人造機兵アンナ

小松多聞

第1話

 人造機兵アンナ


 ANTHOROPOMORPHOUS NOTIONAL-THINKING NEURO-COMPUTERIZED ANDROID



                            小松多聞



 自分の呼吸だけが聞こえる。闇の中で、五百瀬真奈いおせまなまなは自分が人であることを忘れようとしている。

 森の一部となり、気配を消したかった。

 彼女は太い幹の上に立ち上がり、大きな目をとじた。手を上に広げるが、重力まで遠慮しているのか、落ちない。

 彼女は大きく、木々の「息吹」を吸い込んだ。大自然の中で彼女に怖いものはなかった。山上の怒りである「かみなり」をのぞけば。


 眩いスパークが、情景を白く染める。それは、先端技術大国日本の惨めな敗北を告げる、弔いの花火だった。部屋の中は、陰欝な雰囲気と張り詰めた空気に満ちあふれていた。居合わせた「お歴々」は、大型立体モニターに映し出された「戦い」を真剣に見つめ続けている。

 今まさに、黄色い砂嵐の吹き荒ぶ砂漠に、一体の兵士が倒れるところだった。

 鋼鉄の甲冑で身を固めた身の丈二メートル半はある巨人は、破壊された腹から火花を散らしながらゆっくりと活動を停止させつつあった。

 映像はそこで終わっていた。鋼鉄の戦士が無残にも倒されるところで終わったのだ。映像が消えると、そこには会議室と重苦しい空気、そして沈痛な表情とためいきが残っていた。円形テーブルの端、モニターの真正面に座っていた冷ややかなまでに端正な顔立ちの老紳士が沈黙を破った。

「皆さんはすでにいやと言うほどご覧になったことでしょう。

 そう………第三回世界ロボット格闘戦。言わずと知れた『バトル・ステーション3』のアジア予選。

 第二回の優勝者にして栄光の日本代表、八洲電子制御が世界に誇るスーパーロボ『スサノオ・マークⅡ』の無残な姿を。勝者は勝利に奢る。勝者必滅ですか」

「お、おことばですが」と日本一の電子機器メーカーの開発担当重役がおびえた声で言った。

 あれはまさかの機能異常であり、あのような砂嵐は想像すら出来なかった。確かに中華連邦代表の『ジェノイド』は予想外の伏兵だった。

 しかし実力はおそらくスサノオと同格、ないし以下と分析されている。汗を流しながらこう弁明した。

「……戦いに、天候は関係しません」

 どんな苛酷な状況下でも、戦えなくては意味がない。総てはアメリカ帰りの天才的科学者、チャン・レンチェン博士の勝利なのだ。その重役は唾を飲み込んでやや俯いた。内閣最高顧問の小野田昭彦は、白髪の混じった三角形の眉毛をややつりあげ、人工的なまでに整いすぎたその顔で、日本を代表するロボット産業の重役達を睥睨した。

「結局去年のバトル・ステーションでは、アメリカにしてやられましたが」

 世界一、二の技術力と規模を誇る八洲電子制御、巨大銀行系の大輪田重工傘下のオオワダ自動精機、そしてやや小さいながら開発力にに定評のある新日本機工の「エラいさん方」は、しかられた子供のように青ざめ項垂れている。

「バトル・ステーションは、単なるロボットプロレスでも賭けごとでもないのです」

 今世紀において、ロボット産業はあらゆる技術と科学力の総合止揚の精華と言われている。

 ロボットの優秀さが、そのまま一国の国力と技術力、そして防衛力の指標となるとされている。故に「技術立国」たるわが国は、なによりもエネルギー産業とロボット産業に毎年莫大な国家予算を注ぎ込んで開発を促進している。

 かつては軍事力の強大さが国家の偉大さの尺度だった。今世紀はロボットがそれにとってかわった。優れたロボット技術を有する国家は、突出した防衛技術を持つことになる。そんな国を侵略せんとする馬鹿はいない。

 つまりロボット技術は、AI技術と並んで、現代の最も有効な抑止力なのだ。 国際大会バトル・ステーションは、戦争のかわりの軍事シミュレーションと言える。バトル・ステーションの勝敗が、その後数年の外交や産業にかなりの影響を与えるのは、今や国際関係論と政治地理学上の常識である。

