第45話 終幕

 それからは各自与えられた部屋に案内され、漸く人心地付いた面々だったが、すぐにウィルが同室のジークに断りを入れてきた。


「ジーク、ちょっと抜けるぞ」

「……あまり長居せずに戻れよ?」

「ああ」

 ジークは「夜通し働いた筈なのに、どこに行くんだ」などと無粋な事は言わず、神妙な顔でウィルを送り出した。


「兄上?」

 すれ違った顔見知りの使用人に所在を尋ね、書斎のドアを軽くノックしたものの、何の応答も無かった為、ウィルは一応断りを入れながら静かにドアを開けて室内に入った。


「失礼します」

 するとやはりジェラールは、正面の執務机で書類に何やら書き込んでいる最中であり、入室した事に気付いている筈のウィルを綺麗に無視した。その取り付く島もない様子にウィルは一瞬怯んだが、意を決して机に向かって足を踏み出しながら、とある事実を口にする。


「兄上、先程ユーリ殿から聞いたのですが、実は義姉上はご病気」

「知っている」

「え?」

「余命幾ばくもない事は、知っていた」

「どうして……」

 顔を上げないまま、兄が淡々と言い出した内容に、思わずウィルは足を止め、信じられない物を見る様な目で彼を凝視した。

 一方のジェラールは、静かに手にしていたペンを傍らに置いてからゆっくりと顔を上げ、底光りのする目を彼に向ける。


「二ヶ月程前にアルデインに出向いた時に、向こうの屋敷の留守電に、病状を心配するレイチェルの主治医からのメッセージが入っていてな。彼に直接会って、話をした」

「それは……」

 立て続けに予想外の事実を聞かされて、ウィルが呆然とする中、ジェラールが淡々と説明を続ける。


「当然、リスベラントの事は口にできないから、ちゃんと故郷で医師の指導の元、穏やかに暮らしていると彼に説明して、納得して貰った。治療経過や紹介状は渡したものの、引き継いだ筈の医師からの照会とかが無かったから、不安に思っていたらしい。お前がユーリ殿の名前を口にしたという事は、どうやらそこら辺は、彼が密かにフォローしてくれていたらしいな。事の仔細はどうあれ、後から礼を言わねば」

「兄上……、本当にご存じだったと?」

 これ以上、何をどう言えば良いのか、全く分からなくなってしまったウィルが、呆然としたまま問いかけると、ジェラールは自嘲気味に話を続けた。


「夫婦だからな。心配をかけないように黙っているのだろうが、そのうち、きちんと私には打ち明けてくれると思っていた。アルデインに出向かなくなって、実家に顔を出す頻度も増えていたが、昔馴染みの者達にそれとなく別れをしたいのかと思って、好きにさせていた。まさかあんな大それた事を、考えていたとは……」

「ですが兄上、それは!」

 急に言葉を詰まらせ、歯軋りをしたジェラールを見て、ウィルは咄嗟にレイチェルを庇おうとした。しかしその台詞は、ジェラールの怒声と、勢い良く拳で机を叩く音に遮られる。


「それ位、お前に言われなくても分かっている! レイチェルは私を本当に愛してくれていた。だがこんな事をして、私が喜ぶと思う程度には、愚かな女だったがな!!」

「兄上!!」

 ウィルが悲鳴じみた声を上げると、ジェラールは思うまま怒鳴り付けて力が抜けたのか、両腕を机に付いて俯きながら、先程までとは打って変わった低い声で、恨みがましい呟きを漏らした。


「あの異母弟達が、最初からいなかったら。お前がさっさと結婚して、子供を俺達の養子にしてくれていたら。母や母の実家筋も、親族達も、文句は付けなかったんだ」

「それは……」

 何とも言えずにウィルが困惑していると、ジェラールは顔を上げないまま、淡々と言葉を継いだ。


「分かっている。今言った事は、単なる俺の責任転嫁と八つ当たりに過ぎない。だが正直、お前の顔は見たくない。当分、私の前に姿を見せるな」

 その命に、ウィルは素直に従う事にした。


「分かりました。暫くはお目にかかりません。義姉上の葬儀にも参列致しませんので、ご容赦下さい」

「それは気にするな。そもそも反逆者の葬儀など、きちんと執り行えるかどうかも分からんからな。レナード達も同様だ」

「……失礼致します」

 暫くは醜聞の矢面に立たされる筈の兄の声から、隠しきれない沈痛な響きを聞き取ったウィルは、未だ顔を上げないままのジェラールに向かって深々と一礼してから、書斎を出て行った。



