第11話 釘の刺し方

「ところでクラリーサさんは、界琉と結婚したら大学院とかお仕事はどうするんですか?」

「大学院は提出した論文が認められたから、この夏で卒業するの。だから非常勤だった内務局も、正式採用になるのよ」

「そうだったんですか! それは二重三重の意味でおめでたいですね。これからも頑張って下さい。応援してます!」

「ありがとう、アイリさん」

 予め次兄から聞かされていた内容ではあったが、藍里は素知らぬ顔で祝いの言葉を述べた。それにクラリーサも嬉しそうに笑顔で応じたが、ここで藍里は真顔になって話し出す。


「私、実は少し心配していたんです。クラリーサさんはスキップして大学院に在籍している傍ら、アルデインの内政にも関わっている優秀で先進的な女性なのに、結婚が負担になってキャリアをフイにする事にならないかしらって」

「そんな事は」

 そんな藍里の懸念を、クラリーサは笑顔のまま打ち消そうとしたが、ここで界琉が会話に割って入った。


「そんなつまらない心配はするな。俺だってクラリーサの有能さを認めているから、仕事に支障はきたさない様に配慮する。今後五年は子供は作らないつもりだしな」

「え?」

「何だと!?」

 サラリと界琉が口にした内容に、当事者のクラリーサは勿論、ランドルフやルーカスも驚いた表情になって声を荒げたが、藍里はそんな親子の反応に気が付かない振りをしながら、真面目くさって頷いた。


「それは当然よね。クラリーサさんはせっかく正職員として採用が決まったばかりなのに、産休育休に突入しちゃったら、キャリアの持ち腐れだもの。もし界琉が早々に家庭に入って大人しくしてろ、なんて横暴な事を言うなら、殴ってやろうかと思ってたのよ」

 それを聞いた界琉が、如何にもおかしそうに笑う。


「俺がそんな事を言うと、本気で思っていたのか? リスベラントならともかく、アルデインでも男女同権が叫ばれて久しいのに、そんな時代錯誤な事を言うわけ無いだろう。お前だって二十歳過ぎて早々に結婚する気があるのか?」

「はあぁ? 冗談も休み休み言いなさいよ? 何でそんなに早く結婚しなきゃいけないのよ。結婚なんてものは、手に職付けてがっつり生活基盤作ってから、考えるものでしょう?三十過ぎてから考えても遅くは無いわよ」

「何だと!?」

「お前、正気か?」

 藍里の発言にも公爵親子は驚きの表情になって声を荒げたが、藍里は不機嫌そうにルーカスに向き直り、堂々と言い返した。


「何失礼な事言ってんのよ。リスベラントではどうか知らないけど、世界的に女性の人権保護は進んでるのよ? 働く権利を阻害するなんて、前近代的もいいところだわ。働く女性の立場として、クラリーサさんもそう思いません?」

「え? あの……、私は……」

 突然笑顔で話を振られたクラリーサが、咄嗟に言葉を返す事ができずに口ごもると、界琉がすかさず宣言してきた。


「俺は勿論、家庭の事でクラリーサの負担になる様な事はしないしさせるつもりはないな」

「例えば?」

「俺はこれまで通り、家事は普通にするつもりだし」

「それは問題ないわね。界琉は家に居る頃から、私以上に家事はこなしてたし」

 ふむふむと納得している妹に、界琉は更に話を続けた。


「それにアルデインでの仕事があるから、そうそう頻繁にリスベラントには出向けないしな。一応ヒルシュ子爵家と養子縁組みはしたが、そちらの付き合いは伯父さん達に取り仕切って貰うから、俺達が携わる必要は皆無だ」

「なんだと!」

「え!?」

 あっさりと口にされた内容に、三度公爵親子が唖然とする中、藍里の満足げな声が室内に響いた。


「それなら安心だわ。クラリーサさんには些細な事には惑わされずに、これからもお仕事を頑張って貰いたいもの。だってさっきのアメーリアさんは、これと言ったお仕事はされていないんですよね?」

「え、ええ。そうですけど……」

「日本には『小人閑居して不善をなす』って言葉があるんですけど、教養とか人徳が無い人間が暇を持て余すと、本当にろくな事をしないみたいですから。でもクラリーサさんに限っては、そんな事は無いみたいですよね」

