第3話
三日後の朝、真奈は社長から諏訪湖畔への移送を通知された。
翌午前二時、大型タンクローリーに偽装した運搬専用車両で出発する、と言うのだ。室田は高速道から諏訪盆地へ抜けるルートを説明し、運搬計画要綱の書類を手渡した。
そして、真奈に手のひら大のコントローラーを預けたのである。
「スイッチを入れて、中央のボタンを押すようになっている。君の指紋が登録してあるので、君しか使えない。気を付けて扱ってくれたまえ。
煩わしい南部は我々がヘリで連れていく。君はアンナにつきそって欲しい」
「このコントローラーは一体?」
「前に君も爆破テロを見たろう。完璧な自動警戒システムがいともかんたんに破られたのを。認めたくはないが、どうやら情報がどこからか漏れている。
もっと言うと内通者がいるようなんだ。だから総ては極秘裡に、必要最小限の人間で行なわなくてはならない。わが社の運命がかかっているからな。
アンナの移送は全社的にも極秘だ。明日朝の会議で発表する。その時にはすでに聖なる湖を君たちは眺めているはずだ。
それで……そのコントローラーだが、知っているのは私と菅野くん、そして君の三人だけだ。輸送トラックの運転手も警備員も知らん。
高温超電導ジョセフソン素子や人口神経繊維をはじめ、アンナは超極秘技術の固まりでね。ライバル社やまして外国企業の手に渡すわけにはいかんのだよ」
「そんな、せっかく開発した彼女を」
「彼女? いや、全データと技術はある。再生産は可能だ」
爆破スイッチを握ったまま、やや怒ったような目付きで社長を見つめていた真奈は、話を最後まで聞かずに敬礼して踵をかえし、無言で出て行ってしまった。
室田は鼻から大きく息を吹き出して椅子に深々と座り直した。
こうして夜明け前、アンナを乗せた偽装運搬車は無事諏訪湖畔の社有テスト場へと到着し、社長等のお歴々と研究開発チームのメンバーにむかえられたのである。
諏訪湖をはるかにながめる、広大な森の一角が新日本機工所有の演習林である。
元々は、高度経済成長期に主力工場を建てようと買収した土地だったと言う。しかしその後この会社は精密機器からコンビューターに重点を移し、それほど大きな工場は必要ではなくなった。その遊休地が、ここ十年は作業用、戦闘用ロボットのテスト・レンジとして使用されているのだ。
社有地の外れに小さな池があった。その池に面して建てられた幹部社員専用の保養所が、当面は真奈とアンナ、そしてプロジェクトメンバーの家となる。世間がようやく明るくなりはじめた頃、朝霧漂う森の中を慎重にすすむ二人の女性の姿があった。
一人は長身のセミロングヘア。ショートパンツにシャツ、と言う軽快な出で立ちだ。一方の小柄で筋肉質なショートカットの女性は、武骨な迷彩服の袖をまくりあげ、頑丈そうな編上靴で朝霧に濡れた地面をしっかりと踏みしめて歩く。
「戦場を歩く時は全身の神経を緊張させること。一瞬の判断の遅れが死に通じる」
朝の森の中は野鳥の声でうるさいほどだ。真奈は少し嬉しそうに言う。
「よく鳴き声を聞いておきなよ。鳥や獣たちは敵の存在に敏感だ。殺気を帯びた敵の居所を教えてくれる。人と違って、裏切らない。
ゲリラ戦術の第一歩は、森と同化することよ。森から浮いてしまえば鳥や獣に警戒されてしまう。同化しさえすれば森は自分を守り、敵の目を晦ませてくれる頼りがいある味方になる。森や山の闇を恐れてはだめだ。森を味方につけるんだよ。
でも貴様には、恐怖なんて無縁かな」
「恐怖は記録されない。しかし状況に対する警戒はプログラムされている」
「よろしい。いい戦士になる為には恐れることが必要だよ。敵と危機と死を徹底的に恐れ、なおかつその恐怖を乗り越える為に努力する。
そして最もすぐれた戦士は、敵への憎しみを完全に捨て去ってしまった者さ」
「記憶した。が、私にはもともと感情がない」
「少し走ろう。貴様の走行状態はビデオで見る限り戦闘むきじゃない。
平坦なテストコースなんかいくら早く走れてもだめだ。砲弾篠つく中、岩の転がる荒地を駆け抜けなくちゃならないよ!」
真奈は身を低くして、木の幹に身を隠しながら走りだした。
午後、真奈とアンナは、宿舎地下にある広大な実験施設に呼ばれた。待ち受けていた南部は、宇宙飛行士の生命維持装置のような、背中に背負う四角い機器を前に得意そうだ。