「さてみなさん。破れ去った第三回大会予選のことをいくら愚痴っても仕方ありません」

 国際ヒューマノイド格闘大会「バトル・ステーション」は二年に一度ずつ、各国持ちまわりで開催される。その予選などは必要に応じて開催される。

 日本は前回アジア予選において、伏兵だった中華連邦代表ロボットに敗れていた。その大会は連邦奥地の砂漠で行われた。そして世界大会にはジェノイドが出場し破れている。

 各大会や予選では、それぞれ過酷な状況が用意される。

「第二回の優勝者スサノオは、結局二年の間さほど改良されなかった。それが敗因の最たるものでしょう。勝って兜の緒をしめよ、とはよく言ったものです」

 次回のドイツ大会は、なんとしてもわが国が再び優勝しなくてはならない。劣勢にある外交状況を打破するために、さらなる失敗は許されない。

「そこで、従来八洲重工系に一任していた人間型戦闘ロボットの開発を、今回から指名企画競合制に切り替えることにいたしました」

 すでに予期していたのか、八洲電子制御側の三重役はほとんど驚かなかった。

「つまり政府による公式性能試験を廃し………各社の代表ロボによる戦闘競技を行います」

 小野田は説明する。「ロボ券」販売の為の公営ギャンブルである「内国自動戦闘機械格闘大会」において、各社一体ずつ持てる技術力の粋を集めた最高作品を戦わせるのだ。

「勝ちのこった一体が、来たるべきアジア予選の代表ロボとなります。

 その上、この国内予選に優勝した会社に対してはその後二年間、政府発注の医療、防衛、建築用ロボットの六割を無条件で発注しましょう」

 今度はさすがに役員連中もいろめきたった。政府支出の実に十五パーセントをしめるロボット関連予算である。

 超高齢化時代に突入した日本では、介護から医療、一般の建築作業その他の都市メンテナンス、国防などの大部分を各種ロボットにたよっていた。

 三社には当然、政府開発投資予算から一定の援助を行い、世界最高性能のロボット開発を全面的に支持する。

「ただし! 政府援助額は前年同程度。

 新たな開発には、相当な予算が必要です。

 自信のない会社は、おりていただいても結構です」

 かつては造船、自動車、半導体など、我が国は常に高度な技術を世界に誇ってきた。今世紀に入って四十数年、ロボット分野には様々な企業が参入、過酷な淘汰を受けてこの三社が生き残っている。それぞれ自負がある。

「……新日本機工さん」

 突然呼ばれて室田社長は全身の血を逆流させてしまった。

「あなたの会社は開発力にすぐれてはいるが、いかんせん事業化と販売が弱い。いつも大手の風下で悔しい思いをしていたはずですな。

 まさに千載一遇のチャンスですよ。日本代表になれば、たちまちあなたの会社は世界一のロボットメーカーだ。

 しかし八洲やしまさんとオオワダさんも、黙ってはいませんな。国内大会の日時は、それぞれの開発時間を考慮して、後日決めさせていただきます」


 静岡に近い旧神奈川県下の、海に面した新日本機工本社へ帰るまで、室田秀和社長は興奮のしどおしだった。秘書の不破久美も、日頃沈着冷静な社長の変貌にやや当惑していた。

 緑につつまれた瀟洒な本社研究所に到着したのは四時前、早番の社員は帰りはじめているころだった。半自動操縦リムジンカーから飛び出した社長は、秘書課長の出迎えもまたずに役員会議室に飛び込んだ。

 すでに東京からのテレヴァイザー通信でことの委細を報され、雁首そろえて社長帰りを待っていた副社長、長田専務と二常務、各本部長取締役、開発主任連中は、文字通り血相かえて駆け込んできた社長の目付きにただならぬものを感じとった。

「て、て、て……てんゆう、天祐だっ!」

 これが室田社長の第一声である。

「天祐だチャンスだ千載一遇だっ! なんとしても我が社が勝つっ! 勝って今までの屈辱をはらしてやる!