「ええ、ありがとう……」

 にこにこと誉め言葉を繰り出してくる藍里に強い事は言えず、クラリーサは微妙な笑顔で頷いた。するとここで界琉が、席を立ちながらランドルフに断りを入れる。


「公爵、申し訳ありません。会議の時刻が迫っておりますので、これで失礼させて頂きます」

「……ああ、構わん」

 憮然とした顔付きでランドルフが退席の許可を出すと、界琉は軽い口調で妹に声をかけた。


「じゃあ、藍里。今度顔を合わせるのは、式の前後だな」

「そうね。式の最中にコケたら、指さして笑ってあげるわ」

「誰がそんなヘマをするか」

 そして楽しげに笑って界琉がその場を後にすると、室内には重苦しい沈黙が満ちた。それに気が付かないふりで藍里がお茶を飲んでいると、空気の悪さを何とかしようと、クラリーサが話題を出してくる。


「その……、アイリさんはルーカスと仲良くしているのかしら?」

 その問いに、藍里はやや素っ気なく答えた。

「取り敢えず同居しているので、険悪な感じにならない様にしていますから、ご心配無く。傍若無人な弟を持つと、姉としては心配なんですね。よおぉ~っく分かります」

「お前! 誰が傍若無人だと言うんだ!?」

 途端に吠えたルーカスを横目で見ながら、藍里はしみじみとした口調でクラリーサに告げた。


「ルーカスはクラリーサさんと同様に上品な生活をされてきましたから、私みたいながさつな庶民との生活だと、勝手が違ってストレスが溜まるみたいですね」

「あのな!? お前が相手じゃなかったら」

「ルーカス!」

 尚も文句を言おうとしたルーカスを、ランドルフが鋭く叱責した。藍里はその隙に、クラリーサに向かってまくし立てる。


「界琉は大学からずっとアルデイン暮らしで、こちらの風土や環境に適応してクラリーサさんとも合っているみたいですが、ルーカス殿下はお気の毒ですよね。私の護衛からは早々に外してあげた方が良いと、クラリーサさんも思いません?」

「いえ、そういう範疇の事は、私の職務には関係ありませんので、余計な口を挟む事は……」

 困った顔になったクラリーサだったが、ここでランドルフが重々しく口を挟んできた。


「生憎と、当面アイリ嬢の護衛から、ルーカスを外す予定は無いな」

「あら、どうしてでしょうか?」

「忘れているかもしれんが、君達は婚約者同士なのでな」

 その指摘に、藍里は軽く目を見開いて驚いた表情になってから、おかしそうに笑い出した。


「まあ……、そう言えばそうでしたね。すっかり忘れていました! 事ある毎に『お前』とか『貴様』呼ばわりされているので、そんな意識は皆無だったもので。何とかリスベラントの不穏な気配が落ち着いて、ルーカス殿下に釣り合う様な、上品なお嬢様と婚約できる様になれば良いですね」

 にこやかに言い切った後、藍里は笑いを堪える表情になって再びカップに口を付けた。今の自分の発言に対して、何か言われた場合には即座に言い返す準備は心の中でできていたものの、ランドルフとルーカスは苦虫を噛み潰した様な顔で、クラリーサは俯いて一言も発せず、正直肩すかしを食らってしまう。


(はぁ……。居心地悪いけど、これ以上こいつの都合の良い婚約者扱いされるのは御免だものね。しかしクラリーサさんを子爵家後継者夫人として、界琉共々ルーカスの後見人とする目論見を崩されて、公爵が相当腹に据えかねてるって話は本当らしいわね)

 そしてお茶を飲みながら、悠理が自分に吹き込んできた情報を頭の中で思い浮かべる。


(同じく、後見人に目論んでいた父さんは、あっさり重要なポストを返上しちゃった上に、アルデインからリスベラントに界琉を引き込もうとしても、父さんが辞める時に要職を順次繰り上がりさせる昇格人事を断行して、父さんの後釜に界琉をねじ込む隙なんかも作らなかったそうだし)

 どう考えても公爵の詰めが甘いか、父親が容赦なかったのだと結論付けた藍里は、無言のまま静かにランドルフに視線を向けた。


(相手の意向を無視して、勝手に息子の婚約者なんかにするからよ。泣いて喜ぶとでも思ってたら大間違いよね。施政者としての手腕はなかなからしいけど、親馬鹿にも程があるわ)

 その視線を感じたのか、ランドルフも一切の感情を消し去った表情になって、彼女に視線を向ける。そして二人の無言での探り合いは、ランドルフの側近が次の予定をこなす為に、彼を呼びに来るまで続いた。

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