青白い顔で笑うといっそう不気味である。
「やあアンナ。君のための新しい冷却装置だよ。
今までのものよりずっと持ちがいいし、苛酷な環境にも強い。
君にピッタリだよ」
さすがに社長も気味悪そうである。となりに立っていた長身で鼻の高い痩せぎすの技術者が説明した。目が不必要に大きい。どこか悪魔的な風貌だった。
真奈はむかし「宣伝戦略教本」で見た、ナチス宣伝相ゲッベルスを思い出した。
「戦闘時にはこの冷却装置を背負ってもらいます。背負って尾骶びてい骨部にある端子に、こちらの端子を接続するだけで結構。
大型燃料電池内蔵ですから、いざと言う時は予備電源としても使えます」
「社長。なぜ冷却装置が必要なのですか?」
「五百瀬君に、技術的なことはほとんど説明していないんだったな、すまんすまん。こちらコンピューター部の開発責任者、山陰電子中央研究所長の栗山副社長」
長身白衣の先端工学、理学博士栗山裕之は大きすぎる目で見つめつつ、挨拶した。真奈は無言で頭を下げた。
栗山はアンナに歩み寄り、両手で気軽に胸のあたりをまさぐった。
「本当は頭部に入っている超小型超並列コンピューターだけで十分なんだが、天才博士のたっての御要望でアンナのセラミック胸廓内部にはさらに高性能の『脳』を取り付けたんです。
いや、心と言った方がいいかな。概念的思考と学習の中枢ですから」
栗山はアンナの薄手のシャツをなんのためらいもなくまくり上げ、適度な大きさを持ち形のよいバストを、両手で掴んだ。我を忘れた南部が飛び出そうとした時、すでにその肩を室田秀和がしっかりと掴んでいた。
栗山は乳房を持ち上げる。微かに裂け目がある。そこに指をつっこみ、人工皮膚の下にあるボタンを押すと、胸の谷間から二つの乳房が左右に開いたのである。
真奈も少し顔をくもらせる。開かれた胸の下には、金属のパネルと複雑な配線が見える。
「高温超電導物質C60特殊化合結晶ニューラルチップを使った、フルクタル・ソリトン論理回路です。我が社の芸術品ですよ」
「………アンナの心?」
と、真奈が口をひらいた。
「ええ。そう言ってもさしつかえない。発熱量も電力消費量も神経細胞なみ。それでいて計算速度は人間の比じゃない。
一チップ十億ニューロン。そのチップ百個で認識、推論を行います。
そして五千万素子一千万パターン記憶のSDM分散記憶メモリー二十個が二十億パターンを記憶します。
頭部のサブ・ブレインだけでも十ペタフロップス原子リレー素子論理回路チップによる、二百五十個並列ノイマン型ベクトルプロセッサーをとりつけています。
メモリーは超容量量子メモリー。まさに新時代のハイパーコンピューターですな。さらに人間の脳幹にあたる部分には、人工神経繊維がびっしりとつまっている。それらの構造は、実は設計したわたしでも理解出来ない部分があるんです。
なんせ人工神経の設計も製造も、ハイパーブレイン自身が行ってますからね」
と言われても、無論真奈には「お経」だった。
「つまり、その。ロボットが、ロボットの脳を設計したんですかい」
「そう言うことになる。人工脳はすでに概念思考を模索するまでになってます。簡単な工業製品なんか、とっくにスーパーAIが設計してますよ。
UA社なんかが参加しているアルティフェックス計画なんかがその典型だ。島まるごと、完全自動工場化しつつある。
そのうちロボット自身が考え、自分たちを改良し、進化していくでしょう」
人間の手を離れ、ロボット自身が進化するとしたら、人類はどうなるのか。
真奈がそんなことを考えていると、鼻の高い「ゲッベルス博士」は言った。
「さて、冷却装置についてのご質問でしたがちょっと胸の中に手を入れてごらんなさい。
かなりつめたいでしょう。アンナの胸の中は、常時マイナス十度前後に保たれています。C60結晶を使用したジョセフソン素子は確かに高温で超伝導を起こす。
とは言え絶対零度より遥かに高温と言うだけで、零下十五度程度が一番いいんです。零度を越えると、超伝導現象が起こらなくなってしまうんですよ」
「よく判りませんが、つまりたえず頭……胸を冷やしておかないといけないと?」
「そうです。頭部のスーパーコンピューターは従来のものより改善されているとは言え、宿命的に熱を発生させます。これは避けようがない。