 大手二社の風下で悲しい思いをし続けるのももう終わりだっ!」

 社長室秘書課の不破秘書と長田専務が今日の報告をしている間も、室田は一人で怒り、興奮し、ニヤついてつぶやいている。

「介護ロボと看護ロボばかりじゃない。天佑、天の助けだ……」

 聞いていたお歴々、中でも事業部出身の立川文也常務が仰天している。

 あの競輪・競馬・競艇を遥かに上回る狂乱のギャンブルに、社の最高級試作品を出すとなると、販売戦略と宣伝計画を大幅に変更しなくてはならない。

 大金が動くだけに様々な汚い妨害工作が行われる。各社とも壊れてもいい試作品などを宣伝のつもりで出場させるのが普通だ。立川はおずおずと言った。

「我が社にはなかなか荷が重いですよ。八洲さんみたいな財閥とは、懐の大きさが違う。それにオオワダさんは統合自衛部隊がらみだ。

 よほどの奇策でもない限り………」

 突如室田社長は立ち上がった。居並ぶ幹部は固唾を飲んで代表取締役の顔を見つめた。

「み、南部……ミナベだっ!」

 ミナベ、と言う言葉に、みな一様に不吉なものを感じ青ざめだした。

「あのバカ天才だ! ミナベを呼び戻せ!」

 やはり自分がとめるしかない、と考えた立川常務がこわごわ言った。

「あの、菅野君のほうで現在開発中のプロジェクトをこのまま」

「いかん! ミナベも必要だ! 我が社は今回の大会に社運を賭ける!

 是非よびもどせ! あの狂人をっ!」

 社長は大きく息を吸い込むと、会議室中に響きわたる声で厳かに宣言した。

「諸君! 私は中断している新規開発プロジェクトを進める。

 あの狂気の天才ミナベの、アンナ計画をっ!!」



 富士山麓に広がる広大な樹海。一度迷いこむとおいそれとは抜けられないこの「自殺の名所」に、ここ数日陰欝な雨が降り注いぎ続けている。

 深夜、いわゆる「ウシミツ時」をやや過ぎた頃、ようやく雨がこぶりになった。やがて奇怪な姿の一団が怯えつつ、警戒しながら霧の漂いはじめた森の中を進む。

 その六人は、迷彩服に身を包み大きな「機械」を背負っている。暗視スコープをかけ、ヘルメットの右横には小型カメラが取り付けられている。体のあちこちに弾倉や各種機器をぶかっこうに吊り下げ、最新式の突撃銃を構え用心深く枝や草を掻き分けて行く。

 突如一団の前方十五メートルぐらいのところで何かか光った。六人は反射的に銃を構えた。

 さらに光ったあたりで小さな爆発音が続き、草叢から白煙が吹き出しはじめた。

「う、撃てっ!」

 先頭の男がそう叫ぶよりも早く、一団は進行方向にむかって銃を乱射していた。

 次の瞬間、すぐ横にあった木の上の闇から黒い固まりが落下して来た。最後尾にいた男が振り返って仰天する暇もなく、濡れた地面にころがったその影は、六人の兵士の背中にむかって銃弾を全自動で発射した。六人は鋭い銃声に肝を潰し、銃を構えたままその場で伏せた。

 銃撃が止んだ時、あちこちでいっせいに鳴りだした信号音が暗黒の森の中に響いていた。

 それは「銃弾命中」を表す、訓練兵たちにとっては屈辱的な音だった。黒く小柄な影はおもむろに立ち上がり、銃を構えたまま言った。可憐な女性の声だ。

「全員戦闘力喪失! 確認と講評願います」

 先頭で頭をかかえて縮まっていた男がやや呆然としながら立ち上がり、言った。

「い、五百瀬(いおせ)………三等曹長?

 いつから木の上で待ち伏せしてたんだ。ここら一帯は何度も索敵したはずだが」

 黒い影は銃を降ろし、きおつけに近い格好で冷静に答えた。

「雨の振り出す前からです」

 もう六十時間にはなるだろう。枝から枝へと飛び渡り、斥候をまきつつ本隊通過を待ち続けていたのだ。班長、と呼ばれたベテランは、返す言葉が見つからずしばらく呆然としながら、目の前に立つまだあどけなさの残る「少女」の顔を見つめつづけた。

 突然周囲が明るくなる。続いて雷鳴がとどろく。小柄で筋肉質な少女は、信じられないほど幼い悲鳴をあげ頭を抱えてうずくまった。その予想外の仕草も、兵士たちを唖然とさせた。


 五百瀬真奈(いおせまな)三等曹長は、日常職務の一つである携帯火器の点検修理を終え、駐屯地横の術科学校へむかう予定だった。その前に訓練用障害物を片付けなくてはならない。

