第2話

 真奈は、術科幼年学校以来の迷彩戦闘服を身にまとっている。

 その上に合成皮革製のベルトをまき、大型ナイフや通信機、サバイハギルキットなどを装着していた。肝腎の銃や手榴弾がないのが、なんともものたりなかった。

 一方、長身のアンナは白いランニングシャツに半ズボン、特注の大型スニーカーと言ったごくごくラフな出で立ちだ。

 どうみても若い美女である。ただ大き過ぎるが。

 社長の室田が、ぼんやりと立っている南部の方を気にしながら言った。

「さて、あらためて紹介しよう。

 我が新日本機械工業が世界に誇る技術力、開発力の粋を結集した、まさに社運をかけた一大傑作、アンナだ。アンナ、ご挨拶を」

 特殊倉庫の淡い照明に照らされ、アンナは軽く頭を下げた。

「そしてこちらが、統合自衛部隊はじまって以来の密林戦の達人、五百瀬真奈先生だ」

 統合自衛部隊は十年以上前、「新宇垣軍縮」と呼ばれる大兵制改革で生まれた。

Japanese Unified Self-defense Troops=「JUST」と呼ばれている。

 そのジャストを退官した真奈は、まったく無言でアンナを見つめた。

「……その、今日から二ヵ月の間、アンナは五百瀬トレーナーの指揮下に入る。技術的なこと以外、一切の行動はトレーナーの指示に従う。そう言う契約だ。

 外部の意見、口出しは無用だ。いいね。菅野部長も南部開発主任も」

 南部も菅野も黙ったままで、首を振ることすらしなかった。

こうしてその日の午後から、本格的な教練が開始された。

「よろしくな、アンナ。命令には従ってもらうけど、自分を憎むのは自由だよ。

 総て自分の流儀でやるから、そのつもりでいなよ」

「了解した。しかし私に感情はない。あなたに敵意を抱く理由もない」

 アンナは無表情のまま答えた。可憐で澄んだ声だが抑揚に乏しく感情がこもっていない。

「こんなところで何も出来ないけど、軽く走ってみようか。

 貴様は大事な箱入り娘だから、外には出してもらえないからね」

「いずれ外部の訓練施設を使える。工場敷地内では射撃訓練が出来ない」

 真奈は走りだし、アンナが続く。

「現在時速六キロメートル」

走り方はいい。マラソン選手のようだ。

「自分も言葉は酷いもんだけど、貴様のぶっきらぼうさには負けるね」

「言語制御プログラムは各種そろえられている。女性的なものに変更が必要か」

「別に、自分はそれでいい。走りかたもなかなかだな」

「中速度歩行ははじめてだ。高速走行テスト時最高速度は時速六十キロメートル。

 通常形態で十二分、冷却装置を付ければ二時間は速度を維持出来る」

「冷却装置? 頭でも冷やすってのかい?」

「私のニューラル・コンピューターチップは高温に弱いジョセフソン素子によって」

「ああもういい。しゃべりすぎたわ自分としたことが。

 施設内に戻るよ高級機械さん。

 こんなところでは訓練になりゃしない。いつか富士の特殊演習林を借りたいな」

奇妙だった。今自分はあれほど憎んだ全自動「兵器」と、共にはしっている。身長は真奈より四十センチほど高い。常に見下ろされることになるが、特にいやな気持ちではなかった。


