は、微かに笑みを見せた。

「過分の配慮と給金をいただいてます。自分には特に、必要なものなどありません。まぁ……その、もっと女らしくなる秘訣とかあれば」

「なに?」

「いえ、ともかく重ね重ねありがとうございます」

 真奈は鋭く頭を下げると、元兵士らしい態度で回れ右し、そのまま霧の中へと消えて行く。

 菅野は密かに微笑みつつ、見送るのだった。

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