 統合防衛幼年術科学校は、義務教育を受けた男女が学ぶ、全寮制の学校である。

 十数年前のいわゆる「新宇垣軍縮」で陸海空の三自衛隊が統合され、統合自衛部隊として再編された時、新たに設立された。幹部学校進学組以外は、真奈のように昼間は統合自衛官としての一般軍務を行なわなくてはならない。信州奥地、口深山くちみやま郷出身の彼女は寮制の職業中学を出たあと、この学校に入った。

 この春には二ヵ年の初期教育を受け、現在は一般軍務をこなしつつ、術科学校で上級教育課程を受けている。昇進はかなり早い。

 小柄な真奈は、パワーローダーも使わずに障害物を片付けている。

 肩幅はあり、腕は筋肉が目立つ。重量物をおくと、体にくらべて大きすぎる胸が作業着の中で揺れた。


 夕方、真奈は学校長室を訪れた。質素でやや狭い学校長室で、大田部おおたべ一佐は残念そうな表情を隠そうともせず、書類と真奈の顔を見比べていた。学校長の執務机の前に直立不動で立ちながら、真奈の顔はいかにもすずやかだった。日に焼けた精悍そうな顔は、雌豹か何かを思わせる。大きな目は、いつもなにか獲物をもとめているかのようだ。

 統合防衛官としては小柄だが、肩巾は広く足は長く、剽悍な戦士の体型だった。

「そうか、やはり決心はかわらんか。確かに学科の成績はその……」

 人付き合い、軍人にとって欠かせない性質である協調性もかなり問題がある。

 しかし実技能力は、本校始まって以来の成績だった。射撃、格闘技、なかでもゲリラ戦とレンジャー索敵術はまさに天才的と言えた。

「この間の師団総合演習では、たった一人で木の上で三日以上も粘っていたそうだな。大隊長が誉めると言うか恐れていたよ。若い女性に出来る芸当じゃないって」

 彼女は不思議な動物的カンを持っていた。気配を消して接近したり、苛酷な環境下で何日間も待ち伏せしたり、風の流れを呼んだり一種人間ばなれした自然と一体化したような能力を誇っている野生の少女である。

「父は山の男、登山家で案内人でした。祖父は最後のマタギです。うちは代々山で生計をたてていたと聞きます。自分には山の生活が慣れておりますです」

 すでに狩猟はほとんど禁止されている。しかしごく一部、伝統的な猟法が、無形民俗文化財として保護されていた。

「信州は、深山みやま郷の生まれだったね。口深山か? お父さんは、遭難されたのか」

 家族のことはあまりはなしたがらない。母は逃げ、父は遭難。祖父に育てられた。

「そのせいか自分は都会の暮らしが苦手です。

 しかし山での生活には自信があります」

 たとえ特殊突撃団への道がとざされたとしても、君ならいくらでも可能性がある。特別待遇生徒として予備士官学校へ通いつつ、格闘教官として後輩を育成して欲しい。実直で人情にあつい校長は、そう言って止める。

「ご好意、誠にありがたく存じます。しかし自分が除隊するのは、特殊突撃団の解散が決定されたからのみではありません。全軍的に機械化、ロボット化が確実に急速に進み、自分のような人間はやがて全く必要ではなくなると思うからです。