無論アンナの体のあちこちに熱源があるわけですからね。たえず胸部内を冷やし続けておかなくてはなりません。
通常の動作ぐらいなら内蔵の冷却装置でいいんですが、戦闘行為とか大量の電力を使うとなると、とてもおっつかない。
そこで、液体窒素を循環させる外部冷却装置を開発してもらったのです」
栗山はアンナの胸の中をひとしきり観察すると、二つの乳房を閉め、周囲を指で丹念に押さえ付けた。
人工皮膚はもののみごとにくっつき、すでに胸には筋一つない。その上栗山は、小型のスプレーをかけて「仕上げ」を行った。見事な仕上げだった。
「アンナには、感情があるんでしょうか」
真奈の唐突で意外な質問に、社長もそして南部も少し驚いた。栗山は微笑む。
「…………いや、今はまだですね。今はね」
不思議な回答に、真奈は少し心がときめいた。続いて社長が答えた。
「感情らしきものが芽生える可能性もある、と言うことだ。
新型ニューラル・コンピューターにはまだまだ未知のところが多くてね。今後の学習しだいで、いかに発展して行くかは、作った栗山さんにも予測できんよ」
「感情も理性も、慈悲の心も持っている。人間の心の中なんてお見通しさ」
こもった小声で南部がつぶやくと、その場にいた人々は暫らく言葉を失ってしまった。「社長。技術部の方から伺ったのですが、近々アンナにテストを受けさせるのでしょうか」
「耳が早いな、五百瀬いおせ君も。さすがはもと『軍曹殿』だな。
我が社も一応大企業でね。小さなプロジェクト一つでも、ゴーサインには役員会での根回しが必要なんだ。株主への言い訳も事前に用意しておかないといけない。
製品、いや作品は必ずある段階でテストを受けさせる。そこで性能が保証されてはじめて本格的な開発予算がつく。いわば昇進試験だな」
「まだ教練をはじめて日もあさく、性急とは思いますが、御命令には従います。
出来るだけ早い段階でテストの内容とスケジュールをお教え願いたいのですが」
室田は南部の顔を少しのぞいてみた。
南部は周囲の「人間ども」の会話などうわの空で、一種うっとりとした表情でアンナの冷たいまでに端正な顔を見つめていた。
諏訪湖に近い、暗い森の中を地響きが近付いてくる。
鳥が騒ぎ一斉に青空へと退避を開始した。金属的な地響きはしだいに高まり、ついに太い木の幹をへしおって開けた広場へと轟きわたった。
出現した深緑色の低い車体は、倒した幹をキャタピラでふみにじりつつ、あたりを伺うように砲塔を一回転させた。
すると反対側の木立から、高さ二メートルばかりの奇妙なロボットが出現した。
四本の足の先にローラーがついており、それですばしこく動き回る。人間らしい形はしていない。前世紀の月着陸船を引き伸ばしたような姿をしている。
それをみとめた戦車は、主砲の照準を奇妙な「敵」に定めた。木立の間をたくみに逃げ回り牽制するロボットにむかい、長い砲の先から火を吹き出したのである。
轟音と共に飛来した弾丸は、大木を数本砕き倒してから地面にめりこんだ。ロボットはかろうじてそれをよけて走り回る。
直ぐさま第二弾が発射された。その弾丸は真正面からロボットに命中するはずだった。しかしロボットの小型電動ガトリング砲がほんの一秒火を吹くと、機嫌よく飛翔していた弾丸は、瞬時に分解して森のあちこちに突きささった。
「よし、もういいだろう」
やや離れたところでその有様を観察していた社長が命ずると、菅野部長は手のひらサイズのコントローラーを操作した。
攻撃ロボとロボットタンクはすぐさま戦闘を中止し、ならんで道を走りだした。
偽装トーチカから出てきた真奈と室田社長の前に、「芸」の披露を終えた二体のロボットは行儀よく並んで止まった。
遅れて出てきた菅野は、非人間型のロボットにゆっくりと近づきながら満足そうに言う。
「美しいお二人に、ロボ・ナースと並ぶ我が社の主力製品の一つを御紹介しよう。
こちらのおかしな格好の二本足は、我が技術開発部の傑作、FAB03B三十八式自動警備装置改。統合自衛部隊や政府機関で活躍している、ロボ・セントリーの訓練用カスタムだ」
特殊部隊や空挺団にかわって、そのタイプのロボ部隊が増強されている。真奈も以前、搭載武器を修理したことがあると言った。
一応便宜上「ロボ」とは称しているが、対人攻撃兵器は「全自動機械」と称されている。ロボットへの搭載が義務づけられる「良心回路」がないのである。
