第46話 真の黒幕

 アルデイン公国中心部、官庁街の一角にあるセルフ式のカフェに、悠理は昼下がりの時間帯、大きなスーツケースを引きながら入った。彼が注文した珈琲を受け取ってから店内を見回すと、壁際の四人掛けの席に待ち合わせていた兄を発見し、荷物を引きながら移動する。


「やあ、界琉。待たせたな」

「いや、大して待ってはいない。あと五分待って来なかったら、中央庁舎に戻ろうとは思っていたが」

「相変わらず陰険な奴」

「帰国する前に、直に会って話をしたいと言ってきたのはそっちだろう? 失礼な奴だ」

 悠理は憎まれ口を叩きながら、苦笑している界琉の向かい側の席に落ち着き、さり気なく魔術で防音壁を周囲に張り巡らせてから、早速本題に入った。


「リスベラントの後始末の、進み具合を聞いているか?」

 その質問は予想の範囲内だった為、界琉は冷静に答えた。


「ああ。魔獣をわざと増やして藍里達をおびき寄せた両子爵家関係の馬鹿共は、纏めて綺麗さっぱり爆死しているのが確認された。それからレイチェル夫人と交わした念書が明るみに出て、オランデュー伯爵家の罪状を明らかにできたからな。つい先程、伯爵が領地で生涯幽閉と決定されると同時に、息子に代替わりする事が、リスベラントで正式に発表された。今回の事で色々憶測は呼ぶだろうが、今度の奴はあれほど腹黒くないし策略を巡らせる事もできないだろうから、周囲に対する影響力は落ちるだろう」

 それを聞いた悠理は、安堵の溜め息を吐いた。


「あの陰険親父が、やっと表舞台から退場か」

「他にも央都から追放される人間が、複数出る事は確実だがな。リスベラントでの勢力図が、かなり変わるのは間違いない」

「だろうな。それとアメーリア殿には、クラリーサ殿が直々に引導を渡しに行く事になったとか?」

 興味津々で尋ねてきた弟に、界琉は鋭い視線を向けた。


「耳が早いな。それに一応、あの女に関する事は機密事項扱いの筈だが。どこから仕入れた?」

「まあ、色々と?」

「お前も相変わらずだな」

 界琉は弟に呆れ気味の視線を向けたものの、それ以上隠し立てはせずに淡々と告げた。


「別に、行く必要は無いと言ったんだが。単なる同情か、優越感を実感したいだけか……。どちらにしてもくだらないな」

「くだらないか。俺達にしてみれば、確かにそうだな」

 首を竦めて皮肉っぽく応じた悠理だったが、次にしみじみとした口調で言い出す。


「しかし都合が良かったな。公子暗殺未遂事件として、事を大きくする事ができたし」

「全くだ。藍里だけを狙ったのなら、未だに俺達を余所者扱いする人間が多い中、ここまで伯爵家の行為を問題視される事は無かっただろうしな」

「あわよくば藍里とレオン殿との仲を進展させようと欲をかいた、公爵に感謝だな。まさか息子の存在が利用されるとは、思っていなかっただろうが」

「娘を使って俺を縛り付けようと考えて、逆に人質に取られる程度の男だ。多少策を労しても、そう都合良く事を運ばせるか」

 そう鼻で笑ってから、界琉はさり気なく問いを発した。


「ところで、以前からお前に聞きたかったんだが」

「何を?」

「レイチェル夫人は、本当に余命幾ばくも無かったのか?」

「……どういう意味だ?」

 途端に剣呑な目つきになって凝視してきた悠理に、界琉は思うところを述べる。


「境界付近で騒ぎを起こせれば、理想的だとお前に言った直後に、あの女の病気の話を聞いたからな。ひょっとしたらお前が同僚の医師を抱き込んだ上で、共謀して多少具合が悪い患者のデータを色々操作した上で不治の病と思い込ませて、上手く誘導したのかと」