 その日の定例幹部会議終了後、専務と雑談していた社長に、ハンサムな研究開発プロジェクト総監督、菅野康志企画開発部長がかみついた。

 総てに秩序を貫くことを求める若き部長は、自分を律し鍛えることに喜びを見いだす堅物であると言われている。

 今まで生真面目にコツコツと主力プロジェクトをすすめて来たのだ。

 その彼にとって典型的マッド・サイエンティスト南部は不真面目のきわみ、存在すら許せない。

「何度もその件は話し合い、決着がついたのではなかったのかね」

「いえ、状況は変化します。南部が戻ってきてから破壊活動は今日で三件目、五人が怪我を負っています。未遂と失敗を含めると、この十ヵ月で二十件近くになる。

 一部では、南部が自分に関心を集めるための自作自演だ、との噂もあります」

「す、菅野君……」

 と温厚な専務があわてた。

「憶測ややつあたりで、おかしなウワサを流したりしないように」

「いずれにしても完全人間型戦闘ロボなど不合理、無駄の極み、資金の浪費以外の何物でもありません。

 なぜライデン・プロジェクトに精力を集中させられないのですか」

「予算は一円たりとも減らしてはいないと言ったろう。

 アンナの開発費は、電力関係株と遊休保養施設の売却と政府特別援助、それに次年度総研究開発費の前倒しによって……」

「そんなに金が工面できるなら、総てライデンにつっこんでいただきたい!」

「資金をかければいいロボが出来るなら、勝負ははじめから八洲電子制御のものだ」

「ばかな無駄金は使わないでいただきたいものですね。

 研究員の士気に関わります。

 室田社長、社運をかけた国内大会は、是非ライデン一本で勝負に出て下さい」

「君の誠意と能力は認めよう。しかしロボットの脳であるコンピューターは従来方式のノイマン型ではもう限界に来ているのだ。君も重々承知しているだろう」

「我々は人間に近いロボットを作っているんじゃない。

 いかに効果的に戦えるかです。戦うことだけが目的なら、そんなに高性能の脳はいりません。

 私もライバルの研究は徹底的にやっているつもりです。

 当面のライバルはやはり、八洲電子制御が開発している『スサノオⅢ型』でしょう。ロボ券の前評判も高い。

 でも電子頭脳は、超小型超並列マシンにすぎません。スサノオⅡ搭載のものと大差ない。何故だかご存じですか? とくに超高性能のコンピューターなど必要ないからですよ!

 元々兵器メーカーである八洲の製品は、動きはともかくその攻撃能力に定評がある。人間くさい優柔不断な戦いをしなくても、各種火器を効果的に使用すればいい。ロボットは兵士じゃない! 兵器なんです。殺戮破壊マシーンですよ。

 オオワダ自動精機のロボも同じでしょう。アメリカのコンピューターメーカーと共同で超高速コンピューターの小型化を研究しているそうです。超電導素子を使ったハイパー・ノイマン・タイプの傑作だと言う噂ですよ。

 オオワダは従来通り、速力と動き、そして重武装で攻撃力の弱点をカバーするつもりでしょう。

 各社それぞれの持味を生かして戦う、それでいいじゃありませんか」

 攻撃力のスサノオ、速力と防御力のオオワダ製ロボに打ち勝つには、臨機応変の判断しかない、と自信を持って社長は言い切る。たたき上げの技術屋出身だった。

「動物的なカンと言ったものが必要なのだ、とは思わないかね。機械は所詮機械だ。それを越えられなくては勝つみこみはない。マシンを越えるのがアンナだ」

「まさか社長まで、あのアンナが機械じゃないとでも? 南部病がうつりましたか。狂気の天才ミナベが蘇ったと言う話が、日本はおろか各国のロボットメーカーと専門家に予想外の衝撃を与えつつあること、そして賭屋を震撼させていることは認めましょう。

 しかしっ! ヤツは人間、しかも理想的な超人、いや女神を創ろうとしている。

 馬鹿げた誇大妄想、まさに狂気の沙汰だ。

 どんなに動作、立ち居振る舞いが人間に近かろうと、頭髪の一本一本、産毛の質感から毛穴まで精巧に造ってあろうとアンナは機械です。

 自動人形オートマトン、芸術品に近い精密機械にすぎない。十エクサフロップスの処理能力を持つ電脳に操られた。

 芸術は高価だが役には立たない。金持ちの金庫か美術館に飾っておけばいい」

 いつもは真摯で冷静なこの部長のあまりの剣幕に、社長も専務もあとから戻って来た不破秘書も、しばし呼吸を忘れていた。

 自らの興奮に気付いた菅野は少し大きめに呼吸して落ち着こうと努力しだした。

「あ、あの菅野くん」

 穏健派、調整役の専務が困った様子を隠そうともせずに言った。

「元々、予定が遅れがちだったライデン開発計画とアンナ開発計画の平行を進言したのは私なのだ。社長はアンナ一本に賭けてみたい、とおっしゃっていたが、常務以下の役員、それに大株主連中はライデンを推してね。

 例によって私が入って、二プロジェクト同時進行で手を打ってもらったんだ。そのことで菅野くんたち主力プロジェクトのメンバーが非常に気を悪くしていると聞いて、私はその、とても後悔している。

 そこでだ。社長、前にも少しお願いしたと思いますがいずれアンナの基礎訓練が終わった時点で、会社代表を絞りこんでいただけませんでしょうか。どちらかに」

「アンナとライデンを戦わせろ、と言うのかね。

 どちらが勝っても大変な損失だ。勝った方もただではすまないだろう」

「言い出した私がこう言ってはなんですが、元々二つの大プロジェクトを平行させるって言うこと自体無理だったのかも知れません。しかしあの場はああするしかなかったのですから、その、もうこうなっては………」

