第16話 空は禁域

 藍里やルーカスに対して、反感やら敵対心を持っている者達の目に留まらない様にする為、辺境域への出立は公宮からでは無く、藍里達が逗留しているヒルシュ子爵邸にルーカス達が迎えに来る事になっていた。そして界琉とクラリーサの結婚披露宴の翌日。目立たない二頭引きの馬車が一台と、幌馬車一台を引き連れたルーカスが、愛馬に乗って時間通りやって来た。


「それじゃあ、行って来るわね」

「ああ、頑張って来い」

「おう、気を付けて行けよ?」

 セレナ付きの侍女としての扮装をする為、紺色のワンピースを身に纏い、実用性一点張りの革靴を履いて、縁に刺繍がある派手過ぎない若草色のスカーフを前で軽く結んだ藍里は、ヒルシュ子爵邸の玄関ホール外で笑顔で激励してきた兄二人に向かって、至近距離に他の人間が居ないのを確認してから、声を潜めて問いかけた。


「そう言えば例の、一時期扉が使えなくなった事件、原因は分かったの?」

 それを聞いた二人は互いに一瞬顔を見合わせてから、素っ気なく言い返す。

「いや。未だに原因不明だ」

「だがあれが出来てから、軽く四百年は経っているからな。いい加減、寿命がきてもおかしくないだろ」

「脅かさないでよ。界琉と悠理はともかく、私はリスベラントに永住するつもりなんか無いんですからね?」

 はっきりと顔を顰めた藍里だったが、兄二人は無言のまま薄笑いで、互いの顔を見やる。そんな来住兄妹から少し離れた所で、目立たない従者の扮装をしたルーカスにクラリーサが歩み寄り、気遣う様に声をかけた。


「道中、くれぐれも気を付けてね? ルーカス」

「姉さんが心配する事は無いから。大丈夫だよ」

「でも……」

 どうしても不安を拭えない様子の姉に、もう身長は彼女を追い越してしまったルーカスは、意識的に笑顔を作ってみせた。


「扉の事もあって不安なのは分かるけど、あれ以来異常は無いとの事だし、偶々不具合を起こしただけだろう。姉さんが変に気に病む事ではないさ」

「それは、そうかもしれないけど……」

「それに姉さんは結婚したばかりだし、そんな浮かない顔は似合わないよ。ほら、笑って」

「……ルーカス」

 明るく促されたクラリーサは、その顔に漸く笑みらしき物を浮かべた。それを見た彼が、満足そうに再度笑いかける。


「うん、その方が良い。姉さんに余計な心配をかけないように、なるべく早く片付けて央都に帰って来るから」

 そこで、この間ヒルシュ子爵家の人間に挨拶していたジーク達が、荷物や馬車の最終確認を終えて、声をかけてきた。


「アイリ様、ルーカス様。そろそろ出立の予定時間ですが、宜しいでしょうか?」

「大丈夫よ」

「分かった。今行く」

 ウィルの確認の声に二人は即座に頷き、馬車と愛馬の方に移動した。すると藍里より上質のドレスを着込んだセレナが、恭しく一礼しながら説明する。


「それではアイリ様は、こちらの馬車にお乗り下さい」

「は~い。じゃあね、界琉、悠理」

 そして笑顔で軽く手を振った藍里に続いてセレナも馬車に乗り込み、先頭は騎馬のルーカス、続いてウィルが操る馬車、最後にジークが操る幌馬車の順で、ヒルシュ子爵邸の敷地から出て行った。

 それを見送ってから、界琉が徐に弟と妻を振り返る。


「さて。それでは俺達は、アルデインに戻るか」

「そうだな。戻ったら早速、午後からオペだ。短い休暇だった」

「忙しいうちが花だろう? 干されたりしないで、結構な事じゃないか」

「まあ、それはそうだな。それに新婚だってのに、界琉達も仕事だろ? 贅沢を言うつもりは無いさ」

 些か愚痴っぽい弟の台詞を界琉は笑って受け流していたが、その横でクラリーサは浮かない顔で黙り込み、夫となった男の顔を静かに見上げていた。



「アイリ様、揺れが酷くありませんか? アルデイン製の馬車なら、もう少し衝撃を軽減する事ができるのですが……」

 馬車が走り出してから幾らもしないうちに、向かい合って座っているセレナが如何にも申し訳無さそうにそんな事を言ってきた為、藍里は笑って手を振った。


「大丈夫よ。乗り物には強い方なの。それに子供の頃、リスベラントに来ていた時、やっぱり家族で馬車で遠出してたわ。どこに行ったかも思い出せないし、今まですっかり忘れてたけど」