 その推論を聞いた悠理は、冷え切った声で言い返した。


「俺はそこまで、人でなしじゃない。あの女性は正真正銘、末期患者だった」

「そうか。つまらない事を言って悪かった」

 そんな心の籠もらない謝罪の言葉を聞いた悠理は、界琉に向かって、怒りを内包させた声で問い返した。


「あまりにもつまらない冗談を聞かされたから、ちょっと確かめたくなったんだが……」

「何を?」

「レイチェル夫人は、どうやってあんなに大胆、かつ綿密な計画を立てる事ができたんだろうな? とてもそんな狡猾そうな女性には見えなかったんだが」

「死期を悟ってから、一人で必死に考えたんだろうさ。いじらしいな」

 端から見れば、故人を偲びながら同情する様に述べた界琉だったが、悠理はそんな物に惑わされる事無く、鋭い視線と口調で指摘した。


「実はレイチェル夫人が受診の為に、アルデイン国立総合病院に来院した時、中庭のベンチでお前と話し込んでいたのを、見かけた事があるんだ」

 しかしその追及にも、界琉は平然と答えた。


「彼女はれっきとした貴族だから、リスベラントで出席した夜会とかで、顔を合わせた事はある。知り合いと顔を合わせたら挨拶するし、世間話の一つや二つはするだろう?」

「普通はそうだろうな。だが、随分熱心に話し込んでいなかったか?」

「売れっ子で、分刻みスケジュールのお前が、暇を持て余して渡り廊下で一時間も観察していたわけは無いだろう? 五分やそこら世間話で盛り上がった所を、偶々お前が目にしただけだ」

「……そうか」

「ああ、そうだ」

 微塵も動揺していない界琉を見て、悠理はこれ以上の追及は時間の無駄だと諦めた。そして喉の奥に苦い珈琲を流し込んでいると、界琉が声をかけてくる。


「これから、日本に帰るんだろう?」

「ああ。暫くは日本で勤務するから、きちんと出入国の記録を残さないといけないし。乗り継いで十七時間のフライトだ」

「御苦労な事だな」

「本当にあの扉は便利だな。これからは私用で使う事もできないから、不便でしょうがない」

「そうそう使う必要性も無いだろう?」

「確かに。暫くこっちに戻るつもりも無いしな」

 苦笑いでそんな会話を交わしてから、悠理は急に真顔になって問いを発した。


「界琉。今でも聖紋は出るのか?」

「いきなり何を言い出す」

「良いから。出るのか?」

 驚いて軽く目を見張った界琉だったが、変わらず真剣な表情で尋ねてくる悠理に、逆に問い返した。


「出せても、日中こんな人目がある所で出せるか。しかし、どうしてそんな事を聞く? お前、出せなくなったのか?」

「残念ながら」

 如何にも忌々しそうに短く答えた悠理は、界琉の方に両手を伸ばした。するとその両手の甲に、忽ち痣のように紅連三日月の模様が浮かび上がり、一秒程ですぐに消える。それを認めた界琉は、思わず苦笑いの表情になった。


「未だに聖紋が消えずに両方出てくるのが、そんなに残念なのか?」

「当たり前だ。俺が幾ら手術を成功させても、それをリスベラントの人間がこれを見た瞬間、『聖リスベラの奇跡だ』としか、言わなくなるだろうが」

 そこで両手を引っ込め、憮然とした表情で再び珈琲を飲み始めた弟を、界琉は宥めた。


「確かに、冗談では無いな。お前の技量は、お前自身がその能力を研ぎ澄まして身に付けた物だ。揃いも揃って、カビの生えた妄執に取り憑かれた馬鹿共が」

 最後は冷笑した界琉を見て、悠理は急に寒気を覚えた。そして取り敢えず聞きたい事は聞いてみた為、飲み終えたカップを手に立ち上がる。


「変な事を聞いて悪かった。それじゃあ、俺はこれで」

「なあ、悠理」

「何だ?」

 立ち去ろうとした弟を呼び止めた界琉は、ここで一見穏やかな笑みを浮かべながら、静かに問いかけた。


「聖リスベラと同じく額に聖紋を持つ俺と、かつて例がない二つの聖紋持ちのお前と、聖女と同じ女性に生まれついて、俺達の中で一番潜在的な魔力が強い藍里。誰が聖女の生まれ変わりとして、一番相応しいと思う?」

 他のリスベラントの人間が耳にしたら、パニックに陥る事間違いなしの台詞をさらりと口にした界琉だったが、悠理はそれを聞いた途端にこれ以上は無い位の渋面になり、吐き捨てる様に言い返した。


「俺はそもそも生まれ変わりなんて、非科学的な物を否定しているのを忘れたか?」

「そうだったな」

「もう話は無いな。行くぞ」

「ああ。偶には電話する」

 明らかに腹を立て、些か乱暴にスーツケースを引いて店を出て行く弟を見送りながら、界琉は薄笑いの表情になった。


「あいつの聖紋嫌いは、相変わらずらしいな。まあ、無理も無いが」

 そう呟いた界琉は、まるで何も無かったかの様にカップを返却口に戻し、休憩を取って抜けて来た職場に戻るべく歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る