「なるほど、専務のおっしゃる通りですな。両雄ならび立たず、いずれどちらかをお払い箱にしなくてはならないのでしょう。ならば早いほうがいい。

 二兎追うものはなんとやら、はやくプロジェクトを一緒にしてしまった方が私もすっきりします。たとえライデンが負けても」

「し、しかし、今アンナとライデンを戦わせることはアンナに不利だ。

 かと言って互角の勝負となれば、ヘタをすると共倒れってとになる。大損害だよ。内国自動戦闘機械格闘大会どころの話じゃなくなるぞ」

「しこりをのこしたまま予算を取り合うのは、我が社の今後に暗い影をおとすでしょう。私の言い出したことですから、私の手で決着をつけなくてはならない。

 アンナの基礎軍事教練が終わった段階で、先月ライデンがクリアした戦闘性能テストをやらせてみてはいかがでしょうか。

 アンナの実力も判るし、もしもの時でもライデンは無傷です」

「ロボ・セントリーとロボット戦車でか?

 しかし君、あのテストは様々なテストで戦い抜いてきたライデンすら、かなりのダメージを受けている。実戦経験のないアンナには無茶だよ」

「いやそこです。戦闘訓練用ロボットなら戦闘能力を調整したり、条件をかえたりして、アンナのダメージを最小限でデータをとることが出来ます。いきなりライデンと戦わせたのでは、おっしゃる通り両者ともただではすみますまい。

模擬戦でもアンナは十分に戦えると証明されればしめたもの、お話にならないなら模擬戦を早々に中止すればいい」

「なるほど……しかし……しかしだよ」

 いつもながら専務の話には説得力があったが、社長はなにか腑に落ちないものを感じていた。保守的で慎重、特に「製品」の消耗を何よりもいやがる長田にしては、今回はやけに積極的だ。ロボット同士の格闘戦を期待しているかのようだ。

「よくわかった。専務の提案を考えてみよう。

 菅野くんもそれで納得してくれたまえ」

「ええ。いいでしょう。しかし一つお聞かせいただきたい」

「なんだね……」

「あのデカすぎるロボナース。いえ、別の楽しい使い方も出来るアンドロイドが、わが社の主力製品になることは……」

 社長は少し慌てたように、一つ咳払いをした。

「わが社は今や、一流企業だ。そのことを忘れないで欲しい」

 客の来る時間も近付き、社長は少し険しい表情のまま会議室から出ていくのだった。


 初日の訓練を早めに切り上げた真奈は、アンナを開発班に帰してからはずっと研究所の資料センターにいた。渡された分厚い性能データなど読む気にもれない。

 センターの大きな立体モニタースクリーンには、アンナに関する様々な実験記録が映し出されている。

 高さ三メートルの障害をらくに飛び越し、時速五十キロメートルで走る乗用車を受けとめて止めるアンナ。バズーカの砲撃を真正面から受け、数メートル吹き飛ばされながらもよろめき立ち上がり、火炎放射器に焼かれながらも歩き、太い木の幹をへし折るなどなど。

 映像を見ているうちに、悲しくなっていた。

「これじゃまるで……。あの木偶はこんな目に会うために生まれて来たのか?