 全統自がロボット化され、一部のエリート将校と技術者だけが支配する組織となるのもそう遠いことじゃないでしょう。

 人間が汗と血をながし戦う時代は終わりつつあります。AI化された高性能兵器とロボット兵士の量だけが勝敗を決する時代が、すでに来ている。

 そんな話が公然と囁かれています。つもり自分の時代じゃないんです。

 身寄りのない自分を二年ものあいだ養っていただいて本当に感謝しております。

 しかしこのまま隊にいても、自分の存在する場所と理由を見いだすことは出来ません」

「………あいかわらず頑固だな。今時の若者には珍しい。けれども除隊してなにかアテはあるのか。就職さきとか、まさか嫁ぎ先ってわけじゃ」

 明かに美人に分類されよう。しかし一般的な意味で「妻」になれるかどうか、はなはだ疑問だった。

 それ以上に、今や結婚、まして出産と育児は相当な「事業」となっている。

「まだ決めてはおりませんが、山へ帰ることだけは確かです。都会の生活はなじめません。

 山で、猟をして暮らすか自然公園の監督にでもなれれば、と思っております」

「全く、君らしいと言うかなんと言うか。今時の若い女性の言うことではないな。

 でもどうかね、この私にせめて君の就職先を、世話させてくれないか」

「就職……ですか? この自分が?」

「実は、人づき合いが大の苦手で潜伏術と格闘、射撃の得意な君にぴったりの仕事がたまたま見つかったんだ。天の采配とも言うべきタイミングでね」

「学校長殿、本当にもったいない。こんな、社会に適応できない自分のために」

「私の高校時代の友人があるメーカーの人事部にいてね。格闘術のインストラクターをあわてて探していたんで、君のことを話したんだ。まだ探しているかどうか、電話してみよう」

「あ、あの。なんのメーカーが、格闘術を?」

「私も驚いたがね。新型の兵器かなにかにプログラムするので、最高のゲリラ戦技術などが必要なのだそうだ。

 いくら技術が進んでも、教えこむのは人間ってわけだ」

 相手は新日本機工。技術開発にかけては超一流の会社だった。やや当惑している真奈の顔を嬉しそうに見つめながら、大田部一佐はテレヴァイザーのボタンを押しはじめていた。


 正直なところ、真奈とて統合自衛部隊JUSTをやめて一体なにをしていいやら、全く判らなかった。いまの世の中、山猟師などと言う職業が成立するわけはない。自然保護が盛んで、深山幽谷はことごとく自然公園などとなり、猟はほぼ禁止されている。

 そうでないところは総て人の手が入り、観光地保養地となっていて、そもそも猟銃など使えるはずがなかった。山に戻るなど、まず不可能だ。暮らしていけない。

 無形民俗遺産などに登録されるのは、その道の「達人」に限られる。祖父はその達人の一人だった。「民俗文化の人間国宝」などと呼ばれ、この時代に弓矢で鳥や猪をとって見せた。

 しかし父は常々一人娘に言っていた。所詮見世物、山中の芸人だ、と。とは言え山育ちで人嫌いの真奈が、都会いや平地で働けるはずもない。彼女はとくに、化学調味料が苦手だった。体質的に受け付けない。JUST時代も、しばし食あたりをおこした。

 山の分校で一応の義務教育は受けたものの、頑固な狩人の祖父に男手一つで育てられ、獣道を走り古木を登り、草に潜み地に同化し風の匂いを嗅ぐことに長けた彼女である。

 憧れの特殊コマンド部隊解散の決定に憤激して、除隊を決意してしまったとは言え、あとのことは何も考えてはいなかったのだ。それが彼女の性格だった。

 心の奥底で少しほっとしていた真奈は、除隊届けの受理された二日後、大田部一佐の紹介状を携え、神奈川県中郡にある新日本機械工業株式会社本社研究所を訪ねた。童顔の真奈は、仲間から送られた一張羅のスーツで窮屈そうに鍛えられた身を包み、現代的な建物の玄関へ足を踏み入れるのだった。

 案内された最上階の社長室は、あるじの趣味を反映してか、十九世紀末欧州風の凝った調度が目についた。真奈が座り慣れないソファーにぎこちなく腰を降ろしていると、マホガニーのドアがあいてやせ形の室田秀和社長が入ってきた。

 来客が反射的に起立し、直立不動の姿勢をとったため社長は驚いてしまう。

「三等……もとい、五百瀬真奈でありますっ!」

「そ、そりゃどうも、社長の室田です。あの………まぁ座って」

 すすめられ、再び腰をソファーにしずめた真奈は、渡した各種書類が丹念に読まれているあいだ、獲物の接近を待ち伏せる肉食獣の目で社長を見つめつづけた。

 中年男は一通りの書類を調べるとため息をつき、秘書にコーヒーを運ばせた。

「いや、驚いたね、たいしたモンだ。こちらの希望以上の逸材だよ君は。

 テストもなにも必要ない。この書類と推薦状だけで必要十分だ。とてもそうは見えないが。しかしまさかあなたのようなその、可愛らしいお嬢さんが。こんな、人間ばなれした……。