 ※※※



「以上が、今回の騒動の一部始終です。姉上及びオランデュー伯爵と、デスナール子爵夫人との密約書はこちらです。他に当地に伯爵が派遣した者を三名、生き証人として護送して来ました」

 急ぎアラン達と共に央都に駆け戻ったルーカスは、公宮に到着するなり父親の執務室に直行した。そして洗いざらい報告して反応を待つと、ランドルフが険しい表情で問い質してくる。


「ご苦労だった。それで魔獣の発生源については、確かにアイリ嬢が消滅させたんだな?」

「はい。その筈です。周辺の捜索もさせていますが、今のところ同様の物が存在していると言う報告は上がっておりません」

「それならば良いが、その事象について、もう少し詳細を聞きたいのだが」

 そう言われたルーカスは、一応断りを入れた。


「はい。あくまで唯一内部に入った、彼女の主観に基づいた報告になりますが、それでも宜しいですか?」

「構わない」

 頷いたランドルフに向かって、ルーカスは藍里から話を聞いてきた、不思議な空間の内部についての話を語り始めた。そして話し終えてからも、父親が何やら難しい顔で考え込んでいるのを見て、不思議そうに声をかける。


「聖リスベラ……。魔力の澱み……」

「父上? どうかしましたか?」

「いや、何でもない。それから、そこから出て来た後、アイリ嬢に特に異常は無かったんだな?」

 そこでルーカスは、若干笑いを堪える様な表情になった。


「ええ。今回の事を企んでいた連中の話だと、そこに送り込まれた獣や家畜達は、殆ど凶暴になった上、得体の知れない力を帯びて戻って来ていたみたいですが。あいつは獣以上に、神経が図太いと見えますね」

「…………」

「父上?」

 しかしランドルフが微塵も表情を緩めず、何かを考え込んでいる為、ルーカスは再度訝しげな声で呼びかけた。彼はそれで我に返ったらしく、平然と首を振ってから話題を変えてくる。


「いや、何でもない。それでは、お前の前に姿を見せた以降の、アメーリアの行動は分かっているか?」

 その問いに対しては、これまでルーカスの斜め後ろで控えていたアランが答えた。


「それに関しては、ベルクが確認を取りました。ハールド子爵邸を出てから、オランデュー伯爵領の館に一泊し、更に央都までの他の子爵領の館に滞在しながら、のんびりとこちらに向かって来ているそうです。相変わらず気まぐれに、領民達に慈悲を施しては崇めたてられて、気分良く過ごしておられるとか。央都に到着されるのは、三日後になりそうです」

 それを聞いたランドルフは、重々しく頷いた。


「ハールド子爵領の騒ぎについては、直ちに緘口令を敷いたから、周りの連中も含めて未だに知らないらしいな」

「その筈です」

「全くいい気なものだ……。それで父上。この始末はどう付けるおつもりですか?」

 思わずルーカスが口を挟むと、ランドルフは為政者の顔で断言した。


「オランデュー伯爵については、これから奇襲して引導を渡す。爵位は息子に譲らせて、生涯幽閉だな」

「それでは姉上は?」

「この際、完全にあれの存在を消す」

 面白く無さそうに告げられた内容を聞いて、ルーカスは首を傾げた。


「存在を消す? 幽閉とか、死罪とかではなくてですか?」

 言葉の意味が分からなかった上、この父が間違っても自分の血を分けた娘を死罪になどできないだろうと思いながら、意図するところを尋ねたルーカスだったが、ランドルフは忌々しげに一言吐き捨てて、会話を終わらせる。


「幽閉や死罪など生温い」

「父上……」

 その時、ランドルフの表情を見たルーカスは、内心で密かに生まれて初めて父親に対する恐怖を覚えた。

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