「これは? 高速中戦車ヤシマBT39。三十九式シャクシャインに似ていますが」
「さすがだな。ベースは三十九式、武装も同じだが、人間は一切のっていない。
大日本工学開発が、今年はじめに国防省と契約をかわしたばかりの新製品だ。我々は電子頭脳部を担当してね。今のところロボ・タンクと呼んでいる。無論ロボットではない、全自動兵器だが」
「なるほど。スーパーオートマチックで子供にでも出来る三十九式も、もはや人間を必要としなくなっているのですね」
「この二体を使ったテストは、菅野部長が考案してライデン開発に利用している。
少し早いとは思うのだがその、役員会は株主総会を控えて慎重になっていてね」
「アンナの学習速度は自分の想像以上です。
三週間もあれば、一通りのゲリラ戦技術はたたき込めると思います」
「いやその、株主総会前の期末役員会で、提出資料を纏めなくてはいかんし、こんなところでテストするわけにもいかなくってね」
本格的模擬戦となれば、真奈の言うように富士の演習地を借りなくてはならない。諏訪盆地で演習弾丸を多量に使うと、周辺から抗議が来る。その関係で、ジャストの訓練のない日に限られる。
「アンナの戦闘テストは、来週の今日だ」
と、菅野が平然と言った。一週間もない。
「いや、これは強制と言うわけでは決してない。無論アンナ開発は唯一の代表取締役であり、筆頭株主の長男であるこの私が決定したことだ。
もともと予定になかった、中途半端な段階でのテストですまんと思っておる。
全責任を任せているトレーナーである五百瀬くんに決定権がある。まだ早すぎるなら」
「ライデンのプロトタイプは完成直前にこの苛酷なテストを行い、データをとった。セントリーとロボタン双方にかなりのダメージを与え、その優秀さが証明されたよ。実戦なみとは言え、実弾は使用しない。
正確にはロボ・タンクの主砲には無炸薬模擬砲弾を、ロボ・セントリーのガトリング砲には硬化プラスチック銃弾を使用する。
どちらも戦闘用ヒューマノイドには痛くもかゆくもない。ただ観測コンピューターが緻密に記録し、判定を下す」
菅野は無表情ながら、勝ち誇ったような目付きで真奈を見つめた。その視線など気にもとめず、真奈は二台の戦闘ロボを見比べている。
「社長。それでアンナの武器ですが、計画概説書にあった無反動速射砲と小型バルカンなどは総て用意してありますかい」
「あ? ああ。すでにアンナ用の調整と試射実験に入っているはずだ」
「ロボ・セントリーもロボタンも、高速完全被甲小銃弾などものともしないはず。
アンナは通常の弾丸を使用してテストにのぞみます。いいっすね」
ロケット速射砲は、炸薬をかなりへらした特別製を準備するよう頼んだ。砲煙や土煙も重要な要素となる。無炸薬の金属塊では不利だ。
「わ、私は特に異存はないが」
と菅野の方をみる。しかたない、それぐらい。企画開発部長はそんな顔をした。
「テストの詳細は宿舎の方に届けて。さっそくアンナを鍛えなくてはなりません」
警戒ロボット「ロボ・セントリー」は、別名「最後の兵士」とも呼ばれている。
万が一核戦争でもおこって人類が絶滅したあとも、このセントリーが重要施設を守り続けているだろう。
野戦や戦場での攻撃にはそれほどむいていないし、装甲も弱い。しかし陣地防御や市街地での接近戦には俊敏な機動力を生かして威力を発揮する。
一方のロボ・タンクは優秀な戦車兵のかわりにコンピューターが運転している。真奈が嫌悪し憎んでいた、将来の完全ロボット化軍団の姿がすでにそこにあった。
そして真奈自身、血の通った兵士の駆逐する事業に手を貸している。
アンナがじっと佇み続けている演習林へ戻って来ると、ぶっきらぼうに言った。
「明日から火器実射訓練に入る。今夜のうちに操作方法を技術部から聞いておいて!」
アンナはまだ「生まれて」半月もたっていないし、訓練らしい訓練も受けていない。真奈は基礎訓練もそこそこに、彼女が独自に編み出した「コツ」を大柄な弟子にたたきこまなくてはならなかった。
アンナは歩きながら、教官の脈拍が正常に戻りつつあることを感じとっていた。
「冷却装置の具合はどうだい? 明日以降、演習場の詳細地図の入ったデータを取り寄せる。
しっかりとブリキの頭にたたきこみな」