 お父さんは君が四歳の時に遭難か。気の毒にねぇ。お母さんや兄弟は?」

「母は私が幼い頃、山の暮らしがいやになり下界へ降りたそうです。兄弟はおりません」

「なんか…現代の話じゃないようだね」

「中等学校は寮でしたので。その後、白山近くの営林署に父の幼なじみがおりまして、その方のすすめで幼年学校に入りました。その方も代々狩人の家で生まれ育ったのですが、むかしの陸上自衛隊に入り、オリンピックに出て射撃教官などを勤めておられました」

「そうか、君のような女性ならもっとその、違った楽しい生き方も出来たろうに」

「お言葉ですが、自分の歩んできた道を誇りに思っております。祖父は山猟師として、山の人としての最高の技術を自分にたたき込んでくれました。

 自分は、体に流れる狩人の血を煮えたぎらせることを、願い続けております」

「……な、なるほどね。若いのにしっかりしているな」

 室田社長はどこか武骨でぎこちない少女を、敷地内にある最重要研究エリアへ案内しつつ社業について、ロボット産業界をとりまく状況について、そして来るべき国内バトルで優勝しなくてはならないことについて語って聞かせた。

「国内予選では三社とも、最高の戦闘ロボを出してくる。

 まずそれをクリアしたら極東大会でアジア代表を決めるが、実質的には日本代表ロボと中華連邦が誇るジェノイドとの一騎討ちだ」

「この会社の技術力に関してはよく存じあげております。

 自分は携帯火器の修理と操作指導も担当しておりましたから。人間の技術やカンにたよらなくてもいいシステム。

 それが御社の製品の基本姿勢だそうですね。組織から人間を除外すると言うか」

「言ってみれば悲惨な戦場から人間を遠ざけるわけさ。

 人道的兵器ってところかな。やがて戦争は、人工知能に操られた機械どうしの壮大な消耗戦になる。

 無駄と言えばこれほど無駄なことはないが、戦死者は激減するだろうね」

「犠牲者なき戦争。ヴァーチャル・ゲーム感覚で手軽に楽しめる戦場ですか……」

「ここからは最高機密エリアだ。君の容姿と声紋をさっそく登録しておこう」

 二人はメタリックに輝く巨大な研究棟のエントランスで、厳重なチェックを受けた。様々なロボットカメラが二人を監視している。真奈は少し不快そうだった。

「ところで社長。新しい戦闘システムに格闘術、ゲリラ戦技術などをプログラムさせるのが自分の役目と聞いておりますが」

「ん? ああ、まあそんなものだ。外部の人には詳しく話すわけにはいかなかったが、簡単に言うと君には戦士を一人、育て上げてもらいたい」

「? 戦士………でありますか?」

「そう、戦士さ。おそらく世界最強のな」

 嬉しそうな社長は薄暗い廊下のつきあたりに辿り着くと、電子ロックの暗証番号を押した。

 そして壁に描かれた手形のマークに自分の手のひらを重ねて、名乗った。

 低い電子音がかすかに響くと、目の前の頑丈そうなドアがゆっくりと左右に開く。室田に続いて真奈が暗い室内に入ると、ドアはしっかりと閉まる。すぐに照明が自動的につく。所狭しと並べられた最新鋭の各種機器のインディケーターが明滅している。

 真奈の正面に、大きめの棺桶のような箱が立てられていた。様々な機械、配線が取り付けられている。

 室田は腕時計式のコントローラーをいじって「棺桶」の蓋を開いた。

 中から水蒸気のような靄が溢れ、冷たい床を流れひろがった。そしてその靄の中から、一人の女性が姿をあらわしたのである。その長身すぎる氷の美女は、棺桶の中で息をしていなかった。さすがに真奈も驚いて、その場に立ち尽くしてしまう。

「死んでいる?」

「死ぬ? フフフフ、確かに生きてはいない。しかし死ぬこともないよ」

 社長は腕時計型コントローラーに命令した。はじめてくれ、と。

 真奈は、Tシャツと下着をつけただけの、ひどく大柄な女性を見つめていた。

 身長は百九十ほどありそうだ。筋肉質でかなりしっかりとした体格に似合わず、顔立ちは文字通り「人形のように」美しい。

 普通の女性なら「お伽話のお姫さま」でも連想するだろうが、真奈は昔父に聞いた雪女や山の神を思い浮べた。とても「この世のもの」とは思えなかった。

 次の瞬間、その美女は突如目を見開いた。目と目があってしまった真奈は、本能的に身構え緊張する。大きな美女はゆっくりと手をあげ、そのまま歩きだした。ゆっくりとごく自然に。やがて得意そうな社長の数歩手前で止まり、直立不動の姿勢をとった。