「そうでしたか。それなら良かったです」

 はっきりと安堵の色を浮かべたセレナに、今度は藍里が座席から僅かに身を乗り出しながら、不思議そうに問いを発した。


「もの凄く、基本的な質問をしても良い?」

「はい。何でしょうか?」

「どうして馬車で地上を行くの? リスベラントって魔女の国なんだから、皆、箒とか絨毯で、空をビュンビュン飛んでるんじゃないの? 私がちゃんとした飛び方を習ってないから、それに合わせてくれているなら、皆に悪かったなと思って」

「え?」

 それを聞いたセレナは、本気で驚いた様に目を見開いて固まった。そして恐る恐る確認を入れる。


「あの……、リスベラントでは基本的に、魔術での空中飛行は認められていない事について、ご家族から説明は」

「皆無」

「……ですよね」

 藍里が一言で言い切ると、セレナは深い溜め息を吐いた。しかしすぐに気を取り直したらしく、説明を始める。


「確かにリスベラント建国当初にはその様な規定は無くて、飛べる人間は好きに飛んでいたんです」

「それなら楽よね? 最短距離で移動できるし」

「ですがそれ故に、空中での衝突事故が多発しまして。一時期市街地上空で、荷物を抱えた者同士が猛スピードで衝突し、落下地点にも甚大な二次災害が生じる事が続きました」

「うん……、航路とか無さそうだものね。レーダーも無いだろうし」

 その情景を想像したのか、途端に真顔で頷いた藍里に、セレナは更に真剣な顔で解説を続ける。


「無鉄砲に飛ぶ事の危険性もそうですが、際限なく高度を上げる事も危険極まりないんです」

「どう言う事?」

「やはり建国当初の話になりますが、『空がどこまで続いているのか確かめて来よう』と言い出した方が居られまして」

 そこまで聞いたところで、藍里は額に手を当てつつ真剣に考え込んだ。


「ちょっと待って。そう言えばリスベラントの地面の外縁は、森や山の向こうは深い霧が立ち込めているって聞いたけど、空は青いわよね? 確かに太陽や月は南から動かないけど、雲だって流れているし、霧が立ち込めている様な真っ白じゃないわ」

「そうなんです。それで疑問に思われたんでしょうね。浮遊能力があったその方は、ゆっくりと上昇していって、友人が望遠鏡でその姿を確認していたんですが……」

「どうなったの?」

 急に黙り込んだセレナを促す様に藍里が尋ねると、セレナは真顔で答えた。


「かなり姿が小さくなった所で、いきなり掻き消す様に姿が見えなくなって、それっきりだそうです」

 それを聞いた藍里の顔が、微妙に引き攣る。

「ええと……、地面に墜落したとかじゃなくて?」

「はい。完全に消息不明になられたと、記録に残っています」

 重ねて説明されて、藍里は首を振った。


「あまり深く考えない方が良さそうね。下手するとホラーの領域になりそう」

「そうですね。それ以後もかなり高くまで上昇された方が、突如として姿を消す事が何回かあったそうです。それでどこまでの高さまでだったら安全かの確認のしようも無いので、空中の飛行は基本的に全面禁止。浮遊や空中の滑走も、高度十メートル未満に限るとの規定があります」

 その数字を聞いて、藍里はある事を思い出した。


「ひょっとして、御前試合の前に渡された規定集に『試合中の十メートル以上の浮遊、飛翔を禁じる』なんて文言があったのは、そのせい?」

「はい、その通りです。基本中の基本なので、てっきりご家族から説明を受けているかと思ったのですが……」

 困った表情になったセレナに、藍里は頭痛を覚えながら申し出た。


「すみません、セレナさん。もう家族が全面的に当てにならないので、この機会にリスベラントの常識を、また一から叩き込んで下さい」

「分かりました。因みに地面に穴を開ける場合の、容量規制に関しては何かお聞きでは……」

「何ですか、それ?」

 盛大に顔を引き攣らせた藍里に、セレナが溜め息を吐いて応じる。


「分かりました。魔術を行使する場合に制限される内容を、思いついた物からどんどん解説していきます」

 そして顔付きを改めたセレナから、藍里は外の景色を眺める余裕など皆無な程、徹底的な基礎知識の講義を受ける事になった。

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