「情報なら言語変換して、直接頭部コンピューターにインプット出来る」
「結構。ついつい貴様がロボットだってこと忘れてしまうな。
ゲリラ戦が有利なのは、熟知している複雑な地形で神出鬼没に戦えることさ。勝手の知らない余所では難しい。
敵をこちらの土俵の中でいらだたせる。中国八路パーロ軍しかり、ユーゴのパルチザンもベトナム解放軍もアフガンゲリラも。
相手も地形は覚えこんでいると思う。でも、その地形を応用して臨機応変に戦うなんて真似は、出来ないはずだよ。 訓練された戦士でも、なかなか咄嗟の機転がきかない。特に極限下の戦場ではね」
深い森の中をゆっくりと歩きながら、真奈はアンナの整いすぎた横顔を見つめた。まさに南部の言う「女神」に相応しい造形だった。
南部自身のデザインだろうか。
「この自分が、機械嫌いがロボットに戦いの真髄を教えるとはね」
戦うしか能のない自分など、やがて淘汰されてお払い箱になるかもしれない。それも歴史の意志なのだろうか。そんなことを考えていると、アンナは前を見つめたまま言った。
「さきほど西北西千六百メートル地点で、戦闘装甲車両どうしの模擬戦闘らしき音をキャッチした。私が性能テストで戦う相手か」
「そうだ。いくらプログラム通りしか動けない機械とは言え、かたや一体で重装歩兵一個小隊を相手に出来るロボット番兵、かたや世界最高水準の高速突撃戦車。
貴様が世界最高の殺人マシンだとしても、無謀だわ」
「私には良心回路が搭載されている。人に直接危害は加えられない。
また殺人は戦闘の結果としては起こり得ても、目的ではない。
戦闘の最大の目的は、最小限度の被害と出費によって敵を無力化することだ」
「……貴様に戦闘教本の第一ページ学ぼうとは思っちゃいないよ。木偶」
相手も機械、アンナも機械。機械同志のケンカに人間様が出ていくとはおかしな話だった。
しかし特別職国家公務員時代には考えられなかった給金の手前、そして自分を「買ってくれた」社長の為にも、出来るだけのことは教えなくてはならない。
「戦闘は、兵力と戦略と士気の相乗効果が左右する。戦術レベルの優劣は戦略レベルでの決定的な情勢にそれほど影響を及ぼさない」
「お、驚いたね。日清戦争以来のわが国の伝統である教科書バカが機械にも伝染しているなんて。戦略も戦術も、戦闘技術もないよ。
一対一、一対二のケンカだよこれは。
いい、相手はありとあらゆるマニュアルを完璧に覚え込んでんだ。そんな相手と戦う方法はただ一つ。出来るだけ人間臭く戦うしかない」
「私は人間的な体臭を発散させない」
「そう、それはよかったな、相棒。人間臭く戦うってことは、マニュアルも鉄則も教科書も、戦略も戦術も忘れてなりふり構わず戦うってことだ。
策略や兵法も必要だよ、確かに。でも最も基本なのは、ともかく利用出来るものは徹底的に利用して、卑怯でもずるくてもいいからともかく勝つことさ。
確かにみんながそんなやり方してたんじゃ、戦争は凄惨な殺戮になってしまう。でもゲリラ戦なんてのは所詮卑怯なやり方よ。暗やみに乗じて後から首を切るんだ。美意識も名誉も栄光もない。少数で貧弱な武器しかない部隊が勝つには、ゲリラ戦しかない。
そのゲリラが、隊伍堂々たる敵主力を敗走させることも出来るんだ。
善悪の判断は勝者が行なう。歴史は勝者のみが作るわ。どんなに汚い手を使っても、勝たなくちゃお話にならないのよ。正義も信念も、負ければおしまいさ」
語りながら真奈は過去を思い出し、しだいに歩く速度が落ちて来た。
優しいが武骨きわまりない祖父に育てられた山育ちの真奈は、幼年術科学校の寮ではまさに孤立無援で身を守らねばならなかった。
腕力こそ正義、と言う特殊な社会である。天性のカンに加え猟で鍛えられた野性の闘争心に助けられ、いつしか真奈に手を出す相手はいなくなっていた。
「マナ。速度が低下し、時速二・七キロになった。なにか戦術的な意味が?」
「戦士にとって大敵の、馬鹿げた感傷がまたわいて来ただけさ。
自分なんかより、貴様の方がよっぽど立派な戦士かもね」
「理解不能」
次の瞬間、アンナはさらに理解しがたいものを目撃した。真奈はうつむきかげんで、ほんの僅かではあるが確かに微笑んだのである。
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