「お早ようアンナ。調子はどうだ」

 大柄ににあわず可憐で幼く、それでいて落ち着いた知的な声が返って来た。

「おはよう社長。全機能正常です。二十時間前の定期検査で右大腿シャフトのベアリングを取り替えました。動作状態は七ポイント上がりました」

「けっこう。南部みなべもあいかわらず熱心そうだな。

 さて五百瀬くん。紹介しよう。これこそ我が社が世界に誇る狂気の天才科学者、南部みなべ孝四郎が心血注いで作り上げた芸術品、アンナだ」

「ロ! ロボット?」

「アンドロイドだよ。完全人間型概念思考ニューロ・コンピューター制御アンドロイドだ。

 まさにロボットの新世代、人工的な機械戦士ってわけだ」

「じ、自分に、ロボット……アンドロイドをプログラムせよと?」

「鍛えてやって欲しい。

 社会生活に必要な程度の常識と作法はプログラムできる。

 しかし専門的作業やまして戦闘技術などとなると、全く人間同様にに教育が必要だ。彼女の頭には超小型並列電子頭脳が仕込まれている。

 だが彼女にとって文字通り心臓は、胸に内蔵した新式ニューラル・コンピューターでね。これは言わば人間の脳と同じような働きをしてくれる。臨機応変に判断できるわけだ」

「ニューラル? また古風な」

「従来のものとは相当違う。量子レベルで情報をやりとりする、人工神経繊維主体さ。ちょうどノイマン型コンピューターがプログラム次第で生きてくるように、アンナの頭脳は教育によって成長する。その教育を、君にお願いしたい。君のその、野性の……いや、人並みすぐれたカンとわざをね」

 アンドロイドのアンナは無表情で真奈の顔をじっと見つめている。真奈は返す言葉を失って、その機械的な視線にさらされるまま立ち尽くすばかりだった。


 夕食の時間が近付き、社長がご自慢の自動リムジンカーで宿舎までむかえに来てくれた。

 社長秘書の妖艶極まりない不破久美は、もっさりした真奈のスーツを上から下まで目でなめ回してから、彼女のために後部座席のドアを開けた。

「今晩は。今夜はあなたの歓迎会よ」

 このあたりでは唯一と言っていい本格的フランス料理店「レジオン・エトランジェール」では、長田専務と立川常務、そしてハンサムだがやや暗い菅野部長がアペリチフを飲みながら待っていた。役員たちは「トレーナー」の様子に少し驚いていた。

 社長が着席するとシャンペンが開けられ、真奈の簡単な自己紹介のあと夕食がはじまった。

 専務と常務はなかなかおっとりした人物のようだが、端正で知的な顔の菅野はほとんど無言で、ときおり真奈を睨みつける。久美は三十代だろうが、若作りで肉体を強調した白いドレスを身につけている。

 真奈ははじめての料理の味にとまどいながらも、皿の上をかたづけて行く。

 ただし、化学調味料の多そうなものは一口でやめた。山育ちの彼女の体質に合わない。

 談笑が続く間、真奈は必要最小限のことしか話さなかった。しばらくして専務の長田義雄が、何か質問はないかと尋ねた。一瞬ためらった真奈は言う。

「戦闘用ロボットは人間型ではない方がすぐれています。

 形状を人間に近付けることによって攻撃力防御力、移動力など多くの要素を犠牲にしなくてはなりません。

 それが判っていて、なぜわざわざあのような形にしたのですか?」

「バトル・ステーションの規定だ」と室田が答えた。

 世界ロボット格闘大会では、条件を統一するために形状に制限がある。全高二百五十センチ以下、武器を取り外した自重四トン以内。独立電源で原則的に二本足歩行が必要であることは、真奈も聞いている。しかしあそこまで完全なヒューマノイドにするまったく必要はない。形状にこだわらなければ、関節や脚部に人間以上の機能を持たせることが出来る。