 こんな目にあっても文句一つ言わない、涙一つ流さない人造戦士が量産されて行く。そして生身の兵士がどんどん淘汰、駆逐されていくんだ。

 戦場を埋め尽くすのは、死に疑問すらいだかぬ機械の群れ。ただ死ぬためだけに、殺すためだけに生まれた来た殺戮システムか。

 でも、それが戦争の本質なのかもね。生身の人間が死ぬよりは、はるかにマシかもね」

 真奈は、数年ぶりに目頭が熱くなるのを感じていた。

「しかし、妙だね」

独り豪華な宿舎に戻りつつ考えた。

「もともと、兵器として開発されたなら、なんであんなに人間臭いんだろう」

 容姿、声、しぐさ。体臭こそないが、「ぬくもり」まであった。

 そこまで完璧に人間にするには、非ヒューマノイド型のロボット兵器の開発費の、それこそ倍以上かかる。

 ロボット工学に疎い真奈でも、そのことぐらいは判る。元々「彼女」は別目的のために開発がすすめられ、それを兵器に転用したのではないか。ふと、そんなことを思った。

「大して働いていないけど、疲れたな。……あいつはまったく疲れないのか。

そこらへんは少しうらやましいかな」

 これからあの忠実で、感情のない「兵士」を、彼女一人で鍛えていかなくてはならない。

 アンナは自学自習能力をもつらしい。いつか真奈を必要としなくなるだろう。その時はまた失業してしまうのか。今はそんな先のことは考えたくない。

「ともかく今は、がんばるしかないな」


 同じ宿舎の一階の端には、通称「禁断の間」「開かずの魔窟」と呼ばれる広めの部屋がある。三つの部屋とバスルームからなるそれは、南部の部屋だった。

 意外にも整理され、きれいである。三種類の掃除ロボットが、つねに部屋を片付けてくれている。私物は驚くほど少ない。

 服すら二着しかない。たいていは白衣である。

 飾り棚には、世界の女神像の小さなレプリカなどが、並べられている。それ以外に装飾品のたぐいはない。あとは書籍だらけだった。

 ただ小さなベッドルームの天井付近に、神棚のようなものが作られていた。そこには台の上に、水晶の玉がうやうやしく鎮座している。

 手のひらにのるサイズ、街角の占い師などが使う、あの水晶玉だった。

 南部はベッドの前に跪き、天井付近の水晶玉を見つめつつ、祈った。

「わたしのアンナを、お守りください。母上さま……」


 夕方、約束の時間に社長室を訪ね、真奈はさっそく訓練地のことをきりだした。 富士の大演習場に隣接して、習志野の特務空挺強襲団などが使う密林戦訓練用の森がある。国防省に頼んで、そこを使わせて貰えるようにしたい、と。

「まあ座りたまえ。何も君等をこの本社敷地内に閉じこめようなどとは考えてはいない。こんなところで武器のテストやられちゃかなわんからな。

 いろいろと出来事が多すぎて、ゆっくりと説明する暇はなかったが、我々はアンナの特訓用に特別の施設を完成させた。

 警備システムの配置に少々手間取ったが」

「アンナのためだけの施設ですか?」

「正確に言うと、我が社の兵器開発部門のテスト用地だ。その周囲の国有林を、条件付で国から借りて整備したんだ。約三キロ四方のかなり大きな丘陵地だ。

 周囲は警備会社と我が社の自動警備システムがきっちりと守っている。それと気象衛星が軌道をかえてほぼその真上に静止している。

 搭載した偵察カメラが、想像もつかない高空から四六時中監視していてくれる」

「国の気象衛星に偵察カメラが? それが会社の用地を監視するのですか」

「そうだ。大体想像がつくと思うがロボット開発は、特に戦闘用ロボット開発は、単なる経済原理だけでは動かなくなっている。

 どうしても、政治がかかわってきてね、自由になんでもってわけにはいかないんだよ」

 ロボット技術は様々な要素の集大成である。電子工学から機械工学、量子工学、人間工学等。軍事技術としてだけではなくまさに一国の国力、技術力を示す指標なのだ。

 国有林をほとんど無償で借りられるのも、我が国ロボット技術の精華アンナなればこそ。他ロボットのテストの為には、とてもそこまでは出来まい。

 そう自慢する社長の顔を見ているうちに、国をあげての全自動戦闘マシーン開発の実態が、しだいに腹立たしくなって来た。

「戦いは聖なるものだ、などとは申しません。

 しかし、いかなる生命も様々な戦いからは逃れられない。生きること自体が一種の戦闘行為だから。戦うことは総ての生命が背負う業であり、戦うのが嫌なら死ぬしかない。

 祖父は、自分にそう諭してくれました。そしてんな悲惨な現実だからこそ、戦いにはルールと美意識、そして神聖さが必要なんです。

 ローマの剣闘士じゃあるまいし。たとえアンドロイドとは言え、ただ観客の血なまぐさい好奇心を満足させるために、下らない賭事の為に。

 社長は、この会社が生み出す最高の製品を消耗させて、本当に満足なのですか」

「………ローマの剣闘士にもたらされるものは、栄光と僅かな賞金だった。

 五百瀬君も、知っているだろう? 二年に一度のロボット格闘戦世界大会は、単なる競技大会や技術のデモだけじゃないってことを。

各国は参加費用として、前年度国家予算の一パーセントを国際共通通貨だてで、事前に支払わなくてはならないんだよ」

「国家予算の? そんなにたくさん」

「たいへんな額だよ。そうして集めた大金が優勝ロボへの賞金になるってわけだ。つまり優勝国は中進国の一年分の国家予算に相当する大金を得るんだ。

 一方でバトル・ステーション参加国は、公式にロボ券が発行出来る。当然その売上は大変なものになるんだ。参加費を上回るほどにね。

もう一度しっかりと認識してもらいたい。あのアンナが、わが国の将来と世界平和の行く末を握っていると言うことを。そして何故先進各国がロボット開発にしのぎを削るのかを。

