人形
母が妊娠し、歳の離れた弟か妹が出来るという話を聞いたのは私が高校生の頃でした。
兄は大学生で、歳をとってもお盛んな両親に驚いたのを覚えています。
しかし高齢出産だったためか、母は子供を流産してしまいました。
それから母は心を病んでしまい、家に閉じこもるようになったのです。
そんな母に父が人形を買ってきました。赤ん坊を模した人形で、かなりリアルで不気味に感じたのですが、なんでも欧米ではリボーンベイビーなんて呼ばれていて、流産したり赤ちゃんを亡くしたお母さんが買ったりすることもあるそうです。
人形をプレゼントされてから母は人形をかわいがるようになり、外出することも出来るようになりました。
父も兄も私もこれで大丈夫だと安心していたのですが、一年、二年、三年、私が高校を卒業して大学生になっても、母は赤ん坊の人形から片時も傍を離れずにいつも傍らに抱いていました。
さすがにこのままではいけないと、父が母と話をしても母は人形から手を放しません。
お風呂に入れたり、濡れた布巾で拭っていたので綺麗ではありましたが、今にも動き出しそうなくらいリアルな人形とその人形を本当の子供のように扱う母が不気味に見えたのを覚えています。
父は何度も母に人形から離れてくれと話をしていましたが、母は頑なにそれを拒みました。
あるとき、ついに業を煮やした父は、母が寝ている間に人形をこっそりと何処かに隠しました。
起きたときに傍らに人形がないことに気づいた母は半狂乱で人形の名前を叫び、必死で人形を探していましたが、父が説得をした結果、自分が今までおかしくなっていたことを一旦、受け入れました。
少しの間は暗く沈んでいた母ですが、家族で毎日いろいろな話をした結果、母は次第に元気になっていき、人形のことも話さなくなりました。
これで全て解決したと思っていたのですが、父が人形を隠して半年ほど経った頃のことです。
父が家の階段で足を踏み外して亡くなりました。
慌てて兄と母は親戚への連絡をしたり、お葬式の手配などをしていました。私は突然のことに一日、呆然としていたのを覚えています。
おかしなことが起きたのは全ての手配が終わった日の夜のことです。
通夜の席に父が隠したはずの人形を抱いた母がいたのです。
私と兄は、もしかして母が人形を隠した父を殺したのではないかと一瞬、疑ってしまいました。
ですが、父が階段から落ちたときに家には誰もいなかったのです。母が父を殺せるはずはありません。
私も兄もなぜ母が父が隠したはずの人形を抱いているのか、疑問はありましたが父が突然亡くなったこともあって何も言えませんでした。
それからまた二年が過ぎた頃のことです。
母はまた常に人形を抱き、自分の子供のように接する日々を続けていました。
兄はそんな母と二人きりで家にいる私を心配して、父が亡くなった日から一人暮らししていたアパートを引き払って実家で一緒に住んでいました。
そんな兄が転勤することになりました。家で母と二人になる私を心配して、兄は父と同じように母から人形を引き離すことを決断しました。
父がしたのと同じように、母が寝ている間に人形を隠したのです。
また同じように母は人形の名前を泣き叫びましたが、私と兄の二人で母を説得して、母もなんとか平静に戻ってくれました。
それから少しして、兄は転勤していきました。人形は念のために兄が転勤先にもっていき、お寺か神社に預けるとこっそりと教えてくれました。
半年くらいは平和な毎日でした。母はまた人形のことを忘れたかのように以前の母に戻りました。
けれどそんな日々も兄が亡くなったという話を聞いた瞬間に終わりました。
交通事故だったそうです。
夜に信号のない道を横断しようとしていた兄に、車が気づかずに事故になったそうです。
兄の遺体を確認した次の日、通夜の席には人形を抱いた母がいました。
ほとんどずっと私と母は一緒にいて、兄が人形を預けた先を調べて取りに行く時間などなかったはずなのにです。
私は怖くなりました。もしかして父と兄を殺したのはこの人形なのではないかと。
このまま母と一緒にいれば私まで人形に殺されてしまうのではないかと。
私は母を精神病院に入院させることにしました。
自分の子供のように常に人形に接する母は、誰がみてもおかしくなった人に見えます。
実家を売り、出来たお金で母の入院費を工面しようと、家の中を整理していたときに私は父の手記を見つけました。
『父の手記』
妻が妊娠したことを知ったときに私は驚いた。ここ数年、妻とはそういった行為は行っていなかったからだ。
私が妻に子供の父親を訪ねると、妻は「私にもわからない」などと訳のわからないことを言って泣いた。
私は早々に妻から相手を聞き出すことを諦めて、探偵に調査を依頼した。
しかし探偵からもたらされた調査報告はまさかのシロであった。
妊娠周期から計算した不貞を働いていたと思われる日とその周辺の日に妻が浮気をするような時間はなかったそうだ。
では子供の父親はいったい誰なのか、私には何がなんだかわからなくなった。
お腹の中にいた子供には申し訳ないが、結果的に妻が流産したのはお互いにとって良かったのかもしれない。
妻の子が流れてから、妻はふさぎ込むようになった。妻も「父親がわからない子供を産むのは怖い」と言っていたが、それでも情がうつっていたのだろう。
私がふさぎ込む妻を元気づける方法がないか会社の部下に相談すると、リボーンベイビーと呼ばれる人形のことを教えてくれた。
少し不気味だったが、今の妻にはこういったものが一番良いのではないかと思い、妻に贈ることにした。
そういえば妻に何かをプレゼントするのは何年ぶりだろうか。
妻が人形から離れない。
最初の頃はただ可愛がっていただけにみえたが、気づけば人形に名前をつけて話しかけたり、風呂に入れたりしている。
片時も離れない妻はまるで人形を本当の自分の子供だと思い込んでいるようだ。
息子と娘が妻を不気味な物をみるような目で見ていることも多くなった。なんとか妻と話をして人形から離さなければいけない。
妻は人形がいないことに気づいて半狂乱となったが、しばらくしたら嘘のように落ち着き、今では妊娠前のように戻っている。
人形のことは一切話さなくなった。まるで人形のことなど忘れてしまったかのようだ。
人形と無理矢理にでも離したことは、結果的に良い方向に転がったようで安心した。
ただ、人形を私の実家の物置に置いてから、どこにいても視線を感じるようになった。
気のせいだと思うが気味が悪い。
母はいったい何を身籠っていたのでしょうか、あの人形はいったいなんなのでしょうか。
母は今でも人形を自分の子供のように抱いています。病院に面会にいったときも大事そうに抱いていました。
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