 やや言いにくそうに専務が続けた。

「あのアンナのベースは、我が社の主力商品であるロボ・ナースなんだ。『小夜』って名の」

 細やかで丁寧な看護作業は、武骨な男にはつとまらないし、女性患者がいやがる。ロボ・ナースは総て女性の形状で作る。

 アンナの動きや基本的な立ち居振る舞いは、汎用ロボ・ナース「小夜」のプログラムを流用している、と説明された。

 ロボットとは言え、形態が男性の場合と女性の場合では患者に与える心理的作用が格段に異なるのだ。とは言え、アンナは大きすぎるが。

「アンナは、看護用を戦闘用に改造したものなんすか?」

「まあ、基本的な設計はな」

 と、出来上がりかけている立川文也常務兼総合企画室長が言った。

「看護ロボだけじゃない。

 もっとも楽しい使い方の出来るタイプにも改造できるよ」

 隣の専務があわてて脇腹を肘でつつく。不破秘書はくすり、と笑った。

「戦闘マシンは、総ての機能と形態を戦闘目的に集中するべきです。

 皮膚感から頭髪まで人間に近付け、顔立ちまで凝る必要は全くないでしょう」

 常務と専務は気まずそうに顔を見合わせた。久美はおもしろそうに顔を伏せている。真奈には不思議な気がしていた。ややあって、仕方なく社長が言った。

「それが、アンナ計画が暫らく中断していた理由なんだ」

 天才的職人の南部みなべ孝四郎が元凶だった。自分の理想的なフォルムにしないと絶対に開発しない。機械人形を造るつもりはない。完璧な人造生命、理想的な超人、いや天女を創ると意気込んでいるのだ。社長はため息をついた。

「体長百九十一センチ、体重四百二十キロの天女かね。全く天才となんとかは、だな」

「その……南部と言う人には?」

「まぁ、いずれ紹介しよう。でも特に接触する必要はない。

 アンナの最終チェックと基本プログラミングは明後日完成する。そして最終的に役人が良心回路を封印して登録。そうすれば実質的に南部の手は離れる。

 一切は任せるから、君のいいようにビシビシしごいてやって欲しい。痛みは感じないし文句も言わない。ある面では人間よりも優秀だよ」

 コーヒーをのみながら、真奈は眉間に微かに皺を作った。

「ただ一つだけお願いする。騙しても欺いてもいいから南部の機嫌をそこねないことだ」

 たとえ変人でも怪人でも、南部は社が社運をかけたプロジェクトの中心なのだ。真奈は無言かつ無表情で残ったコーヒーを飲み干した。

 部長にしては若くハンサムすぎる菅野は、ついに最初の挨拶以外は全くと言っていいほど口をきかなかった。


 十時前、社長専用リムジンは本社正面ゲートに戻ってきた。警備員が不破秘書に敬礼してゲートを開いた。ロボ・リムジンはいつも通り、すんなりとゲートを通過するはずだった。ところが、車は突然急停車してしまった。

「どうした不破くん。まさか故障か?」

「いえ機器は総て正常ですが、外部から電波でプログラムに干渉されているようです!」

 驚いて社長が車から降りると、警備ボックスの陰から危ない足取りで影が現れた。

 警備員はあわてて自動小銃を構える。弾丸は殺傷性の乏しい硬質ゴムである。

「社長、お待ちしましたよ」

 やせぎすの白衣の男は、ゆっくりとリムジンに近付いた。青ざめた顔に長く乱れた髪、鼻の下からだらしなく左右に垂れた髭、顎の不精髭。全体的にやつれ、不潔そうてせある。

 ただ度の強そうな眼鏡の下で、銀杏形の眼が鋭く光っている。

「み、南部くん! なんだこんな時間に」

「俺のアンナに家庭教師がつくそうですね。なぜ事前に報せてくれなかったんです。いつもいつも、創造主であるこの俺をつまはじきにしやがって」

 すでに車から降りていた真奈は、南部孝四郎に数歩近寄って敬礼した。

「はじめまして、五百瀬真奈であります」

「ふん。がガサツそうな女だな。俺の可愛いアンナをきちんと指導出来るんだろうな。まあ精力満々のマッチョなら、少々力を抜いておく必要があったが。女か…女ねぇ……」

 とぶつぶつ言いながら、南部は社宅の方向へ危なっかしい足取りで去って行った。社長はなんと言い訳したらいいものか、立ち尽くしたまま考えあぐねている。真奈は全く驚いた様子もなく、闇に消えていく白衣を見守り続けた。

     

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