第21話 とんで火に入る夏の虫
そして深夜になり、宿屋の者達も殆どが眠りについて建物全体が静寂に包まれた頃、藍里達の泊まっている部屋に、招かれざる客がやって来た。
「……よし、上手く開けられたぞ。料理も平らげてたし、ちょっとやそっとの音で目を覚ます筈は無いが、あまり大きな音は立てるなよ?」
カチャリと小さな音を鍵穴から生じさせただけで、二人組の男は静かにドアを開け、殆ど足音を立てずに室内に足を踏み入れた。そして先頭に立った男が、室内を見回しながら後ろに続く年若い男に小声で注意すると、相手が素直に頷く。
「ああ、分かってる。それよりこの女達が本当に伯爵様達が探している女かどうか、早く調べないとな」
そして藍里達が持ち込んだ荷物が、チェストの上や部屋の隅に置いてあるのを見て取った二人は、目配せし合って分担を決め、それぞれの荷物の所に歩み寄り、中身を改め始めた。
「しかし、どうせなら今、ザクッと殺しちまえば良いんじゃないか? 抵抗する筈も無いんだし」
そして何か身元が分かる物を持っていないかと、荷物を漁り始めた二人だったが、めぼしい物が見付からないまま、若い男の方がチラッと寝室に繋がるドアを見ながら言い出した。その短絡的な考えを、もう一人の男が窘める。
「馬鹿な事を言うな。無関係の女だったら、殺せるわけないだろう。それにその場合、本人は他のルートで移動している事になるが、ここで下手に騒ぎを起こして、それを耳にしたら警戒されるかもしれないからな」
「全く、面倒くさい」
「殺すのは俺達下っ端じゃなくて、もっと腕が立つお偉いさんだ。俺達が下手に手を出す必要はないさ」
「それもそうだな。本物だったら恐れ多くも『ディル』様だ。好き好んで危ない橋を渡る事もないか」
そんな事を言い合いながら肩を竦めた二人だったが、明かりと言えば魔術で手元だけを照らしている状態でもあった為、いつの間にか隣室のドアの下の隙間から黒い毛糸が床を走る様に勢い良く伸びている事に、全く気が付かなかった。
「……リュース、アム、シェステ、ラ、ヴィルヌ」
服を着たまま寝ていた藍里とセレナは、隣室に男達二人がやって来ると、ドアに予め施しておいた魔術のお陰で瞬時に覚醒した。それから打ち合わせ通りに、黒い毛糸玉を両手で軽く包み込む様に持ちながら呪文を唱えるセレナを、藍里が興味津々で見やる。そして彼女の手の中で毛糸玉がくるくると回りながら解れていき、二玉が綺麗に無くなって隣室に消えると同時に、セレナが再度呪文を唱えた。
「ジェン、キーペス、トグ、イェン、ジェオスァ」
すると隣室では何かが倒れる様な音はしたものの、それきり再び無音になった為、藍里は不思議そうに尋ねた。
「セレナさん。全然音がしないけど、ひょっとして失敗?」
若干心配そうに尋ねた藍里に、セレナが笑って答える。
「いえ、首尾良く身柄を確保できたと思いますよ? ジーク達に知らせたら、見てみましょうか」
「見る見る。どうなってるの?」
そしてセレナが通信機器として使っている手鏡でジーク達に連絡し、藍里達が寝室から、ジーク達が廊下からほぼ同時にドアを開けて居間に入ると、目の前に横たわって呻いている男二人を発見した。最初、どうして二人が身動きできず、叫ぶ事も出来ないのかが分からなかった藍里だったが、薄明かりの中近寄ってみて、漸くその理由が分かった。
何故なら男達は、足首から首筋までを毛糸でぐるぐる巻きにされた上、残った毛糸は綺麗に玉になった状態で、男達の口の中にすっぽりと納まっていたからである。それも絶妙に口内の大きさギリギリの玉になっているらしく、容易に吐き出せない状態に、藍里は心底感心しつつちょっとだけ賊に同情した。
「なるほど……。これじゃあ、叫べないわ」
「何分、夜半ですし。他の宿泊客のご迷惑になってもいけませんから。それ以前に血で汚したら、清掃代を余計に請求されます」
「……セレナさんって、結構経済観念がしっかりしてる人だったのね」
思わず遠い目をした藍里に横までやって来たルーカス達も、セレナの手際を見て、褒める前にちょっと呆れた様な表情になった。
「うん……。まあ、確かに、背後関係を調べたいから、出来れば生け捕りにしたいとは言っていたけどな?」
「なるべく静かに取り押さえようと、打ち合わせはしていたが……」
しかし哀れな侵入者を見下ろして微妙な顔付きになっている男達に、セレナが淡々と申し出た。
「取り敢えず聞き出したい事を聞いて、この二人を朝まで転がすなり、身動きできない様に叩き出して休む様にしませんか?」
それに反対する気など起きなかったルーカスは、真顔で頷いて左右を見やる。
「そうだな。じゃあ、ちょっと大声を出しても漏れない様に、消音措置を頼む」
「分かりました」
それを受けて早速ウィルが呪文を唱え、防音障壁を室内に張り巡らせた。
「どうだ?」
「大丈夫だ。喚こうが叫ぼうが、階下や隣にも聞こえない筈だ」
「分かった」
騒ぎを周囲に聞かれる心配が無くなったのを確認したジークが、そこで呪文を唱えた。
「テァデス、ユード、パレ、リム、フェズ……」
「んぐっ、ぶぇふぁっ……、ぎゃあぁぁっ!!」
「ぶふぅっ、げぇえっ!!」
ジークが何やら聞き慣れない呪文を唱えたと思ったら、床に転がっている男達がいきなり喘いで悶えた途端、口から勢い良く何かを吐き出して悲鳴を上げた為、藍里は本気で驚いた。そして吐き出されたそれを目を凝らして良く見ると、毛糸玉が消し炭と化した物だと、何とか判別できる。
それで恐らくジークが、二人の口内の毛糸玉を瞬時に燃やし尽くして消し炭にし、男達の口内を火傷させるという文字通り痛い目に合わせながら、何とか喋る事が可能な状態にしてやったのだと分かった。そこで予想外に、セレナから非難の声が上がる。
「ジーク! 何でこんなに綺麗に燃やしたんですか! まだまだ使えたのに!」
その声に藍里は驚いたが、ジークも僅かに顔を引き攣らせて応じる。
「……まだ何かに、使う気でいたのか?」
「当然です」
「すまない。後から弁償する」
「今度から気を付けて下さい」
真顔で頭を下げたジークに、セレナは仕方がないという感じで頷き、ウィルとルーカスが微妙な顔付きになっている中、藍里は(やっぱりセレナさんって、経済観念がしっかりしてるわ)と、改めて感心した。
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