 君は当然、全自動兵器とロボットの違いを知っているね。そして市販可能なロボットが、簡単な操作一つで殺戮兵器に転用できることも」

「武器輸出を原則自粛している我が国の、主要輸出兵器であるそうですね」

「…よろしい。アンナと南部の移送計画については、現在社の上層部とさる機関が立案中だ。

 決定ししだい、予定を伝える」


 夜になった。周囲は静かである。都会との喧騒とは無縁だった。

 何かに憑かれたかのように遅くまでトレーニングセンターで汗を絞りだしたあと、真奈は警備担当者以外の帰った中央研究棟最重要エリアに立ち寄った。

 自分が鍛えあげなくてはならない、国家の命運を担ったいまいましい「機械木偶」をなんとなく眺めたくなったのだ。

「各先進国の国家予算の一パーセント。

 どの国も赤字国債の償還で火の車だってのに」

 ふと気が付くとこの会社ご自慢の自動警戒装置が、解除されている。最重要機密エリアへの防御扉が手動で開閉出来るのだ。

 警報もならなければ警備員もかけつけて来ない。真奈は異変を察知し、慎重にそして物音一つさせず、アンナが「眠って」いるはずの「棺桶」へと急いだ。

 広く暗い空間に冷気と沈黙が漂っている。並べられている。各種計器のランプが、無言で仄かに光を放つ。

 真奈は、開け放たれた出入口から、息をころしてのぞきこんで見た。間接照明のたよりない光に、青白く浮かびあがるアンナの裸体がそこにはあった。

 点検と清掃の為衣類を脱ぎ、内蔵パワーユニットを外し、支持アームに固定され様々な測定端末を取り付けられているはずだ。

 しかし薄明りの中では、長身の美女が目をつぶり佇んでいるように見える。そしてその前にうごめく黒い不気味な塊を、真奈は不本意にも認めてしまう。

 それはあまりにも奇怪な光景だった。ここ数か月洗濯をしたようすもない白衣に身を包み、櫛と言うものを知らない頭をやや右にかたむけ、情けない口髭の周囲にさらに不精髭を育てた土気色の顔で、跪いてアンナを見上げている。

 ほとんど闇に呑み込まれかけている後ろ姿だけでも、それが南部孝四郎であることは一目瞭然だった。

 ほかには考えられない。真奈は不愉快なまでの不気味さに耐えつつ、暫らくその光景を見つめ立ち尽くしていた。気配に気付いたのか待ち構えていたのか、南部はやがておもむろに立ち上がり、振り返った。目が赤い。

「警戒装置を破ったのは、博士でしたか」

「警戒。あの子供騙しがか。

 あれでこの美しく神聖なるアンナを護っているつもりかね」

「確かに、こうしてみるときれいだね。これが博士の理想の女性?」

「理想だと? 私は単に似せて作っただけだ。我ながらうまく行ったと思うが」

「似せるって、どなたにさ」

「わからんのか。最高存在さ」

 と当然のごとく言いつつ、アンナを見上げるその顔は恍惚としている。真剣な眼差しはやや狂気を帯びているようにも見える。

「この女神を、最高存在の分身、究極の生命を戦場に出さなくてはならない。それが開発再開の条件とは! なるほどそれも仕方ない。しかしアンナは戦争ごっこの為に生まれたのではない。そのことを君も肝に命じておけ。

 アンナは天の意志、歴史の必然によって生まれたんだ。そして私は、吾が全知全能をかけて女神誕生の手伝いをしただけさ。

 それが、私がこの世に存在する理由だからな」

「……………」

「私は私の聖なるつとめを半ば終えた。君は君のはたすべきつとめがある。

 あのアンナが、醜い戦闘ロボットどもに汚されないよう、最高の戦士にすると言う役目がな。

 そのために君はこの世に生まれて来たのだ。それだけが君のレゾン・デトルだ」

「まるで、世の中の人間は総てアンナの為に存在する、みたいな言い方だね」

「ああもちろんそうさ。違うかね。人がこの世で果たすべき役目はただ一つ。神への奉仕だよ。そしてアンナは、新世紀の科学技術が作り出した女神なのだから。

 ………そうだ、馬鹿どもはまだ気づいていない。

 新たな高等生命種の誕生を。万物の母神が、今生まれようとしていることを」

 真奈は久しぶりに心の闇からこみあげる言い知れぬ恐怖を感じ、暫らくはその場から動くことが出来なかった。


 

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